池波正太郎『剣客商売』 | 文学どうでしょう

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剣客商売 (新潮文庫―剣客商売)/新潮社

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池波正太郎『剣客商売〈新装版〉』(新潮文庫)を読みました。

今回紹介する『剣客商売』は、『鬼平犯科帳』と並ぶ池波正太郎の人気シリーズです。ちなみに、ぼくが一番好きなのは、『仕掛人・藤枝梅安』シリーズなんですけどね。

もううろ覚えなんですけど、『剣客商売』は昔、シリーズの半分くらいまでは読んだことがあります。あれ、全部読んだんだっけな? 番外編とかも読んだような読んでないような。う~ん・・・。まあいいか。

さてさて、『剣客商売』は、何度もドラマ化されていることでもお馴染みですね。

ドラマを見た世代によって、秋山小兵衛役を演じる役者に対する思い入れなど、色々変わって来るかとは思いますが、最近だと、北大路欣也が演じるスペシャルドラマが放映されていました。

ぼくはたまたまそのドラマを見たんですが、そうするとやっぱり原作が読みたくなるもので、つまりまあそういうわけで読んでみました。

まず、『剣客商売』だなんて、面白いタイトルだと思いませんか? 「商売」というのは売ったり買ったりする商いのことですから、「ビジネス」的な言葉です。

それに対して、「剣客(けんかく)」というのは、剣の道に生きる人のことですから、それは本来「生き様」に近い言葉のはずです。

戦がなくなり、「剣客」が生き方ではなく、「ビジネス」としか成り立たなくなった江戸時代。ただ強いだけでは食べていけません。

「剣客商売」という矛盾を抱え込んだ言葉には、いくぶんかの滑稽味と、そして一抹の寂しさがあるように思います。

さて、『剣客商売』は、老中の田沼意次が幕府を牛耳っている江戸時代の中期を舞台に、秋山小兵衛とその息子大治郎という、剣の達人の活躍を描いた連作小説です。

この作品の魅力というのは何よりも、この親子の人間的魅力にあると言っても過言ではないんですが、もう物の見事に対照的な2人なんです。

2人とも無外流の剣の達人なんですが、父親の小兵衛は59歳で隠居している身にもかかわらず、19歳のおはるという下女に手をつけるなど、ちょっとくだけた、まさに清濁併せ呑むような人柄なんです。

一方、諸国を放浪して修業積み、今は小さな道場を開いている24歳の大治郎は、もうまさに剣の道一筋という感じの、真面目でかたい人柄なんですね。

まだ女性を知りませんし、やわらかさ、ゆとりに欠ける部分がありますから、道場はいつまで経っても流行しません。実直で不器用な男なんです。

秋山親子はふとしたことから、男装の美女で剣の腕が立つ佐々木三冬と出会い、大きな陰謀に巻き込まれていくこととなります。三冬は実は、田沼意次の妾の子で・・・。

一話完結という形式なので、わりと読みやすい時代小説なのではないかと思います。適度なちゃんばら、適度な艶っぽさのある、面白いシリーズですよ。

作品のあらすじ


『剣客商売』には、「女武芸者」「剣の誓約」「芸者変転」「井関道場・四天王」「雨の鈴鹿川」「まゆ墨の金ちゃん」「御老中暗殺」の7編が収録されています。

「女武芸者」

父親の秋山小兵衛に十五坪の道場を建ててもらった秋山大治郎は、この所、朝も夜も根深汁(ねぎの味噌汁)と大根の漬物だけを食べて暮らしています。

道場を開いたはいいものの、門下生は一人もいません。門下生がいなければ、すなわち収入がないわけで、大治郎はなかなかに苦しい生活を強いられているんですね。

そんな大治郎の元へ、大垣四郎兵衛と名乗る中年の侍がやって来ました。大垣は不思議な依頼をします。「人ひとり、その両腕を叩き折っていただきたい。切り落すのではない。両腕の骨を折っていただきたい」(11~12ページ)と。

「当時の庶民が、らくらくと五年を暮らすことのできる大金」(12ページ)の五十両でどうかと頼まれますが、お金に困ってはいても、真面目でまっすぐな大治郎は、その話をきっぱりと断ってしまいました。

息子からその話を聞いた小兵衛は、ちょっと気になって、かつての弟子で今は御用聞き(町奉行の捜査の手伝いをする仕事)をしている弥七の力を借りながら、陰謀の裏側を探っていきます。

