『政の哲学』・その1 | くらえもんの気ままに独り言

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 今回から、数回に分けて藤井聡氏と神谷宗幣氏の対談本であります『政の哲学』(青林堂)の感想をまとめていきたいと思います。こちらはCGS(チャンネル・グランドストラテジー)「じっくり学ぼう!政治の哲学」という番組(全16回)の書き起こしでありますので、既に動画をご覧になった方にとっては繰り返しになるかもしれませんが、思い出す意味でも本エントリーを読んでいただけますと幸いです。


 それでは、さっそく始めたいと思います。


第1回 政治は、哲学から切り離せない ~政治の本質~


「何らかの形で政治にかかわる人達にとっての「たしなみ」として引き継がれてきたものが、「政治の哲学」というものなのです。(P13)」


 「政治」というものは二人以上の人間が集まって、何かを調整するときに行われるものであり、その際に是非参照すべきものが「政治の哲学」ってわけですね。2500年前のソクラテスの時代から引き継がれて残ってきたものであるからこそ、何らかの政策を決定するための判断基準とすべきということなのでしょうね。


 さて、現代日本の政治家でこの「政治の哲学」を参考にしながら、政治を執り行っている方がどれだけいるんでしょうかね?


 というわけで、「政治の哲学」ってどんなものだろうかということを次回以降述べられているようでございます。


第2回 「哲人」とは何か? ~洞窟の比喩~


「哲学者は、ホンモノを知り、かつ、人がホンモノを知らないまやかしの中で生きているという真実も知り、その上で、ホンモノを知らずに彷徨いつづけている一般の人々を、どうにかこうにか「治め」ようとする―。これが「哲人統治説」と呼ばれるものなのです。(P34)」


 ここで、洞窟の比喩というものが出てきますが、簡単に言うと、人々はみな洞窟の奥にいて壁の方だけを向いて洞窟の壁に写る影を「皿だ」「リンゴだ」と思っているのですが、あるとき後ろを振り返った人間が洞窟に外があることに気づき、外の世界を見てしまいます。そして、今まで見ていたのは皿でもリンゴでもなくただの影だったことに気づきます。この真実を知った人が哲人というわけです。しかし、この人は洞窟に戻って外の世界があることをみんなに言うのですが、信じてもらえないどころか変人扱いされてしまうと・・・。


 国の借金に問題はないという話を過去にしましたが、「国の借金に問題ないんだよ。」という話をしても、何も知らない一般の人々は「はぁ?何を言ってんだよ?」という反応を示すでしょう。おそらくそういう感覚なんでしょうね。(自分のことを「哲人」とは微塵も思っておりませんが(;^_^A)


国の借金って?

http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11822751320.html

(参考)


 しかし、真実を知ってしまったけど、成す術なしというのは辛いものがありますね・・・。


 本来は政治に携わる資格があるのは洞窟の外の本物の世界を知っている者だけなのですが、実際にはどいつもこいつも洞窟の影しか見たことのないような連中が政治に携わり、私利私欲で動いているのが現代日本の現状なのではないでしょうか。


 まともな政治家なら安倍政権が打ち出す「成長戦略」とやらは日本という国を破壊するような代物であることに気づくはずなのですが、洞窟の影をホンモノと思い込んでいるような者にとってみれば「成長戦略で日本は発展するぞ!!」なんて思い込んじゃってしまうのでしょうね。


 あとは売国政策を推進している安倍政権に対して、「さすが安倍さん」「さすが愛国者」「これからはグローバルだ」「国境や国籍にこだわる時代は過ぎた」なんて喜んでいる方々も、影しか見えていないんでしょうね。


第3回 政治は“好き好んで”やるものじゃない ~哲人統治説~


「哲人は、政治なんて大っ嫌いなんだけど、この世のおぞましさを見るに見かねて、自分だけしか正しい道を指し示してやることができない―と感じて、政治の現場に降り立っていくわけです。(P46)」


 つまり、政治家になりたいなりたいって、政治家になるような奴は哲人ではないってことですね(;^_^A


 おそらく、「国の借金に問題はない」とか「安倍政権の成長戦略はヤバイ」って気づいちゃった人は何かしらの政治活動をその責任感からやっているのではないでしょうか?(当ブログもそういう政治活動の一環となりましょうか。)


 真実を知ってしまった人がやむを得ず政治に参加するというのが望ましい政治のあり方というわけですが、政治に参加する前にどうしてもどうしてもどうしてもどうしても政治に参加したくないけれども、仕方がないから・・・っていう気持ちが必要ってことですね。


 下記のブログの正党さんなんかは引退する引退すると言いつつ、ブログを書き続けていらっしゃいますが、おそらく万やむを得ず続けておられるのかもしれません。(哲人の資質アリ?)


