池波正太郎『剣客商売四 天魔』 | 文学どうでしょう

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天魔 (新潮文庫―剣客商売)/新潮社

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池波正太郎『剣客商売四 天魔』(新潮文庫)を読みました。

老中の田沼意次が幕府を牛耳っている江戸時代の中期を舞台に、秋山小兵衛とその息子大治郎という、剣の達人の活躍を描いた『剣客商売』のシリーズ第四弾です。

このシリーズは、悪い奴を秋山親子がこらしめるというパターンが多いのですが、悪事を暴くのがメインであって、強敵というのはあまり登場しないんですね。

印象に残っている敵キャラクターと言えば、『剣客商売二 辻斬り』に登場する、妖怪「小雨坊」にそっくりな男か、敵キャラクターとは少し違いますが、『剣客商売』に登場する、「まゆ墨の金ちゃん」こと三浦金太郎ぐらいのものでしょうか。

ところが、今作の表題作「天魔」では、かつてないほどの強敵が登場します。それは、秋山小兵衛の兄弟弟子の息子にあたる、笹目千代太郎という、見目麗しい青年剣士。

ムササビを思わせるほど、身のこなしが軽い千代太郎は、様々な道場へ出向いては、その独特の剣法で、流血沙汰を巻き起こしているんですね。

その千代太郎について、秋山小兵衛は息子の大治郎に、こんな風に語りました。

「あいつが行くところ、血を見ずにはおさまらぬのじゃ。それも無益の血がながれる。武術の試合をして、負けた者が死んだとて、こりゃもう、罪にはならぬ。ゆえに、千代太郎の好むままに血が流れるのじゃよ。わしもな、昨日、あいつが来たとき、ひとおもいに斬って捨てようか、とも考えた。しかし、それも、な。あいつの父親とは、むかし、しごく仲のよい友だちだったこともあるし……それに、大治郎。正直に申して、わしが果して、千代太郎に勝てるか、どうか……」
 名人・秋山小兵衛をして、この言葉を吐かせるとは、
「いったい、どのような男なのか?」
 それをおもうとき、秋山大治郎は勃然と、剣士としての闘志が燃えあがってくるのを、どうしようもなかった。(150~151ページ)


小兵衛ほどの剣の達人に、「勝てるか、どうか……」と言わしめた千代太郎。勿論、秋山親子と千代太郎との息詰まるような決戦が描かれていくこととなります。

小兵衛は今では清濁あわせ飲む洒脱な人柄ですが、元々は剣の道一筋に生きてきたような人物。少し堅物な所もある息子の大治郎は、それに輪をかけて、ひたすら剣だけに人生を捧げています。

剣の修業が人生の修業でもあるわけで、秋山親子は、言わば剣の道の王道を歩いて来たようなもの。

不思議と強敵として現れるのは、王道とはまったく正反対の、邪剣の使い手とも言うべき相手なのが面白いですよね。

並みの剣客ではない、一風変わった技を持つ千代太郎との戦いに、秋山親子はどう挑んでいくのでしょうか。

人間的に成長しつつあり、少しずつ小兵衛に似て来た大治郎の、様々な活躍からも目が離せない、シリーズ第四弾です。

作品のあらすじ


『剣客商売四 天魔』には、「雷神」「箱根細工」「夫婦浪人」「天魔」「約束金二十両」「鰻坊主」「突発」「老僧狂乱」の8編が収録されています。

「雷神」

ある日の昼下がり、料亭「不二楼」の離れ屋で仮暮らしをしている秋山小兵衛の元に、かつての弟子の落合孫六が訪ねて来ました。

孫六はわざわざ、「なれ合いの試合を、おゆるし下さいましょうか?」(10ページ)と師匠に断りに来たのです。

足軽だった孫六が、かつて仕えていた殿様の、奥方の甥に上田源七郎という28歳の剣客がいるのですが、その源七郎を武芸指南役として召し抱えたいということになったんですね。

