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オノレ・ド・バルザック(平岡篤頼訳)『ゴリオ爺さん』(新潮文庫)を読みました。
これはやられました。すごく面白かったです。なんというか上手く表現できないんですけど、いいです。
わくわくどきどきとか、物語のストーリーとしてのめり込む感じはなかったんですが、描かれているテーマがよいというか、色々考えさせられる要素があること、そして後半のゴリオ爺さんの叫べともとれる長台詞にただただ圧倒されました。演劇を見てるような迫力を感じましたよ。すごいです。
読んでる途中で、同じく父と娘の関係を描いたシェイクスピアの『リア王』を連想したので、それについて言及しようと思っていたのですが、文庫の解説など至る所でもう指摘されていたのでやめます(笑)。
この小説でなにより気になるところは、物語の最後、ある決意をして一歩を踏み出した青年ラスティニャック、そして強烈な印象を残して物語から去ったヴォートランが、〈人間喜劇〉の他の作品で登場しているらしいことです。
バルザックの作品は〈人間喜劇〉という総題の元に書かれているので、人物の再登場が多いことが特徴なんです。他の作品も読んでみたくなってしまいました。ラスティニャックのその後がとても気になります。
もうちょっとだけ前置きを書かせてください。『谷間の百合』との比較を少しだけ。
『谷間の百合』はプラトニックな恋愛小説でした。つまり全体を通して美しい描写がなによりの魅力となっています。こちらはこちらで面白いです。
一方この『ゴリオ爺さん』は物語の筋がもう少し複雑で、複数の人物が主人公になるような、ドラマチックな展開が魅力です。ゴリオ爺さんの生き方が描かれることによって、それが正しかったのか、それとも間違っていたのかを読者に問いかける内容になっています。ストーリーの展開としてはこちらの方がより面白いかもしれません。
作品のあらすじ
物語の舞台となるのは、ヴォケー夫人の下宿屋です。決して豪勢とはいえない下宿屋です。そこには色々な人が住んでいるのですが、重要なのは、ゴリオ爺さんとラスティニャック、ヴォートランの3人です。
ゴリオ爺さんは最初謎めいた人物として登場します。金持ちらしいけれど、貧しい暮らしをしている。どんどん倹約していくんです。そして時折、着飾った謎の女たちがゴリオ爺さんの元を訪れる。みんな不思議に思うわけです。一体どういう関係なのだろう? と。
物語の中盤は、ラスティニャックという青年が主人公的ポジションにつきます。まだ学生で、勉強中の身の上なのですが、野心家というか、いつか社会で成功してやろうと思っている。
ちょっと気をつけてほしいのは、このラスティニャックは、ウージェーヌ・ド・ラスティニャックといって、ラスティニャックと書かれたり、ウージェーヌと書かれたりします。混乱するかもしれませんが、同じ人です。学生と書かれたりもします。
ラスティニャックに悪どいことを吹き込むのがヴォートランという男です。このヴォートランはちょこまか出てきては印象的なことを言うんですが、物語の後半ではさらに存在感を増します。ヴォートランは注目して読む価値ありです。まあ本筋にはあまり関係ないですけども。
ヴォートランにそそのかされたりしたこともあって、ラスティニャックは社交界での成功を目論みます。そしてゴリオ爺さんの貧乏暮らしに隠された秘密を突き止めます。
そこまでは書いても大丈夫だと思うので書きますね。ゴリオ爺さんは製麺業者だったんです。つまり商人としてのし上がった大金持ち。そして莫大な持参金をつけて、娘2人をそれぞれ貴族と銀行家という身分の高い人のところへ嫁にやったのです。
戦争のごたごたが終わり、平穏な時代になってみると、婿たちは商人であるゴリオ爺さんとの関係を望ましくないと感じるようになる。そんなわけで娘の一家から離れて、一人さみしく暮らすゴリオ爺さん。そして娘たちは舞踏会の衣装やらなにやらと、しょっちゅうゴリオ爺さんのところへお金の無心にきます。
みんなが不思議に思っていた女たちというのは、ゴリオ爺さんの2人の娘だったのです。いつも衣装が違うから何人もいると勘違いしていたわけです。
つまり物語のコンセプトとしては、父親の無償の愛と、それにつけこむ娘たちの残酷さというものがあります。こどもの頃からそうして欲しいものはなんでも与えてきたゴリオ爺さんの育て方がよかったのかどうかは疑問ですが、そうした金銭をめぐる父娘関係の甘えと赦しが壮絶なまでに描かれ、われわれ読者の胸をえぐります。
ゴリオ爺さんは物語の中盤まではむしろ脇役として登場し、その秘密をつかんだラスティニャックが主役級なキャラクターとして活躍します。ラスティニャックはある夫人の手助けなどを経て、社交界で成功する方法を考えます。そうした野心家の青年を描いたストーリーラインもあるわけです。
あらすじをざっくり紹介するとそんな流れですが、実はほとんど紹介できていなくて、さらなる伏線やもっと色々なストーリー展開があるのですが、ごちゃごちゃするのでこの辺にしておきます。
ゴリオ爺さんは最後どのようになっていくのか? ラスティニャックは社交界で成功できるのか?
そうしたところが読みどころになります。後半にいけばいくほど面白さが増していきます。この2つのストーリーラインが交じりあう、まさに怒涛の展開から大興奮のラストといった感じです。
娘にとことん甘いゴリオ爺さんを見て、ぼくら読者は愚かだなあと笑うのですが、ゴリオ爺さんの心を占めているその深い愛情に気づくと、笑ってばかりはいられません。適切に愛するなんてことが誰にできるでしょう。
ゴリオ爺さんは本当に愚かだったのか? 愛情をしめすとはどういうことなのか?
そういったことを考えさせられます。展開はわかりやすいくらいドラマチックで、ラストは胸を打ちます。タイトル通りゴリオ爺さんの話なんです。ゴリオ爺さんの生き方そして愛し方が、正しかったのか間違っていたのか、それぞれの受け止め方があると思います。
劇的という意味では、これほど面白い小説もそうないと思います。例のごとく活字はわりとぎゅうぎゅうずめですけども、キャラクターの動きがあるので、『谷間の百合』に比べると読みやすいかもしれません。
すごくおすすめの一冊です。ぜひ読んでみてください。バルザック面白いですよ。