すると、田沼意次の妾の子、佐々木三冬が旗本の永井家に狙われていることが分かりました。

19歳の三冬と永井家の息子との間に、縁談が持ち上がっているんですが、腕に覚えのある三冬は、自分よりも強い人の所でなければ嫁に行きたくないと言っているんですね。

永井家の息子は剣の腕はありませんから、縁談がうまく進むように、やむをえず三冬を痛めつけようというわけです。

ある時、三冬は何者かに襲われてしまいました。どれだけ剣の腕が達者でも、いきなり投網で捕えられてしまったものですから、どうしようもありません。

体中を棍棒で打ちのめされ、気絶してしまい、絶体絶命の三冬。両腕を折られそうになってしまいますが・・・。

「剣の誓約」

大治郎の道場に、嶋岡礼蔵という老武士が訪れました。小兵衛の弟弟子であり、大治郎にとっては第二の師のような存在です。

大治郎は15歳の時から5年間、小兵衛と礼蔵の師でもある辻平右衛門の元で剣の修業に励んだんですが、平右衛門と一緒に面倒を見てくれたのが、礼蔵だったんですね。

礼蔵は、「大治郎。こたびは、おぬしにわしの、死に水をとってもらわねばならぬ」(69ページ)と言います。かつて10年後の再戦を約束した相手と、真剣勝負をしなければならないからです。

相手がどれほど腕をあげているだろうかと考え、礼蔵は年を取ったこともあり、自分の死を覚悟しているんですね。大治郎は立会人をつとめることになって・・・。

「芸者変転」

小兵衛は馴染みの料亭で、女中から不穏な話を聞きます。山田勘介という御家人が、御側衆の石川甲斐守をゆする相談をしていたと。

小兵衛は、その陰謀の謎に迫っていきますが、日常生活の方がなかなかに大変で、手を付けてしまってから夫婦同然に暮らしていた下女のおはるが、祝言(婚礼)をしてくれと迫るようになったんですね。

それというのも、縁があって知り合いになった女武芸者の佐々木三冬が、頻繁に小兵衛の元を訪れるようになり、おはるは三冬に対して、激しく嫉妬するようになったからです。はたして・・・。

「井関道場・四天王」

三冬が小兵衛に相談事を持って来ます。三冬が稽古を積んでいるのは、井関道場なんですが、主の井関忠八郎は2年前に亡くなってしまっています。

それからというものの、三冬を含む井関道場の四天王が力をあわせて道場を運営して来たんですが、最近になって、誰が跡を継ぐかで揉めるようになってしまいました。

腕は立つが人望はない者、人望はあるけれど実力はそれほどではない者、誰が継ぐにしても一長一短で困っているわけです。相談を受けた小兵衛は・・・。

「雨の鈴鹿川」

ある事情があって、大治郎は旅をしています。雨が降っていて、宿のお客は少ないようです。

 明日は雨でも出発するつもりの秋山大治郎である。雨なら雨、雪なら雪で、難儀の旅をすることは、
(自分の心身を鍛えることになる)
 と信じている大治郎だから、いささかも苦にならぬ。
 ところが、この夜は、別の難儀が大治郎を待ちかまえていたのだ。
 大治郎のねむりは深かった。その深いねむりが破られた。隣室の男女のまじわりが、あまりにも烈しすぎたからである。(210~211ページ)


女が無我夢中でなにかを叫ぶと、男は「またしても、あね上は、敵の名を……おのれ、おのれ……」(212ページ、本文では「あね」に傍点)と怒りながらも、女と交わっているようです。

隣室の男女の複雑そうな事情に首を傾げる大治郎。旅を続ける大治郎は、かつて同じ師の元で修業をしたことがある井上八郎と再会しました。

井上八郎は、事情があって、ある人物を守らなければならない立場にいるんですね。その人物は、上役を斬って逃げ、その妻と弟に追われているそうです。

思い当たることのある大治郎は、やがてその敵討ちに巻き込まれていって・・・。

「まゆ墨の金ちゃん」

奥山念流の道場を構えている牛堀九万之助の元へ、かつて道場に通っていた三浦金太郎がやって来ます。三浦が入って来ると、部屋の中には白粉の香りが漂いました。

遊び人のような生活をしている28歳の三浦は、口紅をさし、眉墨をつかい、甲高い声で話し、なよなよした動作をすることから、「女男」などと陰口をたたかれたりしています。

