REIJI`s DIARY

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03年の8月後半に、
ギターのしんのすけの知り合いの主催イベントに呼ばれていた。

といってもこの日のライブは、
ライブハウスではなくまさかの喫茶店にアンプを入れてやるだけのライブだったので、これはいったいどういうことだ?という感じだったけど。

この日もメタルバンドは俺らだけで、
たしか1バンド目でやった。持ち時間とか覚えてないけど、7月のライブでやった曲から選曲した感じだったかな。

ライブはなんでこんなとこでやってんだろうって感じに思えたけど、この日はライブよりも打ち上げが濃かった。

しんのすけの実家は自宅兼居酒屋で、
ライブ会場と家が近かったこともありそこでやることになった。

てゆか次の日が俺の誕生日だったんだけど、
そのままここでオールすることになり。
でも俺は翌日仕事があったので、飲むところが畳の部屋なのでそこで軽く寝ることにした。

でもめっちゃうるさい。
途中から怪談話も始まってぎゃーぎゃーうるさくて寝れない。

結局ほぼ寝れないまま朝になってしまい、
朝の5時くらいになるとみんな畳で寝ちゃってたんだけど、俺と佐藤も用事があるとかないとかで、これから帰ることにした。

1度寝るとなかなか起きないしんのすけを体を持ち上げて左右に振って無理やりに起こし、これから帰るというのと駅まで遠いのでバス停の位置を聞いて出た。

この時に佐藤は大学4年だったんだけど、
市役所の内定がちょっと前に出たらしく、決まると思ってなくちょっと迷っているっていうことを言われた。

バンドでプロを目指したいという気もまだあるということもあったようだ。
それなら専門学校に行くのもひとつの選択肢なんじゃないかと。

俺は正直プロを目指すなら就職すべきじゃないと思ったけど、専門学校に行ってた身としては、せっかく大学を出て就職もできる状態なのに、将来が見越せない音楽の専門学校を勧めることはできなかった。

一応その辺のことを言いつつも、それでも目指す気があるなら専門に行くのも良いと思うというのを言った気がする。
まあやつはたぶん覚えてないんじゃないかと思うけど。

結局その後佐藤は就職の道を選び、バンドは趣味として続ける道を選択した。

個人的には、ちょっと残念だった。
この日は現実的な意見を言ってしまったけど、本心では就職なんかしないでバンドの道に進んでほしかったけど。
すごく難しいとこなんだよな。

人のことより俺も今後どうするべきかという感じだった。
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次のライブは専門学校の同じベース科だったやつが入った、
俺がネットで最初に接触したバンドの主催イベントに呼ばれたので参加してみることにした。

だがこのライブ、持ち時間が1バンド1時間で、
とにかくこれまでやったオリジナルとコピー曲を総動員することになったわけだが。

ちなみになかなか決まらなかったバイトも、ようやく7月に決まった。
ある程度金銭面はなんとかなるようになり。

7月のライブを迎えたわけだけど。
このライブは何が悪いというよりそもそも出るべきものじゃなかったなという感じだった。

主催のバンドと俺らでは趣向が違いすぎたし、
バンドや客含めて良いと思えるものすら違う感があった。

そして1時間をやるのはなかなかに辛かった。
反応が良ければまだマシだったけど、客の反応もないしとにかく1時間を辛くこなすだけのライブだった。

まあとはいえこれも経験としてありだったように思う。
とにかくライブの経験はどんなものでも蓄積として大事だ。

ちょっとこれ以降佐藤とバンドの方向性について、話をするようになった。
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3月の精神状態はきつかったけど、
4月に入ってからはほぼ諦めというか落ち込んでても仕方がない、今やるべきことをしようという感覚になってきていた。

