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エミール・ゾラ(古賀照一訳)『居酒屋』(新潮文庫)を読みました。
自然主義という用語をご存知でしょうか。ぼくは日本文学が専門だったので、日本の自然主義文学からゾラを知りました。あとは永井荷風が結構好きなので、そうした影響もあります。永井荷風はゾラにかなり影響を受けているんです。
田山花袋の『蒲団』など、自分の感情をあるがままに書くという姿勢が、やがて私小説に繋がっていくわけですが、大本のゾラは、もうちょっと科学的というか、遺伝や環境を含めて、極めて客観的に描こうとしたらしいです。
以前、『谷間の百合』や『ゴリオ爺さん』でバルザックという作家を紹介しました。バルザックは、〈人間喜劇〉という総タイトルをつけて、作品同士がリンクするという大きな構想の元に小説を書いてましたよね。
そのバルザックに影響を受けたのがゾラです。ゾラは、〈ルーゴン・マッカール叢書〉と題して、ある一族の話を通して、フランスのある時代を切り取ろうとしたのです。これまたすごいことですよ。文庫本ではないのですが、翻訳もあるようなので、いずれ完全読破に挑戦したいものです。かなりの冊数があるんですけども。
ゾラですが、ぼくは何を隠そう2冊しか読んでません。この『居酒屋』と『ナナ』の2冊。いずれも新潮文庫に入っているので、手に入れやすいのです。『ナナ』も近い内に読み直す予定ですが、『居酒屋』の女主人公ジェルヴェーズの娘がナナです。そんな感じで物語は繋がっています。
さてさて、ぼちぼち『居酒屋』の内容に入っていきますが、これは傑作です。鳥肌立つような傑作だと思います。ただ、傑作がそのままイコール面白いわけではないのです。いわゆるストーリーの面白さを追求すると、がっかりします。がっかりするというか、ショッキングです。
このブログでも、今までいくつかフランス文学を扱ってきましたが、わりと貴族の話が多かったですよね。サロンが出てきたり。それに対して、『居酒屋』は庶民の生活、それも貧しい庶民の生活が描かれているんです。
虐げられた人が幸せになってみんなハッピー! という話がぼくはわりと好きなんです。たとえばバーネットの『小公女』とかジョージ・エリオットの『サイラス・マーナー』などなど。
ところがこの『居酒屋』は、みじめな人が、どんどんみじめになっていく話なんです。たとえるなら、底なし沼にゆっくりずぶずぶ沈んでいく感じです。それが冷静な描写で淡々と描かれるわけです。なので、読んでいて楽しいわけではなく、ストーリーが面白いわけでもないんですが、鳥肌立つような感じで、ある種の感情が揺さぶられるような感覚があります。不思議な小説です。
今までの小説では描かれなかったようなことが描かれていて、つまり貴族ではなく一般の市民の生活、それもロマンティックな作り物めいた物語ではなく、現実を切り取りつつ、登場人物の心理も描いたのですが、それが後世の文学に大きな影響を与えた訳です。こんなことを小説に書いていいのか、と。いやむしろこうしたありのままの現実を描写することこそが、文学なのではないかと。
そうした文学の流れが自然主義と呼ばれ、日本でも影響を受けて、独自の自然主義文学が生まれました。
作品のあらすじ
物語はジェルヴェーズがランチエをひたすら待っているところから始まります。ジェルヴェーズがこの物語の女主人公。洗濯の仕事をして生計を立てています。ランチエというのは、ジェルヴェーズの夫のような存在で、2人の間には何人かこどもがいるんですが、正式な結婚はしていないんです。
若い頃に出会って、そのまま駆け落ちのような形で生活をスタートさせたんですが、現実の生活はなかなかうまくいかない。そしてある日、ランチエは愛人と一緒に家を出て行ってしまいます。ランチエというのは女にモテて、女好きなんです。
洗い場で、ランチエの愛人の姉と会ってしまい、壮絶な口喧嘩と殴り合いをしたりします。もう修羅場ですよ。
そうして、ジェルヴェーズは一人でこどもを育てながら生きていくことを決意するんですが、やがてブリキ職人のクーポーに見初められ、求婚されます。迷いながらもジェルヴェーズはクーポーと結婚することにします。
慎ましいながらも、幸せな家庭を築いたジェルヴェーズ。小さな夢が芽生えます。単なる洗濯女ではなく、独立して自分のお店を持ちたいという夢。
ここでもう一人の重要な人物が現れます。グージェという青年。鍛冶屋をやっているんですが、このグージェはジェルヴェーズのことが好きなんです。本当に一途でプラトニックな愛情を捧げています。このグージェが、自分の結婚資金をはたいて、ジェルヴェーズにお金を貸してくれるんです。
ジェルヴェーズはようやく夢が叶って、自分のお店を持つことが出来ました。今のクリーニング屋みたいな感じですね。汚れた服を預かって、綺麗にして返すという仕事です。
ジェルヴェーズとクーポーの間には、ナナという女の子が生まれます。万事うまくいくように思えた矢先、夫のクーポーが仕事中に落下して、大怪我を負ってしまいます。
その辺りから段々と歯車が狂い始めます。怪我が治っても、クーポーは働きに行こうとしないんです。ぐうたらになってしまい、酒ばっかり飲みに行くようになる。当然、生活は段々と貧しくなってくるわけです。でも近所への見栄があったりして、食事会を開いてしまったりする。借金は返済どころか少しずつ増えていってしまいます。
ジェルヴェーズは、クーポーの姉夫婦やご近所さんと、どうもうまくやっていけてないんです。ジェルヴェーズは片足がちょっと悪いんですが、そのことや、グージェとのことなど、色々な陰口を言われたりしている。それでもなんとかお店をやっていこうと努力するのですが、そんなある時、ずっと行方をくらませていたかつての内縁の夫、ランチエが帰って来ます。
ジェルヴェーズとランチエの関係はどうなるのか? そしてプラトニックな愛情を捧げていたグージェとの関係は? 段々と落ちぶれていったクーポーはどうなるのか? 愛娘ナナはどのように成長するのか?
そうしたお話です。
じわじわとどうしようもない貧乏生活に落ちぶれていく話なのですが、かなりリアルといってよい恋愛というか、人間関係が描かれ、そうしたどろどろした部分が、個人的にはとても面白かったんです。重い話なので、ちょっとあんまりみなさんにおすすめできる感じではないのですが、興味を持った方はぜひ読んでみてください。紛れもない傑作だと思います。
ストーリーラインからは外れるので省きましたが、虐待されるラリーという幼い少女の挿話も強い印象を残します。
文学作品の面白いところは、答えのない問いがあること、というのが最近のぼくの持論ですが、ジェルヴェーズはどうすれば幸せになれるのか? というのは考えてみると面白いと思います。どこでどう間違ったのか。どこかでなんとかできなかったのか。
うまく面白さが伝えられなかったかもしれませんが、ぜひ興味を持ってもらいたい小説です。機会があったら手にとってみてください。
『ナナ』の方ももうちょっとロシア文学が落ち着いたら、その内読み返してみようと思っています。