H・G・ウェルズ『モロー博士の島』 | 文学どうでしょう

文学どうでしょう

立宮翔太の読書ブログです。
日々読んだ本を紹介しています。

モロー博士の島 (創元SF文庫)/東京創元社

¥567
Amazon.co.jp

H・G・ウェルズ(中村融訳)『モロー博士の島』(創元SF文庫)を読みました。

最近ぼくがH・G・ウェルズの小説を面白いなあと思うのは、かつてストーリーだけを楽しんで読んでいた時とは少し違っていて、作品の中に人間社会に対するすぐれた諷刺がある所なんです。

諷刺というのは、滑稽味を持たせたりしながら、あることを批判的に描くことですけれど、たとえば、『宇宙戦争』はタコ型の火星人が地球を侵略しに来るという物語でしたね。

宇宙戦争 (ハヤカワ文庫SF)/早川書房

¥580
Amazon.co.jp

火星人の姿はとてもグロテスクなものですが、それは同時に、我々地球人のありうる未来の姿かも知れないわけです。

道具や機械に頼りすぎると、肉体はどんどん退化していってしまい、タコ型地球人の出来上がりです。そうなってはいけないよという、警鐘を鳴らす物語でもあるわけですね。

タイムマシン』では、はるか未来の80万2701年の世界が描かれます。そこには人類の進化の2つの姿がありました。

タイムマシン (光文社古典新訳文庫)/光文社

¥720
Amazon.co.jp

貴族やお金持ちなどの特権階級は地上で暮らすイーロイ人に、労働者階級は地下に生息する獣のようなモーロックに進化したんです。

単に人類が二分化しているだけではなく、そのことによってちょっと怖ろしいことが起こったりもしています。どんな怖ろしいことが起こっているのか興味のある方は、ぜひ読んでみてください。

さて、今回紹介する『モロー博士の島』は、孤島に住む科学者のモロー博士が、動物を手術して、限りなく人間に近い存在にしようとする物語です。

よく比較されることの多い作品は、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』で、こちらは人間の死体から新たな人間を作ろうとするお話でしたね。

フランケンシュタイン (光文社古典新訳文庫)/光文社

¥820
Amazon.co.jp

どちらもグロテスクさのある物語ですが、作る者、作られる者という関係性はそのまま、創造主である神と、神によって作られた人間という関係性と重なりますから、テーマ的に非常に深いものになります。

『モロー博士の島』というのは、モロー博士が主人公の物語ではなくて、たまたまその島に行くことになったエドワード・プレンディックが主人公の物語です。

怖ろしい出来事が内部の目線から描かれるのではなく、外部の目線から描かれるというスタイルは、手記という形式で書かれていることもあり、現在からするとやや古めかしい感じは否めません。

ただ、動物から作られた限りなく人間に近い生命体が描かれることにによって生まれている人間社会に対する諷刺が、これがもう非常に考えさせられる部分が多くて、その点でかなり面白い作品です。

作品のあらすじ


「諸言」つまり前書きとして、英国帆船レイディ・ヴェイン号が難破し、その乗客で11ヶ月と4日間行方不明になっていた英国紳士エドワード・プレンディックが、小型のボートで漂流している所を助けられたことが書かれます。

エドワードは「諸言」の筆者の叔父さんにあたる人物ですが、その体験談があまりにも奇妙なものだったので、初めは精神に異常をきたしていると思われていました。

しかし後には何も記憶にないと口にするようになり、死後に甥である筆者によって発見されたのが、以下の手記になります。

乗っていた船が難破してしまったものの、なんとか〈わたし〉は小型救命艇に乗り込むことができました。

そこには〈わたし〉を含めて4人がいましたが、食料も水もほとんない極限状態ですから、色々あって〈わたし〉以外の者は皆死んでしまいます。

〈わたし〉の意識も朦朧として来ますが、運良く通りかかった貿易船に救われました。治療をして、〈わたし〉の命を助けてくれたのは、モンゴメリーという亜麻色の髪の男。

少し具合のよくなった〈わたし〉が船室を出ると、階段の所にいた、小柄な奇妙な男が素早く振り返ります。〈わたし〉はその男を見て驚きました。

 こうして眼前に現れた顔を見て、わたしは息を飲んだ。恐ろしくいびつな顔だったからだ。顔の造作が突きだしており、なんとなく動物の鼻面を思わせる形になっている。おまけに半開きの大きな口からは、人間の口には見たことがないほど大きな白い歯がのぞいている。目は両端が血走っており、薄茶色の瞳孔のまわりに、白目らしきものはほとんどない。顔は興奮で奇妙にギラついていた。(21ページ)


どうやらこの男は、モンゴメリーの従者のようです。従者はモンゴメリーに何故自分の持ち場にいないのかと叱られますが、どうやら船員たちから嫌われて、追い払われてしまったらしいんですね。

