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中井英夫『新装版 虚無への供物』(上下、講談社文庫)を読みました。

昨日紹介した水上勉の『飢餓海峡』に続きまして、1954年9月26日に起こった日本最大の海難事故である洞爺丸事故をモチーフにした推理小説を紹介します。

夢野久作の『ドグラ・マグラ』、小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』と並んで、日本探偵小説の「三大奇書」に数えられている中井英夫の『虚無への供物』です。

飢餓海峡』は、洞爺丸事故であり得たかも知れない事件を描いた社会派の作品で、一方『虚無への供物』は、現実の事件と物語の中の事件というものを強く意識したアンチ・ミステリー(反推理小説)。

同じ海難事故から想を得ながら、まったく違う印象の作品になっているので、興味のある方は、読み比べてみてはいかがでしょうか。

さて、ここからは『虚無への供物』についてのみ書いていきますが、「三大奇書」の中で、実はこの作品が最も読みやすいです。あと、ぼくは一番好きですね。非常に面白いです。

複数の探偵役によって行われるユーモラスな推理合戦が魅力のミステリーで、文体や内容に難解さのある他の2作とは違って、わりと気軽に誰でも楽しむことが出来る作品になっています。

しかし、「三大奇書」の中で最も読みやすいと同時に、最もマニアックな作品でもあって、本当に『虚無への供物』を楽しもうと思ったら、ある程度、ミステリーの知識が必須となるんですね。

ドグラ・マグラ』は頭がおかしくなりそうなくらい複雑な物語構造を、『黒死館殺人事件』は探偵と周りの人々とのペダンチック(知識をひけらかすさま)なやり取りを乗り越えれば何とかなります。

ところが『虚無への供物』は、アンチ・ミステリー(反推理小説)ですから、この作品単体で読んで十分かと言うとそうではないんですね。それだけでは、この作品を本当には楽しめません。

アンチ〇〇と言う時、まずその〇〇に当てはまるものを認識した上で否定されるなり打ち崩されるなりをしなければ意味がないからです。

なので、読者はこの作品を読む前に、まずはミステリーのお約束を認識しておく必要性があります。普通のミステリーではこうなるはずというお約束を、あえて崩している所に面白さのある作品なんですね。

幅広くミステリーを読んでおいた方がいいですが、具体的に前もって読んでおいた方がよい作家をあげておくと、アガサ・クリスティー(『アクロイド殺し』など)、S・S・ヴァン・ダイン(『僧正殺人事件』など)、ガストン・ルルー(『黄色い部屋の謎』など)です。

それから、事件のイメージや、議論の中で登場人物の役割として使われていたりするので、エドガー・アラン・ポーの「赤き死の仮面」、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』、ウィリアム・シェイクスピアの『ハムレット』の知識もあった方が、より望ましいです。

上にあげた作品を読んでおかなくても、まあ大丈夫ではありますが、ぼく自身、その辺りの知識に不足していた2年前(『虚無への供物』2011.5.20)よりも、今回の再読の方が間違いなく楽しめました。

ミステリマニアのためのアンチ・ミステリーという側面が少なからずあるので、ミステリ初心者がいきなり読むよりも、古今東西の色々なミステリーを読み込んでから読むのがおすすめです。

さてさて、ミステリーのお約束は色々ありますが、まず大枠から言うと、(1)殺人事件が起こり、(2)一人の名探偵が推理力をいかして犯人を指摘し、その事件を解決する、という流れですよね。

ところが、『虚無への供物』は、まだ起こっていない密室殺人事件について語られたり、自称名探偵が何人も登場して、事件の真相と思われるものについて様々な議論が交わされていったりするんです。

しかもその議論が、「ノックスの十戒」「ヴァン・ダインの二十則」(どちらもミステリーの禁じ手について書かれたもの)についてや、様々な先行作品について触れられたりするというマニアックさ。

全体的な流れもそうですが、色々な形でミステリーのお約束から逸脱していくのがもうすさまじく、さすがに”奇書”と呼ばれるだけあるなあと思わず唸らされる、そういう推理小説です。

とことんマニアックではありますが、文体・内容ともに難しくはないので、ミステリーが好きな方にはぜひ手に取ってもらいたい名作。

作品のあらすじ


1954年12月10日。勤め人の光田亜利夫は、下谷・竜泉寺にあるバー「アラビク」で友人の奈々村久生と会っていました。

奈々村久生は、ラジオ・ライターの仕事を本職にしている駈け出しのシャンソン歌手です。

現在はパリにいる牟礼田俊夫との結婚が決まっていて、あくせく働く必要がないこともあり、探偵の才能を活かして難事件を解決し、それを自伝的推理小説にしたいなどとよく口にしています。