次のライブは5月にやることが決まり、
バンドは相変わらずな感じだった。

俺はなかなか仕事が見つけられずにいた。
いくつか面接も行ったけど、中途半端に長い髪の毛で落ちることが多かった。

金銭的に余裕がなかったので、リハ以外では出かけず家に引きこもり状態になっていた。

今思えばこの期間はまたきつかったね。
とにかく仕事を見つけることの難しさを感じていた。

5月のライブは渋谷のどこか。

この時のライブも結構ぼろぼろだったけど、
打ち上げはなかなかに面白かった。

でも俺はちょっと酒が入り過ぎて、死ぬ思いをしたけど。

とにかくバンドをやることで、
なんとか気持ちを持たせていた感じだったな。
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03年の3月の半ばに専門学校は無事卒業した。

卒業後に何をやるかは全く決まってない状態で。
とりあえずバイトでも探さなくちゃなみたいな感じだった。

学校はなくなってしまったが、
家では相変わらず何も変わってない日常に思えていた。

けれども高校を卒業してから約1週間後に事件があり、
母親が家から出て行ってしまったのだ。

おそらく俺の学生生活が終わったタイミングで、
出て行くことを昔から考えていたのではないかと思う。

かなり精神的にきつかったけど、
さらに1週間後に初ライブだったので、リハは大詰め。
このいつもと変わらない日常にはだいぶ救われた。

そして金銭的に次の予想できないステップに踏み出すのは、難しいと感じていた。
それとこのバンドの明るさが本当に救いだったので、今回のライブでやめることはやめにした。

このバンドであれば、ある程度必要になる金も予想できる。
バンド活動を止めることはしたくなかったというのもある。

何よりこの日常がその時の俺には必要だった。

初ライブは新宿のヘッドパワーというライブハウスで、
ソナタやストラトヴァリウスのコピーとオリジナルが半々の選曲でプレイした。

ライブの出来としては予想どおりちょっと微妙なものだったけど、とにかくなんか久々に楽しかった。

この日のライブにはこのバンドの前のギターのメンバーが来ていた。
それが後にディスティニアやオリハルコンで一緒にやることになるよっしー(内藤)。

ライブ後の打ち上げでも来てたのかな、その次だけだったかもしれないけど。

母親が出て行ったことで、俺はこのバンドに残った。
そしてバンドに残り続けたことで、新たな未来へと繋がる運命の組み合わせがあった。
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驪竜と書いてりりょうと読む変わったバンド名だった。

なぜ漢字のバンド名なのかということを、
その時はあまり気にはなっていなかったが。

すごく仲の良いバンドだったけど、
ちょっと演奏面ではどうかなというところも少しずつ出てきた。

個々のプレイはある程度のレベルはあるんだけど、
グルーヴ的なところが少々弱く、何かこうバンドの味というか見て良いと思えるものが果たしてあるかどうかが難しかった。

でも個人的には完全なメタルをベースとしたバンドだったので、どういうライブになるのか楽しみでもあった。

ライブは03年の3月の終わりにやることが決まった。

ライブのちょっと前には、
初めての夜中にオールでスタジオに入ることも経験した。

よくバンド練習ではオールでやるというのも聞いてたけど、実際にやったのは初めてで、時間も大体0時~5時くらいで長く、最後の方は眠いのと疲労である意味ハイな感じになってた気がする。

良い悪いは別として、経験としてありだったなとは思う。

だけど実はこの当時、3月のライブが終わったらやめようかなと思ってたんだよね。
ちょっとこーいちさんのDUST HEADのライブを何回か見に行って、すごく見た目もバンドらしいバンドで。

驪竜はそういう意味ではまだ俺も含めて見た目が普通な感じで、メタルバンドとしてはちょっと違う感が出てきていた。

もう少し上を目指したいなと思っていたので、まだその時は佐藤とか誰にも言ってなくて、3月のライブ終わってから言おうかなと思ってたんだけど。

ライブの1週間前くらいに予想外の出来事が起きた。
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03年に入り残りわずかの一応学生生活。
授業に関しては別段変わることなくいつもどおり進んでいて。

