真のお母様(韓鶴子)誕生秘話(1) | ちゃぬの裏韓国日記

ちゃぬの裏韓国日記

カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

「真の家庭情報(5)」を読んだ方は既にお気づきでしょう。真のお母様(韓鶴子)の出生に秘密が隠されていることを・・・・。

さて本題に入る前に、文先生のみ言葉をお読みください。

『アダムとエバが堕落するとき、天使長が姦夫サタンとなって、自分の愛する妻を奪い、息子と娘をすべて滅亡させ、その家庭と世界全部を破綻させたという、この事実をどのようにして忘れるというのですか?(中略)そのために(堕落世界は)近親相姦関係まで行くのです。近親とはだれのことですか?親子の関係です。一番近い愛の関係において混乱が起こるのです。(中略)ですから、天の反対の立場であるサタンは、世の中で貴いということのすべてを奪っていったのです。神様が最も貴く考えるのは、近親絶対理想的相対関係であり、近親相姦関係ではありません。それを近親相姦関係にしてしまったというのです。』
(「七・八節」(天地父母天宙安息圏宣布)の御言1997年8月9日九里市水澤洞・中央修練院 )

文先生は「サタンから始まった近親相姦」は悪だけれども、「神から始まった近親相姦」は貴いと言っています。「近親絶対理想的相対関係」はいいけれども「近親相姦関係」はあってはいけないのです。


■韓鶴子の出生の秘密

もしかして文先生と真のお母様は親子かも知れないという推測の考察です。善の近親相姦はOKと言われる文先生ですから、もし「父娘婚」だったとしても文先生なりの「原理的な意味」があるのでしょう。血分け理論としてはありうるのですが、これはメシア誕生の秘儀として、文先生はこれからも語られることはないでしょう。



1.韓鶴子の(本当の)父親の内容

洪順愛女史(大母様)は真のお母様の父親をどのように証しているか、見ていきたいと思います。

「真のお母様は、私が三十歳(満二十八歳)の時、つまり陰暦の一九四三年一月六日午前四時半、平安南道安州郡安州邑の信義里という村で生まれました。真のお母様の父親は、李龍道牧師の弟子でした。そして「洪唯一という人の娘を嫁にもらえ。その子供が男なら天宙の王になる。女なら天宙の女王になる」との啓示を受けました。私と二月の終わりに出会い、三月の終わりに真のお母様がおなかの中に宿りました。
 私の家系は七代が善の功労を積み、ここ三代は、娘は一人だけの家系です。私には弟がいたのですが、日本に留学していたため、私の親は真のお母様の父・韓承雲氏を婿養子として迎えようとしました。ところが主体性の強い彼は「それはできない」と、出ていってしまいました。真のお母様がおなかにいる七か月目のことでした。生まれてからも、私の親が真のお母様を離さなかったので、私とはそのまま別れてしまったというわけなのです。」
(洪順愛大母様の証1973年12月21日・東京教会にて)

◎証の考察

・李龍道牧師の弟子
(李龍道牧師の死後、黄国柱を経て、李浩彬牧師がイエス教会の代表に選出されました。同牧師は、文鮮明先生が1945年、崔先吉女史と結婚されたときの主礼を務めた人です)
・韓鶴子の父親は「洪唯一という人の娘を嫁にもらえ。その子供が男なら天宙の王になる。女なら天宙の女王になる」との啓示を受けて洪順愛に近づき性関係を迫る
・1942年2月の終わりに出会う(性関係を持つ)
・1942年3月の終わりに妊娠とわかる
・1943年10月ごろ洪順愛が妊娠7ヶ月になりお腹が目だってきたため、妊娠に驚いた婚約者韓承運は結婚話を断る。(7ヶ月は隠し切れない)
・洪順愛の親が、娘(韓鶴子)を養女に出さず家で育てると言い張ったので、自分の娘でないものは育てられないとそのまま別れて、婚約者の韓承運は終戦後、南に移住してしまう。(もし自分の娘であれば、娘(韓鶴子)と一緒に住むことを拒むはずがない。つまり、韓鶴子の父親は韓承運ではないということ)



2.韓鶴子が誕生したのは、金聖道ハルモニが亡くなった後

金聖道 1944年4月1日(金)他界 享年62歳

金聖道ハルモニの死亡日についての教会の見解

『それで白南柱牧師は、復興会をできないといって中止し、金聖道ハルモニのいる平安北道鐡山に帰ってきてしまった。その時、安州から鐡山へ四、五人の婦人が白南柱牧師と共について来た。その中の一人が洪順愛ハルモニである。そして洪順愛ハルモニは金聖道ハルモニと同じ信仰生活を始めた。のちに洪順愛ハルモニが女児を出産した時、七日目に、すでに亡くなっていた金聖道ハルモニが現れて、あなたの娘はあなたのものではなく、神様の娘だから、あなたは大切に育ててこの娘を神様に捧げなければいけない、と語ったということである。亡くなる時にハルモニは、「将来、性の問題で社会から迫害される教会があったら、そこに行け。そこに行けばメシヤに出会える」と語った。』
(教会発表:受難の現場統一教会受難とその真相 柳光烈の説明より)

韓鶴子の出生日が1943年2月10日(陰1.6)ならば、金聖道が他界した1944年4月1日より前になり、洪順愛女史も証で「韓鶴子が生まれて7日目に夢に他界した金聖道が現れた」と言っているのをみると、教会発表の韓鶴子の出生日は嘘になります。

文鮮明教祖と同じ誕生日「陰暦1月6日」も教会の意図的な工作なのでしょうか?