そこで、その腕前を確かめるために立ち会う役目を、家中で剣の達人として知られている孫六が仰せつかったというわけです。

殿様の意向を受けた重臣に頼まれて、さりげなく源七郎に勝ちを譲れば、金五十両をもらえることになりました。

亡くなった妻の弟が苦しんでいる借金を返してやりたいことから、源七郎は八百長試合を引き受けようと思っているのです。

黙認することにした小兵衛でしたが、ひょんなことから、その試合の審判を引き受けることになってしまい・・・。

「箱根細工」

兄弟弟子である横川彦五郎が、病で苦しんでいると知った秋山小兵衛は、息子の大治郎に見舞金を持たせて、相模の国(現在の神奈川県)へ旅立たせました。

箱根に湯治へ行っていた彦五郎は、わりあい元気そうな様子で、「小兵衛がくれた金なら、うれしゅういただこう」(50ページ)と素直に見舞金を受け取ってくれました。

すっかり打ち解けた彦五郎と大治郎。その同じ宿に、どうやら腕の立つらしい浪人者が泊まっていました。大治郎と浪人は、お互いに気配でそう分かったのです。

話をするのも一興だと思った大治郎は湯船で話しかけたのですが、相手は何も答えません。しかし、ほんのわずかに反応した様子が、少し気になります。

「どうも、私の名を知っていたようだが……私には、見おぼえがない」(53ページ)と不思議に思う大治郎。

やがて、大治郎は、宿の別棟に泊まっていた桔梗屋徳右衛門夫婦が乗った駕籠が、襲われている現場に遭遇して……。

「夫婦浪人」

秋山小兵衛は、馴染みの居酒屋「鬼熊」へ寄りました。聞くつもりもなかったのですが、他の客の声が耳に入って来ます。

「そんな、ひどいこと、いわなくてもいい」
「うるさいな。もう、よせ」
「だって、ひどい……」
「いいかげんにしてくれ。お前とおれとは、もう十五年もいっしょにくっついているのだ。もう飽き飽きした。たくさんだ」
「ひどい。あまりに、ひどい……」
 こう書いてみると、どうしてもこれは、別ればなしでもめている男女の会話におもえる。
 ところが、そうではないのだ。
 小兵衛の先客だった中年の二人の浪人者が、衝立障子の向うで語り合っている声なのである。(87ページ)


自分はひどい身なりをしていても、一緒に暮らしている稲田助九郎にはさっぱりとした身なりをさせ、並みの女房以上になにかと面倒を見てやる山岸弥五七。

ところが、どうやら助九郎には他に好きな男が出来たらしいんですね。可哀想に思ったこともあり、小兵衛は弥五七と親しく交流するようになりました。

やがて、助九郎が思わぬ出来事に巻き込まれることとなり・・・。

「天魔」

秋山小兵衛の所へ、27、8歳の若い侍が訪ねて来ました。

5年ほど飛彈の山奥で修業し、3年ほどは諸国を放浪し、江戸へ戻って来たというその若い侍の名は、笹目千代太郎。

兄弟弟子の子供なので、幼い頃から千代太郎のことを知っている小兵衛ですが、思わず、「とんでもない奴が、舞いもどって来たものじゃ」(144ページ)と呟きます。

千代太郎はそれから剣術道場を荒らし回り、立ち会った何人かが命を落としました。

とにかく体が軽く、ひょいと飛んで攻撃して来るので、並みの剣客では到底太刀打ち出来ないのです。

やがて、小兵衛の元へ果し合いの手紙が届きます。小兵衛は立会人として大治郎に一緒に来てくれるよう頼みました。

60歳を越え、力の衰えを感じざるを得ない小兵衛は、もしかしたら命を落とすかも知れないと、そう覚悟を決めているようです。

しかし、大治郎が思わぬことを言い出したのでした。

「ぜひとも、私を先に……」
「ならぬ」
「いえ、私、実は、父上から、くわしくうかがいました笹目千代太郎の剣に、ここ数日、毎日のように相対しておりました。金子道場で門人方の稽古を見ている間にも……」
「ふうむ……」
「闘ってみたいと存じます。生死は別のことにして、これは修業中の私が、ぜひとも為すべきことではないでしょうか」
「ふうむ……」
「私が殪れましたら、後は、父上におねがいいたします」(181ページ)


こうして、大治郎と千代太郎が刃を交えることとなったのです。はたして、勝負の行方は?

「約束金二十両」

田沼意次の妾の子であり、秋山親子と親交を結んでいる佐々木三冬は、ある時、不思議な立札を見かけました。

「剣術の極意をきわめし我におよぶもの、おそらく天下にあるまじき候」(191ページ)と書かれ、金三両を賭ける立ち会いへの挑戦者を求めた立札です。

立札によると、書いたのは雲弘流の平内太兵衛、62歳。

剣の腕に覚えのある三冬は、たまたま会った秋山大治郎と連れ立って、その老剣客の元へ行ってみました。

すると平内太兵衛は、立ち会う前にこれを見よと言って、二人に自分の剣の腕を見せます。

 太兵衛の腰間から六尺の大剣の光芒が秋の日にきらめいたかとおもうと、つぎの瞬間には、びいんと鍔鳴りの音も高く、鞘へおさめられていたのである。
 同時に、ぱさっと音がして、庭の柿の木の一枝が実をつけたまま、太兵衛の超長刀に切り落され、三冬と大治郎の目の前へ飛んで来た。
 二人とも、息をのんだ。
 たしかに、抜いたのも鞘へおさまったのも見た。
 しかし、どうして、自分の背丈よりも長い太刀を抜き、腰の鞘へおさめたのか、そこが、三冬にも、大治郎にも、
(見えなかった……)
 のであった。(200ページ、本文では「びいん」「ぱさっ」に傍点)