亜利夫と久生は、「アラビク」で顔なじみになったお客のアイちゃんこと高校3年生の氷沼藍司と、氷沼家の話をしました。

氷沼家は藍ちゃんの祖父の代から、不思議と事故で亡くなっている人が多いんですね。

祖父光太郎は火災で、長女の朱美は夫と子供と共に広島の原爆で、長男の紫司郎夫妻、藍ちゃんの両親にあたる三男の菫三郎夫妻は、つい最近、洞爺丸事故で亡くなりました。

現在氷沼家には、二男の橙二郎と、紫司郎の息子で四代目の当主である蒼司とその弟の紅司が暮らしています。

氷沼家の陰惨な歴史を聞いた久生は、「氷沼家殺人事件(ザ・ヒヌマ・マーダー・ケース)」がいつ起こってもおかしくないと思い、こんな不思議なことを言い出しました。

あたしの考えてるのは、こういうことよ。そりゃ昔の小説の名探偵ならね、犯人が好きなだけ殺人をしてしまってから、やおら神の如き名推理を働かすのが常道でしょうけれど、それはもう二十年も前のモードよ。あたしぐらいに良心的な探偵は、とても殺人まで待ってられないの。事件の起る前に関係者の状況と心理とをきき集めて、放っておけばこれこれの殺人が行われる筈だったという、未来の犯人と被害者と、その方法と動機まで詳しく指摘しちゃおうという試み……。”白の女王”のいいぐさじゃないけど、それで犯人が罪を犯さないならなおのこと結構だろうじゃありませんか。
(上巻、50ページ)


なんと、起こる前の殺人事件を解決してしまおうと久生は言うのです。そこで、蒼司の高校の先輩にあたる亜利夫を、氷沼家の人々に会いに行かせます。

1954年12月22日。久生の予感が的中したのかどうなのか、氷沼紅司が密室状態の浴室で死体で発見されました。

持病の心臓が急激に悪化したのだろうという医師の診断でしたが、背中に「まるで赤蝮でもうねくったような、奇怪な十字架型の紋様が浮かびあがって」(上巻、101ページ)いたのが気にかかります。

氷沼家のお目付け役的存在で、橙二郎と紅司のいざこざをさおめるために新潟からやって来た、60歳を少し過ぎた藤木田誠は、たまたま紅司の不審死の現場に居合わせました。

前々から、「誰でもいいが、西洋の探偵小説にあるような、ネチネチとたくらみぬいた不可能犯罪でもやって見せぬかな。ミイがたちどころに乗り出して、謎を解いて進ぜるが」(上巻、86ページ)と言っていただけあって、藤木田老もこの事件の解決に大いに乗り気です。

1955年1月6日。亜利夫、久生、藤木田老、藍ちゃんは、10日前で目白の喫茶店「ロバータ」で約束しておいた通り、「アラビク」に集まりました。

ついに始まってしまった「氷沼家殺人事件」を解決するため、四者四様のそれぞれの推理を発表することになったのです。4人は熱い議論を交わしますが、結局真相は分からぬまま。

1955年2月6日。橙二郎、蒼司、藍司、藤木田、亜利夫、そして氷沼家に出入りしている業者の八田晧吉が集まり、徹夜で麻雀をしていた時のこと。

なんだかガス臭いということで、先に寝に行った橙二郎の部屋へ行き、合鍵で鍵を開けると、そこには驚きの光景が広がっていました。

 だが書斎に踏みこんで、灯りのスイッチを入れるが早いか、たちまち、部屋いっぱいに充満したガスの煽りで、皆あわてて廊下まで後退するほかはなく、案じられたように、そこは死の部屋に変っていた。一瞬のことであったが、誰の眼にも、器具栓も部屋の隅の元栓も全開にしたまま、音を立ててガスを噴出させているストーブと、ベッドの中で変にちんまりと身を縮めている橙二郎の姿が灼きつけられ、しろうと考えでもそれは死後数時間を経て、手のほどこしようもない印象だったが、事実それに間違いなかったのである。(上巻、303ページ)


単なる事故なのか、それともこれは何者かの手による「氷沼家殺人事件」の続きなのか? みなは頭を悩ませます。

やがて、祖父光太郎の妹、綾女が暮らしていた老人ホーム「聖母の園」で火災が発生し、100人近くが亡くなりました。

しかし、何故か収容人数と亡くなった人、助かった人の数があわず、一人分余計な遺体が見つかったのです。一体誰の死体なのか? そして、氷沼家の人々の死はいつまで続くのか――。

パリから帰国した久生のフィアンセ牟礼田俊夫も参加し、亜利夫、久生らは「氷沼家殺人事件」の解決を目指し、様々な推理合戦をくり広げていくのですが・・・。

はたして、思わぬ展開の連続の果てについに指摘された、意外な犯人とは一体!?

とまあそんなお話です。「三大奇書」というと構えて読んでしまいがちですが、自分のことを「ミイ」と言う藤木田老を筆頭に、かなりキャラ立ちした登場人物たちが熱弁をふるう、ユニークな作品。

名探偵気取りの人々が様々な事柄についてうんちくを傾ける姿はすごいと同時に、あまりに荒唐無稽すぎる感じもあってユーモラスです。

読んでいて楽しい作品ですが、交わされる議論は、ミステリーマニアにはたまらないようなかなりマニアックなもので、ミステリー初心者にはややきついでしょう。

過去の名作ミステリーのトリックが明かされても構わないから、とにかく『虚無への供物』を楽しみたいという人は、江戸川乱歩の推理小説論集である『幻影城』をそばに置いて読むといいかも知れません。

江戸川乱歩全集 第26巻 幻影城 (光文社文庫)/光文社

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『幻影城』は、海外古典ミステリについて様々なことが書かれたとても面白い一冊です。ミステリーの禁じ手、「ノックスの十戒」や「ヴァン・ダインの二十則」などについても載っていますよ。

明日は、小栗虫太郎『黒死館殺人事件』を紹介する予定です。
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