池波正太郎『剣客商売五 白い鬼』 | 文学どうでしょう

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剣客商売〈5〉白い鬼 (新潮文庫)/新潮社

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池波正太郎『剣客商売五 白い鬼』(新潮文庫)を読みました。

老中の田沼意次が幕府を牛耳っている江戸時代の中期を舞台に、秋山小兵衛とその息子大治郎という、剣の達人の活躍を描いた『剣客商売』のシリーズ第五弾です。

前作『剣客商売四 天魔』に登場した笹目千代太郎もすごい敵でしたが、今回の「白い鬼」に登場する敵、金子伊太郎もまたなかなかに凄まじい奴です。

その容貌は、「透きとおるような色白の顔に細く濃い眉。隆い鼻すじ、切長の両眼」(11~12ページ)という、とても美しいもの。しかしその伊太郎は実は、猟奇殺人犯なんです。

伊太郎の生まれはやや複雑で、旅館の女中と、その女中を金で買った旅人との間に生まれた子供。

ずっと下駄屋の茂平が父親だと思って育った伊太郎でしたが、12、3歳の頃に、周りから言われて、茂平が本当の父親ではないと知ってしまいました。

母親にそのことについて問いかけると、非常にショッキングなことを言われてしまったのです。

「そんなことは、どうでもいい。でもよ、そんなに尋きたけりゃあ教えてやろう。お前の父つぁんはね、金子伊太郎さまといって、そりゃもう、好いたらしいおさむらいだったのだよう」
 こういって、さらに、
「お前を身ごもったとき、どうにも困ってよ。水にしてながしてしまおうとおもい、いろいろとやって見たが、とうとう生れちまった。あは、はは……ここの茂平どんが助けてくれなかったら、きっと、生れたお前に石ころでも背負わせて、川の中へ沈めていたにちがいないよう」(53ページ)


それは、まだ子供だった伊太郎には、あまりにも衝撃的すぎる言葉でした。

それから家を飛び出し、「金子伊太郎」を名乗って諸国を放浪するようになったのですが、たまたま面倒を見てくれる武士と出会い、剣術の手ほどきを受け、みるみる腕をあげていきました。

ところが、内面の歪みが外に現れるのか、あまり人から好かれないんですね。ついに殺人事件を犯して、その藩から追われる身の上となってしまいます。

それが単なる殺人事件ならばまだよいのですが、女の乳房と陰所を切りえぐるという猟奇的なもの。どうやら、母親への嫌悪感や恨みが、伊太郎を殺人へと駆り立てるようになったらしいのです。

やがて、江戸の町でも同じ手口の連続殺人事件が多発するようになりました。そして同じ頃、藩のおたずね者の伊太郎を見付けた秋山小兵衛の弟子が勝負を挑んだのですが・・・。

秋山親子と、恐るべき猟奇殺人鬼との戦いが描かれた、手に汗を握る一冊。

深い信頼関係で結ばれた、秋山大治郎と、田沼意次の娘(妾の子)で男装の剣客、佐々木三冬の、近いようで遠く、遠いようで近い微妙な関係からも、目が離せません。

作品のあらすじ


『剣客商売五 白い鬼』には、「白い鬼」「西村屋お小夜」「手裏剣お秀」「暗殺」「雨避け小兵衛」「三冬の縁談」「たのまれ男」の7編が収録されています。

「白い鬼」

秋山小兵衛は、弟弟子でもあり、師匠が引退してからは自分の弟子のように可愛がっていた竜野庄蔵が訪ねて来るのを、とても楽しみに待っていました。

ところが、約束した日、庄蔵はついにやって来なかったのです。小兵衛の顔は段々と険しくなっていき、妻のおはるにこう話しました。

「おはる。これはどうも、何かあったにちがいない」
「あったって、何がですよう?」
「わからぬ。ともあれ、尋常のことではないようじゃな。もし、どうあっても来られぬというのなら、あの男はかならず、ことわりの使いを寄こすはずじゃよ」
(中略)
 仕方なく、おはると共に、おそい夕餉をすまし、寝床へ入った小兵衛だが、この夜は、まんじりともしなかったようだ。(14ページ)


翌日、小兵衛が藩邸を訪ねると、不安は的中し、庄蔵は左腕を斬り落とされて寝込んでいたのでした。

「こ、このような醜態を、お目にかけまして……」(19ページ)と両眼をうるませる庄蔵を慰めた小兵衛でしたが、やがて手当てもむなしく庄蔵が亡くなったという知らせが届きます。