そうして大治郎は戦うまでもなく、立ち会い料三両を取られてしまったのでした。

その不思議な老剣客の話を聞いた小兵衛が、今度は出かけて行って・・・。

「鰻坊主」

鯰(なまず)を食べて体調を崩した父、小兵衛を見舞った帰り道、秋山大治郎は雨宿りで居酒屋「鬼熊」に寄りました。

するとそこへ、旅の坊主やって来て、「この家の前に、金五十両、落ちていたが……」(242ページ)と袱紗(ふくさ)包みを「鬼熊」のおしんに渡します。

やがて落とし主がやって来て、拾ってくれたお礼に、拾い金の一割、小判五枚を坊主に渡しました。

落とし主と坊主が出て行って、おしんがふと気が付くと、大治郎の姿がありません。

「おや……お帰りになったのかしら?」(246ページ)と思いますが、小兵衛が馴染みなので、勘定のことは気にかけません。

しばらくして、坊主を探しに四人の男たちが戻って来ました。どうやら、金五十両は坊主の嘘だったようです。礼金だけを騙し取って行ったんですね。

一方、帰りを急ぐ坊主の前には、「見たよ。おぬしの騙りをな」(252ページ)と大治郎が現れて・・・。

「突発」

秋山小兵衛には、お気に入りの煙管(キセル)がありました。まだ紙巻煙草がなかった時代ですから、煙管自体によって随分と煙草(タバコ)の味が違うんですね。

お気に入りの煙管を妻おはるの父親にあげてしまったものですから、新しいのを作ってもらおうと、名人と名高い煙管師、友五郎の元を訪れることにしました。

その道の途中で小兵衛は、顔見知りの医者の山口幸庵が、争いに巻き込まれて死ぬ現場に居合わせます。

幸庵は、「おた、よ……あ、おたよに……」(307ページ)とだけ言い残して、死んでしまいました。

友五郎の家へ行くと、友五郎は死病で伏せっているとのこと。ところが、その妻のおたよは、ことの後のように艶めかしい様子をしていたのです。

小兵衛は、幸庵が死ぬ前に呟いていた名前を思い出し、おたよと幸庵がひそかに関係を持っていたのではないかと疑うようになって……。

「老僧狂乱」

出稽古の指導を終えて帰ろうとしていた秋山大治郎は、橋の欄干から、川面をじっと見下ろしている老人に気付きました。

7年ほど前に、旅先で体調を崩していたのを助けてくれた、無覚和尚に違いありません。

その時のお礼を言おうと思い、近寄って行くと、なんと思いつめた様子の無覚和尚は、そのまま川に飛び込んでしまったのでした。

無覚和尚を助け、よくよく話を聞いてみると、お寺の修繕するために集めたお金を百両、盗まれてしまったというんですね。

大治郎から話を聞いた小兵衛は、「大金を盗まれた和尚が、これを、お上にも届けずして、町人の風体となり、大川へ身を投げたという……」(334ページ)と呟き、妙な話だと首を傾げます。

信頼出来る人だというので、無覚和尚のために、小兵衛は百両をなんとか用意してやったのですが……。

とまあそんな8編が収録されています。やはり強敵との戦いが描かれた「天魔」が面白いですが、わりと印象に残るのは、「箱根細工」ではないかと思います。

色んな意味で親子の絆が描かれた作品で、「箱根細工」の意味が分かった時は、思わずにっこりさせられてしまいました。

大治郎が少しずつ小兵衛に似て、人間として大きくなっていくのもこのシリーズの魅力なのですが、「鰻坊主」では、雨宿りとは言え、ついに居酒屋で酒を飲むようになりました。

「父上が見たら、どんな顔をなさるだろうか……?」(238ページ)と苦笑しながら、あの生真面目な大治郎が酒を飲むのです。

そんな大治郎も、小兵衛の友達の小川宗哲からからかわれるくらい、女性に対してはまだうぶなのが、とてもユーモラス。

秋山親子の活躍から目が離せないこのシリーズ。興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

ぼくもこれから、少しずつ読み進めていく予定でいます。

明日は、吉村昭『桜田門外ノ変』を紹介する予定です。