Les derniers secrets d’Hiroshima ヒロシマ最後の秘密 | PAGES D'ECRITURE

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フランス語の勉強のために、フランスの雑誌 Le Nouvel Observateur や新聞の記事を日本語に訳して掲載していました。たまには、フランス語の記事と関係ないことも書きます。

久しぶりに更新させていただきます。

COVID-19 に関する某国家の場当たり的で矛盾した対応に巻き込まれ、意味もなく必要もなかった休業と減収を余儀なくされたなどという経緯は省略します。

そうこうしているうちに、某65歳児が病気を口実に、実際には司法による捜査を免れるために、政権を投げ出したくせに、先制攻撃がどうとか言い出していることにも、今はコメントしません。

アメリカ合衆国が日本に対して、3回目の原子爆弾投下を計画していたという記事が、一部で出ています。(日本の大手マスコミで報道されているかどうか知りませんが)。

私が読んでいる週刊誌にも出ていましたので、紹介しておきます。


週刊誌 L'Obs (旧 Le Nouvel Observateur)の2020年8月6日(通巻2910)に掲載された Les derniers secrets d’Hiroshima  (ヒロシマ最後の秘密)という記事です。

最終段落付近に間違いがあり、例えば長崎原爆の日が8月13日になっていたりするのが気になるところです。



Hiroshima01 Hiroshima02


ARCHIVES

Les derniers secrets d’Hiroshima  

Il y a soixante-quinzeans, la première bombe atomique était larguée, faisant plusieurs centaines demilliers de victimes. L’ouverture récente d’archives américaines et japonaisesapporte de nouvelles révélations


Par VINCENT JAUVERT

(75年前、数十万人の犠牲者を出した、最初の原子爆弾が投下された。最近の日米の公文書の公開により、新事実が明らかとなった


アメリカ合衆国大統領に宛てた「トップシークレット」の電報はちょうど75年前、1945年8月6日の日付である。レズリー・グローヴス将軍はその中で、今朝監督した歴史上初めての原爆投下について描写している。「最初に火の玉があった、それは数秒で紫の雲と空に向かって渦を巻く炎に変わった」と、その光景にさらに魅了されながら、語っている。「その後、街全体が暗い灰色の塵の層で覆われた。」 現在は機密解除されたメッセージの中で広島を破壊した作戦は「完全な成功」であると自慢している。

 同じく1945年8月6日、「リトルボーイ」(濃縮ウラン爆弾のニックネーム)によって引き起こされた損傷の評価を担当した日本の将校も上司に報告書を書いている。これもまた少し前に公開された親書の口調は明らかにまったく異なる。「特別なタイプの爆弾が今朝、広島市中心部の上空に、3機または4機の飛行編隊によって投下された(爆弾がパラシュートに取り付けられていたと主張する者もいる)」、見るからに怯えそのニッポン軍人は報告する。「閃光は一瞬だった。3キロメートルまでに位置した人々の身体の露出部を燃やした。その衝撃は想像力を超えており、実質的に市内のすべての家屋を破壊した。犠牲者は10万人と推定される。」

 なぜ、帝国の無名の中都市である広島が最初の原子爆撃の標的に選ばれたのか? 日本が降伏を受け入れるために、本当に二番目の都市、長崎を破壊しなければならなかったのだろうか? トルーマン大統領は何よりもまずスターリンに強い印象を与えたかったのだろうか? 第二次世界大戦の終わり以来、同じ疑問が歴史家と生存者の心を苛む。ワシントン、次いで東京での公文書の開示により、答えがより明確になった。コードネームがマジックだった作戦によって、アメリカの情報部が大戦中にずっと傍受していた、日本の秘密通信の最近の公表と、1945年の夏に天皇裕仁を囲む会議の議事録の翻訳により、ついに、広島の最後の秘密のベールを取り払うことができる。


    LE JAPON CIBLÉ, JAMAISL’ALLEMAGNE

      (標的は決してドイツではなく、日本)


