昼食の後は、いよいよオールドダッカ地区への観光です。

ダッカ市内の地理を簡単に説明すると、街の北のはずれにジア国際空港があります。そこから南下すると、外国人の多いグルシャン地区、その南にダッカ大学などがあるダッカ中心部、そこからさらに南下してブリゴンガ川につきあたるあたりが、オールドダッカと呼ばれる昔からの街となります。

地図を見る限り、グルシャンからオールドダッカまでは、10kmも離れていないように見えるのですが、車で動くと途中の渋滞がすごいため、2時間以上かかった気がします。


ダッカ大学を越えるあたりから、ベンガル人やリキシャが多くなってきます。道もせまく、両側にお店なんかも並ぶのどかな雰囲気になってきます。



道行くリキシャを写真に撮ろうと父がカメラを出すと、弟が「大丈夫、この先リキシャなんて、いやんなるほど出てくるから。」

その通り。旧市街地に進むほどリキシャの数は増え、狭い路地がリキシャで埋め尽くされています。でもって、そのリキシャの群れをかき分けながら車が進んでいきます。対向車が来ちゃったりなんかすると、かなり大変です。でもうちのドライバーさんは実家がこの近辺らしく、「めにー めにー リキシャ(リキシャがたくさん!)!」などと言いながら平気で運転しています。


さて、ごみごみした路地をかなりの時間進んだ後、最初の観光地は、ラールバーグフォーに到着。


●Lalbagh Fort(ラールバーグ フォート)

入場料1タカ(らしい) 木曜は休館、と聞いていましたが、中の博物館が閉まっているだけで、敷地内へは入れました。
ここは、多分ダッカで一番有名な観光地で、よく紹介されてるみたいです。

ムガール帝国時代の領主かなんかのお屋敷だそうで、塀に囲まれた敷地はきれいに整備された公園のようです。真ん中に博物館の建物があります。


敷地の端っこの方には、崩れかかった城壁跡があり、うちのドライバーさん曰く「この城壁の下に秘密のトンネルがあり、インドのタージマハルまで続いているらしい。」

ガンジス川も越えて・・・?んな、アホな・・・(笑)。まあ、ダッカの都市伝説みたいなもんなんでしょう。


さて、このラールバーグフォート、義妹が「バングラでこんなに手入れ・整備された場所は他には見たことない」というくらい美しいお庭です。芝生にお花が咲き、そこここに気持ちよい木かげがあり、まわりの人ごみだらけの街中と比べると別世界のように静かで落ち着いています。

なので。

実はここ、ダッカ市内の若者にとって、デートのメッカなのです!!!

もう!どの木の下を見ても、カップルが仲良く見詰め合っていたり、並んで語り合っていたりします。イスラム圏だから、そんなにいちゃいちゃ接触しているわけではありませんが、あちこちにハートマークが漂っています。

男2人、女2人、なんてグループ交際の若者もいたりします。

たま~に、男ばっか3人連れ、みたいなグループが歩いてて、「ナンパしに来た?」って感じでした。

父も「それにしても、アベックばっかりいる公園だなあ・・・」

私達は両親もつれて5人組、わいわいがやがや、あーだこーだ言いながら歩きまわっていたのですが、ちょ~っと、まわりのカップルさんにはうるさくて申し訳なかったかな・・・(^^;



続いて訪れたのは、スターモスジット(モスク)


●Star Mosque(スター モスク(またはスター モスジット)

屋根にお星様の模様がいっぱい描かれていて、前の庭園にはお星様の形の池があるのでこう呼ばれているモスクです。

柱や壁には、タイルできれいなモザイク模様が描かれています。

「スターモスジットに行くと富士山が見れるよ♪」と言われていて、行くまでは「?」だったのですが。

奥の建物の壁を見てびっくり。モザイクで描かれた絵の一つに、なんと富士山があるじゃあありませんか!

どうやら、日本とイギリスのタイルで建物を飾りなおしたため、こんな模様がついちゃったそうです。


私達が訪れたのはラマダン中だったため、建物の近くまで行くことはできましたが、途中「今はラマダン中だから、異教徒はこれ以上近づいちゃだめだよ」といってとどめられ、建物の中までは入ることはできませんでした。

「わかった、わかった、これ以上奥までは入らないから大丈夫だよ。」という私達に、パンジャビ来たモスクのおじさん「ちなみに寄付金箱はあっちにあるからね。」

礼拝はダメだけど、寄進だけは受け付けてるみたいです。遠慮させていただきましたが・・・



その後、船が浮かぶブリゴンガ川や、そのあたりに並ぶ市場(多分、船で運ばれてきた果物や野菜をここで下ろして出荷してるんでしょうね)なんかを車窓に見ながら、アシャン・モンディール(通称ピンクパレス)へ。



●Ahsan Manzil Museum(アシャン・モンディール)

通称ピンクパレスと呼ばれる、真っピンクのお屋敷です。あ、でもこんな色合いの建物、結構多いので、ベンガル人はピンク好きなのかもしれません。

旧地主のお屋敷か何かだそうで、私達が訪れた時には門が閉まっていて中に入ることはできませんでした。

仕方がないので、門の前で記念写真のみ撮ってきました。

一応、博物館として公開されているそうです。




このあたりでいい時間になってきたので、帰路へとつきました。

うちのドライバーさんは、英語がぼちぼちしゃべれるので、道すがら一生懸命、窓から見える観光名所を案内してくれます。


「あれが、イギリスから独立した時に人がいっぱい死んだのでその記念の像ね。」

「これは、インドから独立の時に、スピーキングで抵抗した人の記念の広場ね。(ショヒド・ミナール=言語運動犠牲者追悼広場のことかな?)」

「このホテルは、えーと日本人が作ったのかな、日本人がなんか関係あるんだよ。(ショナルガオンホテルのこと)」


私と義妹は、ドライバーさんの片言の英語を聞きながら、ガイドブックでそれらしい場所を確認して、ふんふん、と相槌をうっておりました。

ドライバーさん、ありがとう!


次は、オールドダッカの独特の雰囲気とベンガル人について、少し書く予定です。



⇒ 旅行記18 へ



※2008年7月に再訪した際の観光の様子を追加しました。


オールドダッカ観光追加 (ショドルガット、シャカリバザール、国立博物館)

ジャムダニ織見学

シャバールからのクルーズ