池波正太郎『剣客商売二 辻斬り』 | 文学どうでしょう

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辻斬り (新潮文庫―剣客商売)/新潮社

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池波正太郎『剣客商売二 辻斬り』(新潮文庫)を読みました。

何度もドラマ化されていることでも有名な、『剣客商売』シリーズの第二弾です。

前巻を紹介してから、ちょっと間が明いてしまいました。

シリーズものを紹介する時は、いつも迷うのですが、そのシリーズを紹介するという点においては、1巻を取り上げた時点でもう、ぼくの役目は終わっているわけです。

なので、取り上げるかどうかをちょっと迷っていたんですが、少しずつ続巻も取り上げて行こうと思っています。ざっくりした内容を知るのに役立てば幸いです。

さてさて、『剣客商売』というのは、老中の田沼意次が幕府を牛耳っている江戸時代の中期を舞台に、秋山小兵衛とその息子大治郎という、剣の達人の活躍を描いた連作小説のシリーズ。

40歳も年下で、19歳のおはると結婚し、隠居生活を楽しむ洒脱な老人小兵衛と、まだ女を知らず、堅物な大治郎という、まったく対照的な親子。この2人が何とも魅力的なんです。

凄腕なのにおおらかな様子の小兵衛は非常にユーモラスなキャラクターですし、大治郎は生真面目すぎるところはありますが、その内、大人物に成長しそうな、そういう片鱗が見えます。

様々な出来事に巻き込まれてしまう小兵衛と大治郎親子ですが、そのずば抜けた剣の腕で問題を解決していきます。

そうそう、もう一人忘れてはならないのが、佐々木三冬という美貌の女剣士。田沼意次と妾の間に生まれた子供なのですが、とにかく剣術が大好きで、男装して熱心に修業に励んでいます。

いやあ、読んでいて改めて思いましたが、このシリーズの一番の魅力は、肩の力を抜きながら読めることにあるのではないでしょうか。

特に純文学がそうですけども、凝った文体や、或いは波瀾万丈の物語というのは、読者をある種の緊張状態に置くものなんです。

勿論それは悪いことではなくて、そうした張りつめた気持ちで読むことの醍醐味があるわけですが、このシリーズはそうした感じとはまさに正反対。

それぞれの短編が切れ味鋭く面白いかと言えば、ストーリーだけで言ったらそれほどでもありません。

むしろあまり印象に残らない話が多いくらいで、読者の心を動かす、優れた時代小説なら、他にもたくさんあります。

ただ、小兵衛と大治郎、そして三冬が物語世界に登場し、物語が進んで行くだけで、その物語世界に没頭させられてしまうんですよ。

気が付けばいつの間にか一冊読み終わってしまっているという、そういう不思議な魅力のあるシリーズです。

料理でたとえるなら、ステーキやカツなどがっつりしたものではなく、お茶漬けとも言うべきさらさらした感じ。さっと食べれて、胃にもたれません。

何度食べても飽きず、何かあると結局戻って来てしまうお茶漬け。

そんな感じで、気軽に味わえる読みやすいシリーズなので、「時代小説ってなんだか難しそうだなあ」と抵抗がある方にも、おすすめです。

作品のあらすじ


『剣客商売二 辻斬り』には、「鬼熊酒屋」「辻斬り」「老虎」「悪い虫」「三冬の乳房」「妖怪・小雨坊」「不二楼・蘭の間」の7編が収録されています。

「鬼熊酒屋」

本所・横網町にある居酒屋「鬼熊」の亭主、熊五郎は気に入らぬ客が来れば、「お前にのませるものは、水のひとしずくもねえよ」(8ページ)と追い返してしまうほどの豪の者。

その剣幕から、客からも恐れられる存在ですが、出て来る料理がとにかく安くてうまいということで、繁盛はしなくとも、長年にわたってお店を続けていられます。

秋山小兵衛も「鬼熊」にたまに顔を出していたのですが、ある時浅茅ケ原の草むらで、熊五郎が草をつかんでのたうちまわっている姿を目撃してしまいました。

苦しみ、腹をおさえながらよろよろと去って行く熊五郎。小兵衛は「たしかに、熊五郎の爺いめ、重い病気にかかっている」(16ページ)と見抜きます。

家には娘夫婦もいるのですから、病気ならば、どうして看病してもらわないのでしょう?