安倍を応援する者は売国奴 正党

http://ameblo.jp/masato1982/


 こういう方たちを応援していくというのも、まっとうな政治のあり方の一つかもしれませんね。

 

第4回 民主主義は、メチャクチャ危ない政治制度 ~理性・気概・欲望の哲学~


「戦後教育を受けてきた私たち現代日本人にとっては、「民主主義はワーストナンバー2だ」なんて話は、かなりショッキングかもしれませんが、そんなことは、2500年前から、政治哲学を巡る議論の中では「常識中の常識」だったんですね。(P69)」


 ちなみにワースト1は欲望・俗情の塊の独裁者が行う「独裁制」です。なんか、今の日本は、「独裁制」の様相を呈しつつあるような気もしなくもないですが・・・。


 逆に最高の政治制度は先ほどからあります「哲人統治」で、その下に「名誉支配性」「寡頭制」が続きます。ここまでだと、「理性」の入る余地があり、より良い政治を行っていくことができるのですが、民主主義以下になると「欲望」がかなり政治に入り込むためとんでもないことになるというわけですね。


 民主主義万歳とかやってる政治家は選挙で勝ったら「選挙で信任を受けたから何をやってもいい」なーんて思っちゃうということです。藤井先生いわく「そいつは絶対に許してはならない悪人です。(P71)」だそうです。たぶん、あの人のことを思い浮かべての発言でしょうね(笑)。


 しかし、卑弥呼の時代や聖徳太子の時代だったり天皇が直接治めていた時代なんてのは「哲人統治」に近い形式だったんでしょうが、いつの間にやら民主主義万歳の時代に成り下がってしまったわけですね。もう、ここまできたら上の政治形態には絶対に戻れないので民主主義をなんとか維持するか、独裁制に落ちるのかといったところでしょうか。(もし、まともな国民が多数を占めるのなら、クーデターを起こして大政奉還というウルトラCもありますが(;^_^A)


第5回 民主主義は、スグに最悪になる ~多数者の専制~


「一人の暴君による専制ではなく、民主主義だからこそ起こってしまう、多数者が横暴に、メチャクチャに振る舞うことによって生ずる専制、という問題です。(P77)」


 哲人でない者が政治に参加し始めたことによって、民主主義と言う名の欲望渦巻く政治が始まってしまうわけですが、このデタラメな民衆による専制を「多数者の専制」と呼ぶわけですね。


 上の方でクーデターの話を出しましたが、一人の暴君が問題ならクーデターで問題は解決するのですが、多数者の専制に陥った場合はクーデターを起こしても問題は解決しません。つまり、多数者の専制に陥ってしまった場合には、その国が滅びるのを待つしかないというわけで、これをなんとか防がなくてはならないのです。


 現代日本の場合、多数者の専制にすでに陥っているような気がしなくもないですが、まだ人々の心の中にわずかでも「理性」が残っていると信じて、啓蒙活動を続けていかなければですね。


 しかしまぁ、これだと政治形態としては「独裁制」が最悪としても、希望が残されている分「多数者の専制に陥った民主主義」よりは「独裁制」の方がマシな気もしますね(苦笑)。



 というわけで今回はここまで。


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本書はコチラ

政(まつりごと)の哲学 (SEIRINDO BOOKS) 藤井聡・神谷宗幣 著

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本動画はコチラ

じっくり学ぼう!政治の哲学

http://www.youtube.com/watch?v=T82rJP39YW8&list=PL6mu43UnNThCxkTVWVU6ZGzzjvSRStGey

(今回のパートは第1回~第5回)



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