猟奇的な殺人を犯し、藩が追っているおたずね者、金子伊太郎と戦って庄蔵が命を落とした知った小兵衛は、新たな連続殺人に手を染めている金子伊太郎の行方を追い始めて・・・。

「西村屋お小夜」

ある日の昼下がり。家へ帰ろうと佐々木三冬が歩いていると、木立の中からうめき声が聞こえました。

病気か怪我で苦しんでいる人がいるのかも知れないと、木立の中に踏み入って行くと、落ち葉の上で男と女がみだらに抱き合っていたのです。

「こ、このようなまねを、夫婦になれば、いたすのであろうか……あ、汚らわしい」(85ページ)と全身にあぶら汗を流しながらも、その様子をじっと見つめている三冬。

やがて、その男女の両方ともに見覚えがあることに気付きました。男女も三冬の顔を見て驚きます。

男の方は、薬種問屋の松屋伊兵衛の長男の利太郎で、女の方は、かつてその婚約者であった書物問屋の西松屋佐助の娘、お小夜に間違いありません。

ところが不思議なのは、お小夜は一年前から行方知れずになっていたこと。

西松屋に盗賊が押し入り、家族や奉公人は皆殺しにされ、一人姿が見えないお小夜は、盗賊にさらわれたものと見られていたのです。

その消えたお小夜が、一体何故、利太郎とあんな所であんな真似をしていたのでしょうか。

やがて、この事に関連しているのか、三冬の家に曲者が入り込みます。曲者を捕まえた三冬は、一体どうしたらいいかを秋山大治郎に相談して・・・。

「手裏剣お秀」

以前知り合いになった鰻の辻売りをしている又六が、小兵衛の元を訪ねて来ます。

又六と同じ長屋に「川獺浪人(かわうそろうにん)」とあだ名されている37、8歳の浪人者がいるのですが、その男が、仲間たちと何やら物騒な相談をしていたというんですね。

「女……女というてもよりけりだぞ。両刀を腰にした男三人が手玉にとられたという……ふむ、そうなのだ。実に、恐ろしい女だそうな。それでな……ふむ、ふむ……だからな……」
 と、これは川獺浪人の声ではない。
「で……七人がかりで、やるのか?」
 と、これは川獺。
「うむ。これなら大丈夫……それで、女を押さえこんで……さんざんに、なぐさみものにした上で、あの世へ送ってしまう、どうだ」
「ふうむ……」

(138~139ページ、本文では「よりけり」「なぐさみもの」に傍点)


又六から相談を受けた小兵衛は、それは捨て置けぬとかつての弟子で御用聞き(町奉行の捜査の手伝いをする仕事)をしている弥七と共に、男たちについて調べて行きます。

やがて、狙われているのは一刀流の剣術道場を開いている杉原佐内の娘、杉原秀であることが分かって・・・。

「暗殺」

小兵衛の家を訪ねた夜の帰り道、大治郎は誰かが襲われている現場に遭遇してしまいます。大治郎にも、曲者が襲いかかって来ました。

「む!!」
 大治郎の左手に持った提灯が、わずかにゆれうごいたけれども、火は消えぬ。
 激しく突き入れて来た曲者の一刀は空しく闇を裂いたのみであった。
「むうん……」
 曲者が刀を放り落し、細道へ倒れた。大治郎の手刀にどこかを強打されたらしい。
「何者だ!!」
 大治郎の一喝に、曲者たちは黙った。
 さしつける提灯のあかりから、彼らは逃げ、大治郎を遠巻きにしているのだ。(190ページ)


曲者を追っ払った大治郎は、襲われていた男を救おうとしますが、「ま、待って、いる、女……」(195ページ)と言い残して男は、死んでしまいました。

死んだ男は一体何者なのか分かりませんが、百両の小判という大金を持っていたのが不思議です。

大治郎は事件について調べ始めますが、男を運ぶのに使った駕籠かきから正体がばれてしまい、口封じのために、今度は大治郎自身が曲者たちから狙われるようになって・・・。

「雨避け小兵衛」

散歩がてら亀戸天満宮にお参りに行った小兵衛でしたが、その帰り道で雨に降られてしまいました。

やむをえず、畑の中のわら屋根の小屋の中に雨宿りのために駆け込みます。横になってうとうとしていると、10歳ほどの女の子を抱えた浪人風の男が、やって来ました。

小兵衛は素早く押入れの中に身をひそめて、様子を伺います。続いてやって来た追っ手たちに向かって、「五十両持って来い。すぐにだ。遅いとだめだ。子供を斬る!!」(246ページ)と叫ぶ男。

