H・G・ウェルズ『宇宙戦争』 | 文学どうでしょう

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宇宙戦争 (ハヤカワ文庫SF)/H.G. ウエルズ

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H・G・ウェルズ(斉藤伯好訳)『宇宙戦争』(ハヤカワ文庫SF)を読みました。

まず、ぼくの『宇宙戦争』に関しての思い出を2つ書かせてください。

『宇宙戦争』は、オーソン・ウェルズが仕掛けたラジオドラマが、全米をパニックに陥らせたという伝説がとにかく有名ですけれど、それは当然ながらぼくの思い出ではありません。

1つ目の思い出。ぼくが初めて『宇宙戦争』を読んだのは、子供向けにリライトされたものでした。リライトというのは、内容や文章をやさしく書き直したもののことです。

何しろ小学生の時に読んだので、どこの出版社のなんという本だったのか、そもそも本当にH・G・ウエルズの『宇宙戦争』のリライトだったかどうかすら、はっきりとは分かりません。

ただ、タコ型の火星人がマシーンに乗って地球を侵略しようとする話だったので、おそらく間違いないだろうと思います。この『宇宙戦争』のリライトに、ぼくはものすごい衝撃を受けたんですね。

未知の宇宙人が侵略して来るという恐怖、そして、それに立ち向かう人類の姿に興奮させられて、とにかくもう夢中になって読みました。

小学生だった当時のぼくが、何故そこまでこの『宇宙戦争』に夢中になったのか、冷静に分析してみたら、『宇宙戦争』における火星人の独特なキャラクター性が浮かび上がって来ました。

RPGゲームの『ドラゴンクエスト』のシリーズなど、グロテスクな形をしたモンスターと戦うものはよくあります。ただそれは、姿・形の異様さはともかく、クマやライオンなど凶暴な動物と戦うのと、ある意味においてあまり変わらないんですね。

その動物やモンスターが、どんなに力が強くても、知恵や文明の点で人間よりも劣る存在なんです。分かりやすく言えば、銃や武器(RPGでは魔法)などを使えば簡単に倒せるわけです。

一方、『宇宙戦争』の火星人は、姿・形はグロテスクであるにも関わらず、文明の点で人類を遥かに凌駕しているんですね。これはもうとにかく怖いですよ。問答無用な怖さがあります。

物理的な力では負けていても、知恵と文明の利器を駆使して脅威と戦ってきた、人類の誇りをずたずたにされる感じと言えばいいでしょうか。

困ったら猟銃でズドーン! が通用しないどころか、逆にレーザービームでズババババ! とやられてしまうわけですから。

火星人の姿のグロテスクさ、そしてその高度な文明に、人類の存在自体が否定されてしまうような怖さがあることにこそ、『宇宙戦争』の何よりの魅力があるのではないかと思います。

2つ目の思い出。大人になってから、初めてちゃんと『宇宙戦争』を読んだ時のぼくの感想は、「弟は一体なんなんだよ!」です。

これは非常にくだらないことなんですが、形式の面で『宇宙戦争』の際立った特徴でもあるので、ぜひ書いておきたいと思います。

人々がパニックに陥る様を描いた小説の叙述法は、2種類に大別できます。(1)1人の人間の視点から手記のように描かれるもの、(2)複数の人間の視点から複合的に描かれるもの、の2種類です。

近年の小説は、(2)の方が多いと思います。事件の情報をより多く描けますが、誰かが死んでも代わりがたくさんいるわけで、緊迫感に欠けてしまうこともあります。

『宇宙戦争』は基本的には(1)の形式の小説なので、火星人襲来という出来事の全体像はよく分からないものの、生きるか死ぬかという、非常にスリリングで緊迫感あふれる小説です。

ところがですよ、いくつかの場所を描くために、複合的な視点を取り入れたかったのか、「〈わたし〉の視点だけで語られる」という手記本来のルールを逸脱して、ロンドンにいる弟が登場してしまうんです。こんな風に。

 火星人の円筒ロケットがウォーキングに落ちたころ、わたしの弟はロンドンにいた。医学生の弟は間近に迫った試験勉強に忙しく、火星人が来たことは土曜日の朝まで知らなかった。(130ページ)


この後、困っている婦人たちを助けたり、弟はロンドンで大活躍するんですが、今読んでもこの弟の存在は、なんだかへんてこな感じがします。いつ、どうやって〈わたし〉が弟の行動を知ったんだよ! とかつてのぼくはもうツッコミまくりでした。

せめて弟から手紙が来たとかなら分かるんですけども。1人称3人称の間の、非常にグレーゾーンなスタイルで書かれているというのは、『宇宙戦争』の大きな特徴であり、そこにもある種の面白さがあるような気がします。

