田中慎弥『共喰い』 | 文学どうでしょう

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共喰い/田中 慎弥

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田中慎弥『共喰い』(集英社)を読みました。

芥川賞受賞作です。作品の内容ではなく、作者の受賞インタビューでの言動が話題になりました。

同時受賞した円城塔との露出の差に、メディアのあり方を考えさせられる出来事でもありましたね。作品ではなく作者に、作者にというよりは発言に注目が集まってしまいました。まあそのことについてはもう触れません。

芥川賞で同時受賞作がある時は、両方読んでみるとより面白いです。金原ひとみ『蛇にピアス』と綿矢りさ『蹴りたい背中』の時もそうでしたが、同じ系統のものならば、受賞作は1つでいいわけです。

純文学の中でもジャンルが少し違っていて、甲乙つけがたいという時に同時受賞になるわけですから、2つの作品は好対照になっているわけです。今回の2つの受賞作もまさにそうです。

田中慎弥の「共喰い」は、純文学として、わりとスタンダードなスタイルです。芥川賞受賞作家で言うと、宮本輝や中上健次に近いものがあります。

鬱屈した日常をリアルすぎるほどリアルに切り取っていて、しかもそれが少なからずショッキングなものになっていること。方言が効果的に使われているのも特徴的です。

凝縮され、抑制されていながらも力強く書かれた文体。シンプルながら、どこか重々しいテーマを孕んだ物語。それはどこか懐かしいというか、1970年代に純文学が持っていた感覚にかなり近いものがあります。

はっきり言ってしまえば、「共喰い」はいわゆる面白い小説ではありません。読んでいる時に楽しさ愉快さを感じるような物語ではないんです。

ただ、確実に読者の心をえぐるような力があるのは紛れもない事実で、感情移入できる物語ではないだけに、かえって心を大きく揺り動かされました。

ぼくは併録されている「第三紀層の魚」の方が小説としては好きですし、面白いと思いますが、受賞作の「共喰い」の方がやはり忘れられない、深い印象が残りました。

作品のあらすじ


「共喰い」

 昭和六十三年の七月、十七歳の誕生日を迎えた篠垣遠馬はその日の授業が終ってから、自宅には戻らず、一つ年上で別の高校に通う合田千種の家に直行した。といっても二人とも、川辺と呼ばれる同じ地域に住んでいて、家は歩いて三分も離れていない。(7ページ)


主人公はこの篠垣遠馬という高校生。物語で語られる言葉は方言で、近くに川の流れているこの土地の、独特な雰囲気が濃厚に感じられる作品です。

遠馬が千種の家に行くのは、性行為をするためなわけですが、6時前には千種の両親が帰ってくるので、それはいつも慌ただしいものになっています。

遠馬と千種の関係というのは、なかなかに興味深くて、いわゆるラブラブな感じとは違います。2人の性的関係も、遠馬の性欲に引きずられるようなところがあって、千種はまだ痛みを感じて快感どころではないんです。

遠馬と千種は家を出ると、丘の社へ向かいます。石段の上り口に鳥居があって、そこは生理中の女性はくぐれないという迷信があります。この迷信にまつわる話は物語のラストで重要なものになるので、これから読む方は注目してみてください。

千種は川を見下ろして、「今日も割れ目やねえ」(15ページ)と言います。遠馬の父が、丘の社から見下ろすと柳が並んでいることもあって、「女の割れ目」(15ページ)に見えると言うんですね。この川のイメージも、のちのち重要なものになってきます。

遠馬の家庭環境は少し変わっています。産みの母の仁子さんは、近くの魚屋に住んでいます。戦争の空襲で右腕の手首から先をなくしてしまった仁子さん。遠馬と父とは離れて暮らしているんですね。

それがなぜかと言うと、遠馬の父は、性行為の時に殴りつけるんです。そうしないとどうもダメなんですね。仁子さんは遠馬の弟か妹を妊娠していましたが、その子は中絶して、遠馬の父と離れて暮らすことにしたというわけです。

遠馬と父は、琴子さんという飲み屋の女と一緒に暮らしています。琴子さんの顔にも時おり殴られたあざが見えます。この琴子さんに対しても、遠馬は色々複雑な思いを抱えています。母親ではなく、明らかに女性を感じさせる人なわけで。

性行為の時に女性を殴らずにはいられないこと。そんな父の性質が、自分にもあるのではないかと遠馬は恐れています。そして、生まれるはずだった弟か妹に対しても罪の意識のようなものがあるんです。

鬱屈した遠馬の日常。丘の社で開かれる祭の日に雨が降って、物語は思いも寄らない方向へと動いていきます。

とまあそんなお話です。高校生の性愛をみずみずしく描き出した作品ではなく、離れようとするけれど引き寄せられてしまう父子関係や、女としてどう生きるかなど、様々な要素で紡がれた小説です。なかなかにショッキングな展開を含んでいる物語でもあります。

「第三紀層の魚」

小学4年生の信道と、曾祖父との関係を描いた短編です。これは結構面白いです。祖父ではなく、曾祖父ですよ。おじいちゃんのお父さんです。

信道は友達と一緒に釣りをしています。しばらくすると友達は、塾に行かなければならないからと帰ってしまいます。信道が1人で釣りをするのを嫌だと思う理由があって、それは釣り場には大人の男たちがいるからなんですね。

4歳で父親を亡くした信道は、大人の男に恐怖を感じているというか、どう対応していいか分からないところがあるんです。この信道の気持ちがどう変化するかに注目してみてください。

信道は、母が働いているので、祖母のところに行きます。祖母がほとんど寝たきりの曾祖父の面倒を見ているんですね。

ちょっと整理すると、曾祖父の息子の奥さんが祖母です。その息子と結婚したのが母で、産まれたのが信道です。祖父と父はもう亡くなっています。つまり、曾祖父と血が繋がっているのは、信道だけなんです。

曾祖父は同じ話を何度もくり返します。戦争のこと。炭鉱で働いたこと。釣りの話。信道は曾祖父に見せるためにチヌという魚を釣ろうとしているんです。

やがて少しずつ環境は変化します。曾祖父の体調は悪くなり、母に仕事の東京行きの話が出て・・・。

少しずつ大きくなっていく信道と、小さくなっていく曾祖父。

大人になる一歩手前の少年時代の不安が描かれていること。誰かの大切なものを守ろうとすること。そしてなにより少年の心の成長が描かれた、とてもいい短編です。

「共喰い」と「第三紀層の魚」とはともに、〈父性〉とも言うべきものがテーマになっています。「共喰い」ではそこから離れようとすればするほど、強く結び付けられてしまい、「第三紀層の魚」では、父性的なものが失われているだけに、かえってそれを強く意識させるものになっています。

短編の設定、構造、面白さという点では、「第三紀層の魚」の方がよいですが、「共喰い」は忘れられないインパクトを持った作品です。エグい感じもあって、苦手な方も多いだろうと思いますが、それがちょっとすごいので、興味を持った方はぜひ読んでみてください。

明日は、同時に芥川賞を受賞した円城塔の『道化師の蝶』を紹介します。