3.洪順愛の結婚の日付と結婚事実の虚偽の可能性

◇婚姻日が2つ存在する

夫は小学校教師の韓承運
(1909年2月10日(陰暦1.20)~1978年3月18日肝硬変で他界 )
※夫の名前は各著書中に「韓承運」と「韓承雲」が存在する(韓承運が有力)

◎洪順愛の証(19歳結婚説)
→1942年ごろ洪順愛の父が小学校教師の韓承運に婿養子に来てほしいと要請
→妊娠発覚7ヶ月のとき出て行ったと表現
(見出し欄の注釈(教会側記載)に1933年韓承運と結婚、10年後出産と記載あり。本人は1933年に結婚したとは言っていない)

◎教会の発表(20歳結婚説)
1934年3月5日韓承運
→8年後(1942年)に洪順愛が啓示を受けて妊娠
→出産は結婚して9年後
(2003年1月 黄善祚会長の説明より)

教会発表(2003年著書出版)では、1934年3月5日に小学校教員の韓承運氏と結婚したことになっています。しかし、1973年の洪順愛女史の証には一言も「結婚」したとは書いていません。戸籍も朝鮮動乱のために消失して確認できない状況ですので断定できませんが、洪順愛女史の結婚の発表は1989年洪順愛女史が他界した後の2003年の発表です。結婚したと言っている当人(洪順愛と韓承運)は既に亡くなっていますので、今では確認することはできません。いま、洪順愛女史の弟が存命であれば、事実関係を確認することができるかも知れませんが、教会側はそれを許さないでしょう。

また、洪順愛女史の証の中で「妊娠7ヶ月のころ婿養子に来て欲しい」と1942年ごろ洪順愛の父が韓承運氏に頼んでいるところから、1934年に結婚していなかった可能性があります。それに息子がいくら日本留学したとはいえ、まだ亡くなってもいないのに、もしもに備えて家督を継がせようというのは、その当時の時代背景から考えて無理があるように思います。



4.洪順愛の結婚したときはまだ学生

1934年3月5日 統一教会発表の婚姻日(まだ学生であり、学校の所在地が安州ではなく平壌)
1936年4月?日 平壌聖経学院卒業

当時、学生でも結婚する方がいたのは知っています。ただ、学業に専念する時期に結婚するかどうかというだけの話ですが・・・・。



5.大母様の霊界祝福

1995年8月23日(漢南洞公館にて)
韓鶴子の父母 韓承運-洪順愛(大母様家庭)

大母様家庭の養子・金賢辰家庭に対する祝福儀式挙行
(金孝南訓母様の家庭の長男・金賢辰(1977年生~))
◎この祝福式があってから数日後、真のお母様は、大母様のご家庭に養子として入籍した金賢辰氏に「韓賢秀」という新しい名前をつけてくださった。その後、韓賢秀氏の家庭は、眞善(1999~)、眞淑(2002~)という二人の子女をもった。また訓母様の家庭は大母様が生前に暮らしていらっしゃった新門路公館の別館で、霊的に大母様のご家庭に侍りながら生活している。
(著書「実録・洪順愛大母様の生涯と信仰」より)


夫婦だったから霊界祝福(結婚)させることに、どうのこうの言うつもりはありませんが、夫婦でない人が祝福を受けるのはいかがなものでしょうか。

真のお母様(韓鶴子)の父は教会の発表では韓承運(韓承雲)氏になってはいますが、この方は1947年に池姫善と言う女性と再婚されています。もしかして、1995年当時、この池姫善という再婚相手の方は生きていらしたかも知れません。再婚相手の女性は1926年生まれですから、夫が別の女性と霊界祝福を受けたときは「72歳」ですので存命の可能性が高いです。霊界祝福は、再婚相手の奥様の承諾を得ていたのでしょうか?真のお母様の父という印象を植え付けるための工作だったかもしれません。



6.2月から3月に妊娠して、翌年2月10日に出産はありえない

洪順愛女史は「二月の終わりに出会い、三月の終わりに真のお母様がおなかの中に宿りました。」と真のお母様(韓鶴子)の出生について語っています。

韓鶴子の出生日
1943年2月10日(陰1.6)寅の刻(午前4:30)

ですが、もし2月終わりに排卵日で着床妊娠したとしたら、出産はいつでなければならないでしょうか?


『出産予定日のカンタンな計算方法出産予定日は、最終月経の開始日をもとに決めるのが一般的。
・何月かは、最終月経の月の数から「-3」する(引けない場合は、「+9」)。
・日にちは、最終月経の日にちに「+7」します。
(280日が妊娠期間)

2月  25日(最終月経)
+9  +7
………………
11月 32日 →12月2日(出産予定日)』

(妊娠期間、十月十日・とつきとおかの数え方 - [妊娠・出産準備] All Aboutより) 
http://allabout.co.jp/gm/gc/224113/

3月末に妊娠しても翌年1月です。これは陽暦2月として計算しています。陰暦だと、さらに前に生まれることになります。誕生日が間違っているのでしょうか?洪順愛女史の記憶が間違っているのでしょうか?

「真のお母様(韓鶴子)誕生秘話(2)」に続く