定期的に浅茅ケ原に出かけて行っては、一人で苦しみに耐えている熊五郎を見て、小兵衛は放っておけなくなり・・・。

「辻斬り」

夜の道に、小兵衛の提灯だけが灯っています。小兵衛は道の先に殺気を感じ取りました。

 先刻もそうだったが、いまも、前方の闇が殺気にふくらむのを小兵衛は知った。
(む、今度は……)
 直感したとたんに、突如……。
 闇の幕が裂け、するどい太刀風と大兵の男が、矮軀の小兵衛を押し潰さんばかりに襲いかかった。
 ぱっと、小兵衛の体が変って、
「辻斬りか?」
 叩きつけるようにいったとき、小兵衛の手の提灯は消えていなかった。(52~53ページ、本文では「ぱっ」に傍点)


襲い掛かって来た三人を打ち倒し、息を吹きかえした三人のあとを小兵衛がつけていくと、三人が帰って行ったのは、神田駿河台の旗本屋敷でした。

「直心影の剣術が自慢で、六尺あまりの大男」(56ページ)である千五百石の直参・永井十太夫が、剣のためし斬りのためか辻斬りをしていると知った小兵衛と大治郎親子はひそかに動き出して・・・。

「老虎」

大治郎は大川橋の上で、懐かしい人に会いました。武者修行で諸国を回っていた頃にしばらくお世話になっていた老剣客、山本孫介です。

孫介は、「この夏に、江戸見物へ出たせがれめが、まだ帰って来んので、心配になり、探しに出て来たのよ」(87ページ、本文では「せがれ」に傍点)と、はるばる江戸までやって来た理由を告げました。

孫介の息子の源太郎は怪力の持ち主で、枝が屋根に押しかぶさって来たのを見ると、「あの柿の木が、邪魔になったのう」(91ページ)と呟くや否や、巨大な柿の木を引き抜いてしまったほど。

江戸へ腕試しに出かけた源太郎ですが、剣術を中心に、様々な武術を学ぶ四天流の達人ですから、滅多なことで命を落としそうにもありません。

しかし、ずっと連絡がないのは気がかりです。源太郎の身に、一体何があったのでしょうか。

孫介のあとをつけている不審な男たちをつかまえて、どこから来たのか吐かせてみると、江戸で有名な無眼流の達人、森川善武の道場から来たことが分かりました。

源太郎が森川道場と揉めたと見て、大治郎らは森川道場について調べ始めて・・・。

「悪い虫」

どこかの商家の手代と見える若者が、ごろつきにからまれているのを大治郎は助けてやりました。

するとその帰り道、誰かがあとをつけてきているようです。「たしかに、つけて来ている。だが……だが、別に、殺気は感じられぬ」(141ページ)と大治郎は不思議がります。

翌日になると、25、6歳ほどの又六というみすぼらしい恰好をした男がやって来て、「わ、悪い奴に、ばかにされたくねえから……」(143ページ、本文では「ばか」に傍点)剣術を教えてくれと頼みます。

どうやら、昨日大治郎の剣の腕前を目撃して感服し、あとをつけて来たのはこの又六だったようです。

又六は「四年の間、酒一本のまず、煙草ものまずに」(147ページ)必死で貯め込んだ五両(本文によると、現代の五、六十万円)を持って来て、十日ほどで強くなりたいと無理なことを言うんですね。

鰻(うなぎ)の辻売り(道で商いをすること)をしている又八には、腹違いの兄がいるのですが、この兄がなんとも悪いやつで、金がなくなるとやって来ては、売り上げをかっぱらっていってしまうのです。

強くなりたいという気持ちは分かりますが、短期間で強くなることは不可能ですから、大治郎は断ろうとします。

しかし、その話を聞いた小兵衛は、「わしが、手つだってやってもよい。うふ、ふふ……」(148ページ)と何か考えがあるらしき笑みを浮かべて・・・。

「三冬の乳房」

佐々木三冬が自宅に帰るために夜道を歩いていると、異様な物音が聞こえます。

誰かが駕籠(かご)で人をさらおうとしているようです。三冬はすぐさまその駕籠を止めたはいいものの、物騒な男たちに取り囲まれてしまいました。

「こいつめ!!」
 大男が、三冬の正面から片手の棍棒を打ちこもうとしたとき、佐々木三冬は反転して、背後の曲者の胴を抜き打ちに撃ちはらった。
「ぎゃあっ……」
 もちろん峰打ちであったが、こやつは魂消るような悲鳴を発して転倒する。
 三冬が、突風のごとくうごいた。
「うわ……」
 たちまちに別の一人が、もんどりをうって転げ倒れる。(179ページ)


悪人たちを打ち倒し、三冬が駕籠の中を改めると、目かくしに猿ぐつわ、両手両足を縛られた娘が乗っていました。

それは山崎屋という問屋の娘のお雪でした。三冬から相談を受けた秋山親子は、このかどかわし事件の真相に迫って行きます。

一方、お雪は自分を助けてくれた容姿端麗な三冬の顔を見ると、顔を赤らめるようになって・・・。

「妖怪・小雨坊」

「画図・百鬼夜行」の中の「小雨坊」にそっくりな不気味な男が、秋山親子の周りをうろつくようになりました。

 ぬけあがった薄い髪をくびのあたりへたらし、大きく張り出した額には、いくつもの凹凸がある。眉毛はほとんどなかった。額の下に買の破片のような両眼が光っていた。
 そして、鼻がない。鼻の穴だけが見えた。
 雪ふる中に顔の色が、紙のごとく白い。
 まさに、絵本の小雨坊そのままといってよいが、その男は僧形ではなかった。
 よれよれの灰色の着物、黒い袴をつけ、大小の刀を腰に帯していたのである。(224ページ、本文では「くび」に傍点)