しかし一週間後、スティムソンその人がトルーマン大統領に、核兵器のせいで「アメリカの評判が残虐性においてヒトラーのそれを凌駕しかねない」という恐れを打ち明ける。陸軍のトップであるマーシャル将軍、2年後に有名なヨーロッパ経済救済計画の「父」となるまさにその人は、全く同じ悪夢を見ていた。彼は「このような武力の無分別な使用によって引き起こされるであろう汚名」を恐れたと述べている。彼らは、日本の至宝中の至宝である京都をリストから削除するに至る。したがって、広島が一番の標的となる。

 そしてもし原子爆弾が全く使用されなかったら?全世界的な恥辱を避けるために、核兵器について最初から活動していた科学者のグループは、ホワイトハウスのトップに日本を攻撃することを断念するように求めている。彼らは、「連合国の代表者の前で」、「砂漠または無人島で」最初の爆弾を爆発させることを提案する。他の研究者たちは、物理学者ロバート・オッペンハイマーその人にように、兵器の即時の「国際化」、解放されたばかりのフランスを含む同盟国との知識の共有を検討している... 海軍長官ラルフ・バードも、アメリカが「偉大な人道国家」としての地位を維持するために、日本に対して極めて明確な「警告」を発することを提案している。

 しかし、これら多かれ少なかれ平和主義的な考えは、日本帝国に対して、それもできるだけ早く勝利しなければならない汚い戦争を抱えているホワイトハウスに訴えかけることは殆どなかった。1945年の夏の初め、アジア戦線の見通しはまだ暗いままである。6月18日、トルーマン大統領は、最終的に支配権を獲得することを目標に日本を侵略する計画を考案するために、軍の参謀本部を招集する。上陸日が決められた。1945年11月1日である。その日、766,000人のGIが列島の南にある九州の島に押し寄せるはずである。作戦中に予想される死者数はおよそ31,000人であり、上陸が行われる場合、米軍が東京に向かって前進する間に死亡する危険を冒すであろう非常に多くの犠牲者をこれに加える必要があろう。

 結局何人になるのか?文書には数字は全く記載されていない。列島への上陸によってアメリカ側で生じたであろう死者数に関するいくつかの推定がなされたのは、戦後になってからだった。その推計は、数十万から百万以上までの幅がある。回顧録でハリー・トルーマンは、日本が8月15日に降伏したために、核兵器のおかげで免れた米兵は25万人と語っている。本当であれ間違いであれ、この25万人という数字は、女性と子供を含む2つの都市のほぼ完全な破壊を正当化し得るだろうか?日本は無条件に武器を捨てる寸前ではなかったか?この論争について歴史家の意見は長い間、二分されてきた。


    UN PLAN D’INVASION DU JAPON

     (日本侵攻計画)


しかし一週間後、スティムソンその人がトルーマン大統領に、核兵器のせいで「アメリカの評判が残虐性においてヒトラーのそれを凌駕しかねない」という恐れを打ち明ける。陸軍のトップであるマーシャル将軍、2年後に有名なヨーロッパ経済救済計画の「父」となるまさにその人は、全く同じ悪夢を見ていた。彼は「このような武力の無分別な使用によって引き起こされるであろう汚名」を恐れたと述べている。彼らは、日本の至宝中の至宝である京都をリストから削除するに至る。したがって、広島が一番の標的となる。

 そしてもし原子爆弾が全く使用されなかったら?全世界的な恥辱を避けるために、核兵器について最初から活動していた科学者のグループは、ホワイトハウスのトップに日本を攻撃することを断念するように求めている。彼らは、「連合国の代表者の前で」、「砂漠または無人島で」最初の爆弾を爆発させることを提案する。他の研究者たちは、物理学者ロバート・オッペンハイマーその人にように、兵器の即時の「国際化」、解放されたばかりのフランスを含む同盟国との知識の共有を検討している... 海軍長官ラルフ・バードも、アメリカが「偉大な人道国家」としての地位を維持するために、日本に対して極めて明確な「警告」を発することを提案している。

 しかし、これら多かれ少なかれ平和主義的な考えは、日本帝国に対して、それもできるだけ早く勝利しなければならない汚い戦争を抱えているホワイトハウスに訴えかけることは殆どなかった。1945年の夏の初め、アジア戦線の見通しはまだ暗いままである。6月18日、トルーマン大統領は、最終的に支配権を獲得することを目標に日本を侵略する計画を考案するために、軍の参謀本部を招集する。上陸日が決められた。1945年11月1日である。その日、766,000人のGIが列島の南にある九州の島に押し寄せるはずである。作戦中に予想される死者数はおよそ31,000人であり、上陸が行われる場合、米軍が東京に向かって前進する間に死亡する危険を冒すであろう非常に多くの犠牲者をこれに加える必要があろう。