思い出話をしていたら、触れたいと思っていた映画化作品について触れているスペースがなくなってしまったんですが、折角なので駆け足で少しだけ触れておきましょう。

『宇宙戦争』は、2005年にスティーヴン・スピルバーグ監督、トム・クルーズ主演で映画化されました。

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原作の〈わたし〉に子供はいませんが、映画では息子と娘がいます。家族愛というか、壊れた絆の再生というテーマが前面に押し出されていることを除けば、わりと原作に忠実というか、原作に対してのリスペクトを強く感じさせる映画だったと思います。

映画が原作を越えている箇所が一つだけありまして、それは、ティム・ロビンス演じるキャラクターにまつわる部分です。映画を観た方には分かってもらえるのではないでしょうか。かなりショッキングな場面でしたよね。

原作でも似たような人物は登場し、同じような極限状況はあるんですが、映画の方が、一段階上というか、倫理的な問題を含んだ場面になっていたのが印象的でした。

作品のあらすじ


火星で、ガスの噴射が観測されます。しかし、それはガスの噴射ではなくて、実は地球に向けて発射された円筒ロケットだったんです。

流れ星が地球上にいくつか落ちます。当然人々はただの隕石だろうと思いますが、クレーターの中には人工物が埋まっているんですね。やがてゴソゴソと音がして、その人工物の中から、奇妙な生命体が現れました。

 二つの大きな黒い目がまばたきもせずに、わたしを見つめた。目を囲む丸い部分は頭部で、顔と言っていい造りだ。目の下には口がある。唇のないただの裂け目だが、その縁をブルブル震わせてあえぎ、唾液を滴らせた。全身が大きく波打ち、ピクピクと痙攣している。長い触手の一本が出入口の縁をつかみ、もう一本がクネクネと空中を泳いだ。(51ページ、原文では、「まばたき」「ただ」に傍点)


頭だけ発達して、無数の触手がある火星人。姿としてはタコみたいな感じです。人々は野次馬根性丸出しでクレーターの周りに集まっているんですが、中には火星人を助けてやろうとする人もいたりします。

歓迎したらいいのか、助けたらいいのか、戸惑っている人類に火星人が送ったのは、高熱ビームでした。クレーターの中から「透明で、避けることのできない高熱の剣」(58ページ)があふれ出してくるんです。

燃え盛り、息絶えていく人々。人類ははっきり知りました。火星人は地球を襲撃しに来たのだと。ただ、地球上はまだそれほどパニックになってはいません。

何故なら、地球の重力は火星よりも重いため、火星人は自由に動くことができないからです。クレーターから離れていれば安心なんですね。軍隊が出動し、火星人征伐に動き出します。

〈わたし〉は妻を連れて馬車で避難します。妻を従兄弟の住む安全な場所まで運ぶと、〈わたし〉は馬車を持ち主に帰すために元の町に戻ります。これが実は大きな判断ミスでした。

なんと、火星人たちは驚くべきことに、三本脚の金属製の巨大なマシーンを作り上げていたんです。「ガチャン、ガチャンと金属性の音を響かせ」(92ページ)縦横無尽に動き回る”怪物”の、高熱ビームは、人類を焼き尽くそうとする勢いです。

この時から、人類の本当のパニックが起こります。どんなに強い軍隊も、火星人のマシーンの前には、何の役にも立ちません。〈わたし〉も傷つき、息も絶え絶えな状況です。

あまりのショックさに動転している牧師補に〈わたし〉は出会います。これはこの世の終わりであり、神の怒りなのだと絶叫する牧師補に、〈わたし〉はこう語りかけました。

「しっかりしてください! あなたは恐ろしさのあまり自分を見失なっています! 苦難のときこそ、宗教が役に立つのではありませんか? これまで人類は数々の不幸を経験してきました。地震、洪水、戦争、噴火・・・・・・そのすべてを克服してきたではありませんか!」(127ページ)


ロンドンの様子が、〈わたし〉の弟の行動によって描かれていきます。火星人たちは、少しずつ大都市ロンドンに向かっているようなんですね。まあ、弟の話はざっくり省きましょう。

〈わたし〉は食糧を確保して妻の元へと旅立とうとしますが、火星人のロケットが降って来たことによって牧師補とともに、ある屋敷の中に閉じ込められてしまうんですね。

外に出ようとしたり、大きな物音を立てると近くにいる火星人たちに見つかって殺されてしまうという、極限の状況です。

〈わたし〉はのぞき穴から火星人たちの様子を観察し、火星人たちは食事をする代わりに、人間の血を吸っていることを知ります。

様子のおかしい牧師補を危ぶみながらも、息を殺して生活する〈わたし〉ですが、やがて火星人の触手が〈わたし〉の隠れている場所に迫って来ます。

 またしても、かすかな金属音が聞こえ、ゆっくりと触手が台所を探った。だんだん音が近づいてくるーーもう、食器洗い場まで来たらしい。触手はここまで届かないはずだ。どうか、こちらへ来ませんようにーー祈っていると、触手が石炭貯蔵庫の扉を擦り、わたしはギクリとした。あまりの緊張に心臓が止まりそうだ。どうか、このまま通り過ぎますように! だが、つぎの瞬間、扉の掛け金がガチャガチャと鳴った。火星人が扉に気づいたらしい! しかも、火星人は扉の開けかたを知っている!(230ページ)


絶体絶命の〈わたし〉の運命はいかに? そして、人類に未来はあるのか!?