嫌われると言うよりも、憎まれているという感じが近いでしょうか。モンゴメリーの従者は何故か、みんなの生理的嫌悪感を呼び起こしてしまうんです。

貿易をしている船長の船に、モンゴメリーと従者が乗り込み、大量の動物たちを運んでいたのですが、ようやく目的地である孤島にたどり着きました。

すると、「汚れは残らず落とすんだ。だから、てめえにはおりてもらう!」(36ページ)と船長に言われ、〈わたし〉まで置いて行かれることになってしまいました。

再び小型のボートで漂流しなければならない所でしたが、やむなくという感じで島への上陸が許可されます。

〈わたし〉が島で出会ったのは、素晴らしい生理学者として名を馳せていたものの、残酷な実験を行ったことにより、10年前に学会を追放されたモロー博士。

モンゴメリーはモロー博士の下で働く人物だったんですね。

〈わたし〉はモンゴメリーの従者が人間にしてはどこか奇妙な存在であることから、モロー博士とモンゴメリーがこの島で何をやっているのかを気にするようになります。

こっそりと島を探索した〈わたし〉は、豚に似た人間など、奇妙な生命体と何体も出くわし、やがて疑惑は確信に変わります。「モローは人間を生体解剖していたのだ」(77ページ)と。

人間を手術し、動物と混ぜ合わせるという怖ろしい人体実験をしているのだと気付いたんですね。自分もやがて切り刻まれる運命にあると知った〈わたし〉は、必死でモロー博士の魔の手から逃げ出そうとします。

やがてある小屋へたどり着きますが、そこでは動物のような人間のような不気味な存在たちが、みなで「掟」を唱えていました。

「四つ足で歩くなかれ。これぞ〈掟〉なり。われら人間ならずや?」
「口をつけて飲むなかれ。これぞ〈掟〉なり。われら人間ならずや?」
「生肉、生魚を食べるなかれ。これぞ〈掟〉なり。われら人間ならずや?」
「木の皮で爪をとぐなかれ。これぞ〈掟〉なり。われら人間ならずや?」
「ほかの人間を追うなかれ。これぞ〈掟〉なり。われら人間ならずや?」(88ページ)


そして何者かは分かりませんが、「主」を怖れ、崇め奉っているようです。

恐るべきモロー博士とその手下のモンゴメリーが、〈わたし〉を追ってやって来ました。捕まっては命がありませんから、必死で海へ逃げる〈わたし〉に、モロー博士はこう叫びます。

「ラテン語だ、プレンディック! へたなラテン語、小学生のラテン語だ。しかし、よく聞いて理解してくれ。ヒ・ノン・スント・ホミネース。スント・アニマリア・クィ・ノス・ハベームス(あれは人間ではない。われわれが動物から造ったのだ)――生体解剖の応用だ。人間化したのだよ。説明する。海からあがってくれ」(102ページ)


なんと、人間を切り刻んで動物と混ぜ合わせた恐ろしい人体実験が行われていたのではなく、動物を手術で作り変えて、人間を作り上げようとしていたというのです。

そんなことができるものなのでしょうか? 初めは〈わたし〉も信じられませんが、モロー博士の説明を受けて、徐々に納得していきます。

しかしある時、兎の死骸が見つかったことから、事態は思わぬ展開になっていきます。

その兎には噛み跡がありました。つまり、「掟」を破り、血と肉を欲する肉食獣の習性を取り戻しつつある者がいるということです。

それは一体誰なのか? そして、〈わたし〉たちの運命はいかに!?

とまあそんなお話です。動物のような人間のような、島の不気味な獣人たちは、相当グロテスクな存在ですよね。初めは〈わたし〉も嫌悪感を感じ、人間とは違う存在だと思っています。

「人間ではない存在」として描かれていたはずの獣人たちですが、やがて〈わたし〉は、「獣人たちの言葉はつたなく、姿形は醜いとはいえ、眼前の光景は人間生活の縮図なのだ。本能と理性と運命のからみあいが、生のままの形で、そっくりそのまま現われている」(143ページ)と思うようになります。

つまり、獣人たちに人間との類似を感じるようになるわけですね。この物語が面白いのは、この〈わたし〉の感覚が、もう一段階大きく回転することです。「人間ではない存在」→「人間と少し似ている存在」のその先です。

「その恐怖心はひどくおかしな形をとった」(197ページ)の直後でそれが書かれていますので、ぜひ注目してみてください。人間社会への諷刺が効いた、非常に面白い展開になっています。

なかなかにグロテスクな物語ですし、小説のスタイルなどは古典的なので、今読んで面白いかどうかは正直ちょっと微妙な感じだとは思います。

ただ、人間社会への諷刺という面では抜群に面白く、色々と考えさせられる作品なので、興味を持った方はぜひ読んでみてください。

200ページ前後なので、それほど長い小説ではないですよ。ぜひぜひ。

ちなみにですが、訳者の解説で、似たようなテーマの小説のタイトルがいくつかあげられている中に、ミハイル・ブルガーコフの『犬の心臓』がありました。

まだ読んだことない本ですし、わりと最近新版が出たはずなので、近い内に読んでみたいなあと思っています。

明日は、池波正太郎『剣客商売』を紹介する予定です。