 結局何人になるのか?文書には数字は全く記載されていない。列島への上陸によってアメリカ側で生じたであろう死者数に関するいくつかの推定がなされたのは、戦後になってからだった。その推計は、数十万から百万以上までの幅がある。回顧録でハリー・トルーマンは、日本が8月15日に降伏したために、核兵器のおかげで免れた米兵は25万人と語っている。本当であれ間違いであれ、この25万人という数字は、女性と子供を含む2つの都市のほぼ完全な破壊を正当化し得るだろうか?日本は無条件に武器を捨てる寸前ではなかったか?この論争について歴史家の意見は長い間、二分されてきた。


    LE PROJET DE BOMBARDER TOKYO

     (東京を爆撃する計画)


マジックという名の通信傍受の機密解除と1945年8月に行われた皇居での議論の翻訳の後、論争は2000年代以降鎮静化した。日本の支配階級の大部分、特に軍部は、広島の後でさえ、いかなる名目でも降伏を望んでいなかったことが見いだされる。1945年7月26日、トルーマン大統領とチャーチル首相は、ドイツのポツダムでスターリンとともに会談し、日本が降伏を拒否した場合、どの兵器であるかを明記せずに、「迅速かつ完全な破壊」を実行するという最後通牒を日本に発する。日本の一部の高官はこの脅威を理解しており、最高の条件を得るために政府が直ちにそれを受け入れることを要望する。しかし皇居では、内閣の議論が長引いていた。モスクワに調停役を望んでいた駐モスクワ日本大使、佐藤(尚武)は激怒する。彼は東京での「政府と軍の先延ばし」について外務大臣に不満を述べている。引き延ばしが続けば、「日本全土が灰燼に帰す」と公言する。

 最後通牒の2週間後、広島は核の火の攻撃を蒙る。戦時内閣は皇居の防空壕で会合を開く。今回は、高官は降伏することに同意する。しかし彼らは条件を出す。天皇が日本の「最高指導者」であり続けなければならない、というものだ。日本列島占領軍の将来のトップとなるアメリカの将軍を国家元首にしようとしているワシントンは、拒否する。国務省はしかし、米国政府を満足させることができるかもしれない「最高指導者」の定義について、交渉の扉を半開きのままにしていた。マジックの通信傍受により、日本の指導者が降伏を拒否し、これらの会談の結果に関係なく戦闘を続けようとしていることが米国の指導者に明らかになるまで。実際、8月12日の極秘メモで、東京の司令部は国外のすべての部局に対して次のように発信している。「たとえそれが陸海軍の破壊を意味するとしても、帝国陸海軍は国体[編註:天皇に関する]を護持するための努力を継続する決意である。」

翌日、トルーマンは2番目の原子爆弾の投下を命じる。悪天候のため、「ファットマン」(プルトニウム装置のコードネーム)のために最初の標的として検討された小倉は免れた。1945年8月13日(原文のまま)に破壊し尽くされたのは港湾都市、長崎だった。その直後、天皇は再び御前会議を招集した。彼の軍の一部によって転覆されることを恐れたため、天皇は直ちにアメリカの最後通牒のすべての条件を受け入れ、初めての国営ラジオ放送での宣言によって国民に知らせることを決意する。その録音は8月15日に放送される。新たな破局を避けるために辛うじて間に合った。前日、トルーマンは全面降伏がなければ、3回目の原子爆撃投下を命令し、その標的は東京になることを決定していた。


L’OBS No 2910-06/08/2020

https://www.nouvelobs.com/monde/20200806.OBS31908/hiroshima-les-derniers-secrets-reveles-par-les-archives-americaines-et-japonaises.html


ほぼ同じ時期に、ナショナルジオグラフィック日本版のサイトにも、アメリかの東京への原爆投下計画に関する記事が出ていました。


米国は第3の原爆投下を計画していた

1945年の夏、米国は広島、長崎に続く準備を着々と進めていた


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