どうやらその「小雨坊」は、大治郎に恨みを持つ人物と関わりのある者らしいことが分かります。

驚くほどの剣の腕前の「小雨坊」に、身の危険を感じた小兵衛はおはるを実家に帰しました。その直後、案じていた通り、家が何者かに燃やされてしまいます。

「小雨坊」が一体何者なのか、ひそかに探る小兵衛は、やがてその驚くべき正体を知ることとなって・・・。

「不二楼・蘭の間」

家を焼かれてしまった小兵衛は新しい家が建つまでの間、馴染みの浅草・橋場の料亭「不二楼」の奥の離れにお世話になっています。

奥座敷の蘭の間で男女が密談をしているのを、小兵衛は好奇心から、「障子外の土間に接した雪隠(便所)」(270ページ)で聞いてしまいます。

どうやら二人は、御家人(将軍の家臣で、将軍にお目通りが適わない身分のこと。旗本よりも低い)の横川鉄五郎とその養子の小金吾を殺害し、金を奪う計画を立てているようです。

鉄五郎はがめつい老人で、高利を取る金貸しをひそかに行っています。

何を隠そう小兵衛も大治郎への仕送りのために、鉄五郎から金を借りて高利に苦しめられたことがあり、鉄五郎が殺されても何とも思いませんが、小金吾が巻き添えになるのは可哀想です。

かつての弟子で、今は御用聞き(町奉行の捜査の手伝いをする仕事)をしている弥七の手を借りて、鉄五郎の周辺を洗い、密談していた男女が何者なのかを突き止めようとする小兵衛。

しかしは何か考えがあるらしい小兵衛は、何事かを弥七の耳にささやき、「わしもこれで、ずいぶんと悪い奴じゃな」(295ページ)とくすくす笑います。

はたして、小兵衛が思いついたこととは一体?

とまあそんな7編が収録されています。一番面白いのはやはり「妖怪・小雨坊」でしょう。

小雨坊も本当に妖怪なわけではないので、まあ可愛そうなやつなんですが、とにかく残虐な性質を持つ、恐るべき人物。

夫婦を襲って男を殺し、女房の方は散々なぶりものにした後、薄皮一枚すーっと切って気絶するのを見て楽しむという、そういう、もうとんでもないやつなんです。

恐るべき敵に狙われてしまった秋山親子の運命から目が離せません。

とりわけ印象に残る作品は、「悪い虫」です。

乱暴者に好き勝手されて、強くなりたいけれどそう簡単に強くはなれない、そういう又六の苦しい状況を描いた短編ですが、現代のいじめ問題と、テーマ的には重なる部分もありますね。

秋山親子の教えというのは、単純に真似出来ることではありませんが、相手にどのように立ち向かうかはすべて自分次第という点では、参考になる部分があるかも知れません。

剣術の道は険しいのだという大治郎と又六のやり取りがユーモラスなので、紹介しておきましょう。

少なくとも十年はかかる大治郎が言うと、又六は仰天します。仰天した又六に、大治郎はこう続けます。

「まあ、待て。そこでな、十年やって、さらにまた十年やると、今度は、相手の強さがわかってくる」
「へへえ……そんなら、おれ、もう、わかってる。けれど何としても、その野郎を負かしてえのです」
「それからまた、十年やるとな……」
「合わせて、さ、三十年もかね……」
「そうだ」
 にやりと、うなずいて大治郎が、
「三十年も剣術をやると、今度は、おのれがいかに弱いかということがわかる」
「そ、それじゃあ、何にもなんねえ」
「四十年やると、もう何がなんだか、わからなくなる」
「だって、お前さん……いえ、せ、先生は、まだ、おれと同じ年ごろだのに……」
 大治郎は苦笑した。
 いまいったことは、父・秋山小兵衛のことばの受け売りだったからである。(150ページ)


落語のようなオチがついてしまいましたが、剣術に限らず、何か一つのことを極めようとしたら、本当にこういうものかも知れませんよね。

修業に一心不乱に打ち込めば打ち込むほど、そして腕前が上達すればするほど、難しさが見えて来るものなのだろうと思います。

でも、そういう風に簡単に完成にたどり着かないからこそ、打ち込む甲斐があるわけですね。

適度にユーモラス、適度に艶っぽく、剣での戦いはかっこいい、そんな作品です。

それぞれの短編は独立していますが、物語の大きな流れがあるので、やはり1巻から順番に読むことをおすすめします。

明日は、雪花山人『猿飛佐助』を紹介する予定です。