1月中旬にはなぜかこの学校は石原プロと提携していて、
餅つき大会があってそこに舘ひろしがきてた。

餅好きなのでこの日は土曜日で授業なかったと思うけど来てて、餅を食べつつトイレに行ったら舘ひろしが入ってきて、連れションをするという密かな思い出もある。

卒業も近くなったところで、俺と何人かが呼ばれた。

ちょっと卒業までの単位が少し足りないので、
このメンバーでバンド組んでなんか披露してくれたらそれで単位OKにするって。

そんなんで単位取れるっていうのもどうかと思うけど、
実は2年になってから授業は少しサボりがちなとこがあった。

これは授業の組み方にもクレームがあるんだが、
火曜の14時までの授業の後に2時間空いて16時から授業とか、金曜の10時からの1時間だけでその日が終わる日とか。
これやって何の意味があるん?って授業もあったりで。

ま、覚えてないけど何かやって卒業はできることになった。

高校や大学と違いここを卒業したという証が役に立つこともそうはないというか、これまで全くなかったけど。

卒業の前にはちょっとした卒業ライブ的なものも行った。

ただ俺はこの学校に関してはもういいって感じだったから、
卒業に関してはやっと終わったっていう感じだったな。

卒業後も関わりたいと思う人はあまりいなかったし、
ひとりだけベーシストとはしばらく関係があったけど。

早く自分のやりたいバンドをやる生活にしたかったね。
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初リハは新宿の新南口の音楽館だった。
このスタジオはすごく狭いんだけど、当時の懐かしい思い出でもある。

佐藤以外とは初めての対面で、
印象としてはみんな明るく、気負うことなく入れた感じだった。

何気にこの時初めてツーバス(ダブルペダル)のドラムを聞いた。
前のバンドの祐太はワンバスしかできなかったので、ハロウィンをやった時はワンバスにアレンジをしてた。

ただツーバスだったけど、肝心のバスドラはキック力が弱いのかあまり聞こえはしなかったんだけど。

とりあえず1曲やり始めたら、
それまで知的なインテリ系と思っていた佐藤が、ものすごいヘドバンをしてキーボードを弾いている。

な、なんだこいつはと。
でもやっぱメタルならこれくらいが普通のなのかなー。
前のバンドはリハでこんな動くやついなかったなーとか思ったけど。
こんなやつは後にもこいつだけだった。

このリハで佐藤の知的でインテリなイメージは崩れ、
ちょっとイカレた変なやつに変わった。

まあリハは覚えてないけどなんとか終わって、
リハ後に飯を食いに行ったわけだけど、行った先が吉野家。
新宿のバルト9前の吉野家だけど、ここは案外夜は人が少なくて、奥の方で長く話してもとくに注意されることもなかった。

けど、大体1時間以上は吉野家にいた。
これがそれから毎週リハ後は1時間吉野家というのがルーチンになった。
吉野家に長居するやつも珍しいけど、リハ後の飯に吉野家に居座るバンドも相当珍しいわね。

最初からバンドに溶け込むことができたので、
非常にやりやすくはあった。

この日がメタルバンドでのベースとしてのスタートだったかなと思う。
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02年のクリスマスの手前に、新宿新南口のマックで佐藤に初めて会った。

彼もBlind guardianが好きという共通点があったので、話も合いメロパワ系のコピーとオリジナルをやっていて、ベースがいないだけという状況だったので俺が入ればすぐにバンドが再開できる状態のようだった。

佐藤の最初の印象は、当時青学大に行っているということもあって、なんかインテリ風な印象だった。
それに佐藤はKeyで、キーボードがいるバンドでやるのも初めてだったのでかなり興味があった。

オリジナルの音源は聞いてかなり驚いた。
前のバンドのオリジナルはギターが作った曲を弾き語りでMDにしてたけど、佐藤のオリジナルはPCの作曲ソフトで作ったMIDI音源だった。

実際にMIDI音源としては高いレベルだったと思う。
曲もキャッチーな感じだったし、このバンドは期待できると思った。

今やっているコピー曲もMDやスコアのコピーをもらい、今考えればそれなりの量だったと思うが、まあバイトもしてないし学校も冬休みに入ってるので数曲覚える余裕はあった。