しかし、天才的な剣の腕の持ち主なんです。その三浦は、牛堀が最近秋山小兵衛と仲がよいと知って、忠告に来てくれました。大治郎を恨んでいる人間がいて、命が危ないというんですね。

三浦は内山又平太という凄腕の剣客から、大治郎の暗殺計画に誘われたんです。大治郎を斬れば、依頼人から金五十両が貰えます。

牛堀は小兵衛に息子さんの命が危ないと言いに行きますが、小兵衛の返事は思いも寄らぬものでした。

「それはどうも、わざわざ、まことにもってありがとう。あなたの御親切は身にしみてうれしい。だが、牛堀さん。これは大治郎がことだ。大治郎もひとり前の剣客となるためには、こうしたことを一つ一つ、おのれのちからで片づけて行かねばなるまいし……また、それがために死んだとしても、これはもう仕方のないことではないか」(267ページ、本文では「ひとり前」「ちから」に傍点)


冷酷ともとれる小兵衛の言葉。まさに獅子が我が子を谷底へ突き落すような仕打ちです。

しかし、口ではそう言い、そう覚悟しているものの、やはり平静な気持ちではいられず、おはるの夜の求めにも応えられません。

一方、三浦は手出しはしないつもりで、内山について大治郎の元を襲いますが・・・。

「御老中暗殺」

三冬は町中で田沼家の御膳番をつとめる飯田平助の姿を見かけました。歯抜けのタヌキのような風貌の飯田はスリにあってしまいます。

三冬はその間抜けさに笑いながら、スリを懲らしめて紙入れ(財布)を取り返してやりますが、その紙入れの中には、飯田の身分には不相応な大金と、薬を包んだ紙が入っていました。

三冬から相談を受けた小兵衛が、医者の友人、小川宗哲にその薬を見てもらうと、案じていた通り、それは毒薬であることが分かります。

食事に毒を入れ、老中の田沼意次を暗殺しようという計画が練られているに違いありません。黒幕は一体誰なのか? 小兵衛は陰謀に潜む真相を追っていって・・・。

とまあそんな7編が収録されています。では、感想を少しだけ。「女武芸者」はこのシリーズの顔とも言える作品ですが、武芸一筋で男装している美女というのは、なんだかそれだけで魅力的ですよね。

佐々木三冬は強さと人柄に惹かれて、小兵衛の元へよく通って来るんですが、そんな三冬が誰と結ばれることになるのか、気になりますよね。三冬を打ち負かすくらいの強い男は現れるのでしょうか。

「剣の誓約」では、戦いたくなくても戦わざるをえないという状況が描かれます。それは何故かというと、剣客だからですね。

決闘は、勝てば終わりではないんです。勝てば勝つほど恨みは増え、復讐心に燃えて修業を積んだ相手と再び戦わねばなりません。それが剣客の業(ごう)というものです。

剣客としての生き様が描かれ、しかもそれが単なる決闘の話にならない所に、話としての巧みさがあります。剣客人生の皮肉さが浮き彫りになる短編です。

「井関道場・四天王」では、剣客として生きていく難しさがよく出ています。道場をいかに運営するかですが、ただ剣の腕が立って、弟子を厳しく指導すればいいというものでもないんですね。

弟子にとっては、腕はそれほどでもなくても、やさしく丁寧に教えてくれる人の方を慕ったりもするわけです。そこにビジネスとしての道場運営の難しさがあります。

この本の中で最も面白いのは、「まゆ墨の金ちゃん」です。何事でもそうですが、ギャップがあるものに人は惹かれるものです。

女っぽい恰好をしてなよなよしていて、おまけにぶらぶら遊んでばかりいる三浦が、実は天才的な剣の腕の持ち主というのが、もうたまらなくいいじゃないですか。

話は思いも寄らない方向に展開していきますが、ちょっと鳥肌立つような話ですね。三浦が牛堀に頼んだあることが、とても印象に残ります。

読みやすく面白い時代小説の連作です。興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。ぼくも少しずつ続巻を読んでいこうと思っています。

明日は、ロバート・A・ハインライン『宇宙の戦士』を紹介する予定です。