どうやらお金に困り、商人の娘をさらって来たもののようです。相当腕が立つ男だと見た小兵衛は、一体どうしたものやら、対応に困ります。

ふと小兵衛は男の声から、それが関山虎次郎だと気が付きました。小兵衛と虎次郎は、まだ20代の若かりし頃に剣を交えたことがある、因縁の間柄です。

試合で小兵衛が勝利をおさめたが故に、虎次郎は上州館林の松平家への仕官が適いませんでした。言わば、今日の虎次郎の困窮は、小兵衛に原因があるとも言えるのです。

お金を受け取り、子供を無事に返すなら、見逃してやろうと思う小兵衛でしたが・・・。

「三冬の縁談」

佐々木三冬の元に新たな縁談が持ち込まれました。妾の子とは言え、田沼意次の娘なので、いい所からの縁談が、ひっきりなしに持ち込まれるのです。

三冬は自分の結婚相手に一つだけ条件を出しています。それは、自分よりも剣の腕が立つ男であること。

今までは立ち合った相手を叩きのめして来た三冬。自分の腕に自信を持っていることもあり、今回も軽く蹴散らすつもりでいます。

しかし、大治郎はその相手が松平美濃守の家臣、大久保兵蔵という一刀流の達人であると知って、ぎょっとします。

「勝てぬ……あの男に、到底、三冬どのは勝てぬ」(279ページ)と、口には出しませんが、内心そう思う大治郎。

大治郎はかつて、兵蔵と立ち合ったことがありました。その時は辛くも勝利をおさめたものの、三冬がかなう相手ではないことが分かっているんですね。

男装し、剣の修業だけに一心不乱に打ち込んできた三冬も、ようやく結婚する時が来たようです。めでたい話なのですが、何故か不思議と落ち着かない大治郎の心。

どうしたらいいか分からなくなった大治郎は、三冬が結婚を決める試合で負けそうなこと、相手の兵蔵は腕は立つけれど、三冬の結婚相手にはふさわしい相手ではないと思うと、小兵衛の元に相談に行ったのですが・・・。

「たのまれ男」

小兵衛の若い妻のおはるが病気で寝込んでしまいました。お見舞いに行った大治郎は、往診に来ていた町医者の小川宗哲を、その自宅まで送り届けることになります。

帰り道。夜ふけの大川橋を渡っていると、何人かの男たちがやって来て、橋の下に何かを投げ落とそうとしています。

その中身が人間だとにらんだ大治郎は、男たちに声をかけました。「荷物を下ろせ。中身を拝見しよう」(321ページ)と。

何も言わずに斬りかかってくる男たちを倒し、荷物の縄をほどくと、思った通り、中からは、猿ぐつわをされた男が出て来ました。

それはなんと、かつて大治郎が武者修行をして全国を周っていた時に出会った、小針又三郎という剣客だったのです。

又三郎は、男に体を売る女たちがつとめる茶店で知り合った、おかねという女から、江戸にいるおかねの弟へ、お金を届けるように頼まれたのですが、それが元で事件に巻き込まれたらしく・・・。

とまあそんな7編が収録されています。やはり表題作になっている「白い鬼」が印象に残ります。

自分の母親を呪い、そして一生懸命に生きようとしても周りから好かれない金子伊太郎の気持ちも分からなくはないのですが、やはり連続殺人犯ですから、許せないものがあります。

また、単に猟奇殺人犯を裁こうとするだけの話ではなく、愛弟子を討たれたその復讐譚にもなっているわけですから、非常に引き込まれます。

話として面白いのは、「三冬の縁談」でしょう。

いつしか大治郎のことを、妙に意識するようになった三冬。そして、三冬の結婚が決まってしまいそうだとなると、何故か慌ててしまう大治郎。

普段は何事にも動ぜず、泰然自若としている大治郎がどぎまぎする様子が、何だか面白いですね。はてさて、三冬の縁談はどうなることやら。

読みやすく面白いので、興味を持った方には、ぜひ読んでもらいたいシリーズです。時代小説を読み慣れていない方でも楽しめると思いますよ。おすすめです。

明日は、藤沢周平『隠し剣秋風抄』を紹介する予定です。