今思えば前のバンドでHelloweenをやってたことで、メロパワのベースを弾いてたのは幸いだったと思う。

オリジナル曲は3曲で、
コピーはHelloweenのイーグル、パワー。ソナタアークティカのMy land、Weballegy。ストラトのFather time。Dream theaterのPull me underもあった。

とりあえずなんとか覚えて、12月内か1月に入ってからか忘れたけど、リハに行くことになった。
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02年の12月、これまでバンドを探す方法自体をよく知らなかったけど、ネットのバンド募集サイトがあることがわかったのでちょっと見てみることにした。

最初は見てみるだけのつもりだったけど、
見てみたら地元の近くで募集してるバンドがあり、年はちょっと上だったけどハードロック系のバンドのようなのでちょっと連絡してみることにした。

そしたら会ってみようということになり、
地元の駅に向かったんだけど、現れたのは結構なおっさんでちょっと話をしてからオリジナルの音源を聞かせてもらったらなんか矢沢永吉みたいなものだったので、一応家に車で送ってもらったんだけどその日のうちに断りの連絡を入れた。

でも専門でその話をすると、とにかくやれるバンドを探してるから一応声かけてくれないかと言われたので、紹介してそいつがそのバンドのベースになった。

まあ俺は最初は微妙な結果だったけど、
段々本格的にやれるバンドを探してみたくなったので、
その後も探して気になった募集に連絡をしてみた。

ちょっとハードロックで同年代は難しいかなと思ったので、Blind guardian好きの人で探してみた。

そこで出会ったのが現ValthusのKeyのmicというか佐藤、大体の人はむっちゃんという。
あとDust headやMighty wingsなどでVoをしていたこーいちさんもこの時に知り合った。

とりあえず佐藤の話は次にするとして、
こーいちさんの方が先に会ったんじゃないかと思う。

Blind guardianが好きで、ロードオブザリングなどのファンタジー小説が好きということもあり気が合った。
まあ結局すぐにこーいちさんがDust headにVoで加入が決まったようなのでバンドをやることはなかったんだけど、その後ライブハウスで会うことも多く、自分のライブ誘ったり誘われたりと仲良くさせてもらった。
こーいちさんももう10年近く会ってないのかな。

そして12月のクリスマス間近に、
新宿の新南口のマックで佐藤に初めて会った。
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バンドの日々は充実してたけど、
専門学校の日々は全く充実していなかった。

2年にもなると授業の内容はかなりレベルが高く、
ついていくのがやっとというか、ついていけてなかった。

ただまあなんとかやっていて、
2年の10月くらいには1泊2日でどこに行ったか忘れたけど合宿があった。

ここでとりあえず班分けが行われて、
そのメンバーで2曲をそれぞれのアレンジで夜に披露するというそういう内容だった。

曲は全部同じで、スタンドバイミーとビートルズのCome togetherで。
俺はスタンドバイミーでベース、Come togetherが副科がドラムだったのでドラムだった。

尚、俺のドラムの披露は後にも先にもこの時だけだったりする。

スタンドバイミーに関してはなにひとつ覚えてないんだけど、
とにかくドラムに関してはまず基本となるリズムを決めて、そのリズムをベースに展開してくって感じだった。

今考えればよくやれたものだと思うけど。
ちなみに他の班がリハ中に外から聞いた感じだと、俺のドラムがたまにリズムがうねるんだけど、それをうまく楽器隊がそれに合わせて軌道修正してくって感じだったらしい。
っていったいどういうことだ?

まあなんとか夜の本番も終わり、
その後の打ち上げで人生初の酒を飲んだけど、なんじゃこれって味だったな。

短い時間で曲を仕上げてライブをするっていう経験はなかなかできないものなので、すごくためになったなと思う。

とりあえず授業はあるわけだけど、就職には無縁の学科だった。
スタジオミュージシャンになりたいってタイプがあまりいなかったので、そもそも仕事できるものがないってのもあったし、スタジオミュージシャンでやれる程の実力がありそうな人も一握りだったけど。

俺はとにかくバンドをやりたかったので、
仕事は全く考えてなかったね。

卒業後はバイトしながらバンドやってくんだろうなっていう、漠然としたイメージだった。
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