とまあそんなお話です。火星人と戦う英雄たちを描く小説なのではなく、普通の人間が大きな災難に見舞われ、それでもなんとかそれに立ち向かっていこうとする様を描いているのが、『宇宙戦争』の面白い所だと思います。

なんとしてでも生き延びて、妻の元へ帰ろうとする、感動的な物語なんですね。

弟の話も出て来ますし、火星人についてのレポートのような所もあるものの、基本的にはほとんど〈わたし〉の視点から描かれるので、物語世界に入り込みやすい小説だと思います。

火星人を単なる「悪」として描いていない所もこの小説のいい所です。「火星人を批判するのは簡単だ。しかし、わたしたち地球人が地球上で行なった数々の残虐行為も忘れることはできない」(28ページ)と書かれているくらいです。

地球人だって、数々の動物たちを征服して文明を築き上げて来たわけですから。

そして、これは火星人にも一理あるというような話ではなく、火星人自体が、地球人の未来の姿に他ならないのではないか、という示唆がされている点も興味深いです。

素晴らしい頭脳で機械を作り上げると、体はいらないわけですよね。体は退化し、頭だけがどんどん大きくなっていきます。食事を胃から吸収して血液にするのではなく、そのまま血液を吸収するという、より合理的な形に地球人が進化していくと、火星人の姿になってしまうんですね。

不気味さ、グロテスクさを持つ火星人との戦いを描いておきながら、それが機械に頼りすぎる人類への警鐘になっているというのが面白いと思いました。

宇宙人と真っ向から戦うよりも、『E.T.』以降は、宇宙人と通じ合う物語が多くなったように思います。それだけに、この古典的作品とも言える『宇宙戦争』は、今読むと、逆に新鮮さを感じる作品なのではないでしょうか。

ここまで徹底的に人類を征服しようとする宇宙人もなかなかいませんよ。今なお圧倒的な恐怖を感じられる小説なのではないかと思います。興味を持った方はぜひ読んでみてください。

おすすめの関連作品


リンクとして、映画を2本紹介します。

今回はどこがどんな風にリンクしているのかは、あえて書かないので、興味を持った方はとりあえずまあ観てみてください。観たらなんとなく分かってもらえるはずです。

まず1本目のおすすめは、『SUPER 8』です。

SUPER 8/スーパーエイト [DVD]/ジョエル・コートニー,エル・ファニング,カイル・チャンドラー

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子供達が中心になる映画は、それだけでぐっと来るというか、ぼくはわりとなんでも好きなんですけど、『SUPER 8』も個人的にかなり好きな映画です。

子供達が集まって、映画の撮影をしています。ところが撮影中に目の前で列車の事故が起こり、町には何故か軍隊がやって来ます。列車の事故の原因は一体・・・?

この映画の素晴らしい所は、一言で言うと、少年の成長物語になっている所です。

お母さんを亡くした少年が主人公なんですが、悲しいことは起こる、それでも人生は続いていくんだというメッセージに心打たれます。

親友に命令されるばかりだった主人公が、やがて自分の意志で行動するようになるのがとてもいいですね。ヒロイン役のエル・ファニングもキュート。

2本目のおすすめは、『ノウイング』です。

ノウイング プレミアム・エディション [DVD]/ニコラス・ケイジ,チャンドラー・カンタベリー,ローズ・バーン

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ニコラス・ケイジ演じる物理学の専門家は、息子が持って帰って来た紙に書かれている数字の奇妙さに気がつきます。

その紙は、50年前にタイムカプセルとして埋められていたものなんですが、その紙に書かれた数字は、未来に起こる事件や事故を予言したもので・・・。

ミステリとしても面白いですし、暗くしっとりとしているような、作品全体の雰囲気もいいと思いますが、何よりもラストですよ。

作品のラストにぼくが感じたのは斬新さではなく、既視感ではあるんですが、やっぱりとても印象的なラストでした。

映画の方も、機会があればぜひぜひ。

明日は、エーリヒ・ケストナー『エーミールと三人のふたご』を紹介する予定です。