真の家庭情報(5) | ちゃぬの裏韓国日記

ちゃぬの裏韓国日記

カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■洪順愛プロフィール

出生日:1914年3月18日(陰2.22)~1989年11月3日(陰10.5)

出身地:平安北道定州に出生
   (平安南道安州郡新義里育ち)

学歴:
193?年?月 安州普通学校卒業
1936年4月 平壌聖徒学院卒業
(著書「実録・洪順愛大母様の生涯と信仰」より)


家族:
(父)洪唯一
(母)趙元模
(弟)洪順貞
(娘)韓鶴子
※三代一人娘の家系ではない。教会の発表はうそ。

◎(教会発表)三代一人娘の続く家系
(祖母)趙元模→(母)洪順愛→(娘)韓鶴子
      ↓

◎実際は洪順愛に弟がいる
(祖母)趙元模→(母)洪順愛・(母の弟)洪順貞→(娘)韓鶴子



結婚:婚姻日が2つ存在する

夫は小学校教師の韓承運
(1909年2月10日(陰暦1.20)~1978年3月18日肝硬変で他界 )
※夫の名前は各著書中に「韓承運」と「韓承雲」が存在する(韓承運が有力)

◎洪順愛の証(19歳結婚説)
→1942年ごろ洪順愛の父が小学校教師の韓承運に婿養子に来てほしいと要請
→妊娠発覚7ヶ月のとき出て行ったと表現
(見出し欄の注釈(教会側記載)に1933年韓承運と結婚、10年後出産と記載あり。本人は1933年に結婚したとは言っていない)

◎教会の発表(20歳結婚説)
1934年3月5日韓承運
→8年後(1942年)に洪順愛が啓示を受けて妊娠
→出産は結婚して9年後
(2003年1月 黄善祚会長の説明より)



離婚:洪順愛が妊娠7ヶ月のとき韓承運と離婚
(離婚の理由)

「私の家系は七代が善の功労を積み、ここ三代は、娘は一人だけの家系です。私には弟がいたのですが、日本に留学していたため、私の親は真のお母様の父・韓承雲氏を婿養子として迎えようとしました。ところが主体性の強い彼は「それはできない」と、出ていってしまいました。真のお母様がおなかにいる七か月目のことでした。生まれてからも、私の親が真のお母様を離さなかったので、私とはそのまま別れてしまったというわけなのです。」
(洪順愛大母様の証1973年12月21日・東京教会にて)

※洪順愛の妊娠が発覚したため、韓承運が婿養子要請を断ったと思われる。



■洪順愛の生涯

1914年3月18日 洪順愛出生
1920年代~ 新イエス教会を母と信仰
1933年?月?日 結婚(まだ学生・洪順愛の証より)
1934年3月5日 統一教会発表の婚姻日(夫韓承運25歳)
1936年4月?日 平壌聖徒学院卒
1942年4月?日 韓鶴子を妊娠(文鮮明22歳)
1942年10月ごろ韓承運と離婚(妊娠7ヶ月の時)
1943年2月10日 韓鶴子を出産(文鮮明23歳)
1951年1月14日 北から南へ避難
1951年1月?日 大邱・済州島で生活
1956年12月?日 統一教会入教
1960年4月11日 娘の韓鶴子が文鮮明と結婚
1989年11月3日 他界



■神霊教団(混淫派)と洪順愛の関係
(書きかけ)

(神霊運動1920年)
李龍道牧師「新イエス教会」(黄國柱・李チョンヒョン)
金聖道氏「聖主教」
許浩彬氏「腹中教」

1933年
李龍道牧師と黄國柱氏を監理教と長老教で葬り去ろうとしていたときでした

1936年
3年たっても奇跡が起きない(信仰を去るものが続出)
洪順愛の母・趙元模と「新イエス教会」をやめ鐵山の「聖主教」へ
(1944年まで八年間信仰)



■韓鶴子(真のお母様)の家系図

◎母方
(外曽祖父)趙漢俊→(祖母)趙元模→(母)洪順愛→(娘)韓鶴子

◎父方
(曽曽祖父)韓相五→(曽祖父)韓正順→(祖父)韓炳健(祖母)崔基炳→(父)韓承運→(娘)韓鶴子・(異母弟・長男)・(異母弟・次男)韓偉勇


◎韓鶴子の親族
(母の弟)洪順貞
※洪順貞は1940年ごろ日本留学していた模様
『当時、大母様の弟・洪順貞氏は、平壌師範学校を卒業したのち、一九四〇年ごろから、日本の京都にある同志社大学付属中学校を経て、大阪薬学専門学校(現・大阪大学薬学部)に留学中であった。そのころ、大母様の両親は、韓承運先生を婿養子にしたいという意志をもっていたが、韓承運先生はこれを断られた。韓氏家門の長男であり、特に当時は遠く離れた黄海道の建白で教職生活をしていたこともあって、妻の家にとどまれない状態であった。』(著書「実録・洪順愛大母様の生涯と信仰」より)

※洪順貞氏は1957年ごろから陸軍における大領という階級になり、釜山に移って医務基地の補給倉長として勤めるようになった
(著書「実録・洪順愛大母様の生涯と信仰」より)

(母の弟の妻)蔡佳筍
※洪順貞氏は、大邱にいた時期に蔡佳筍氏と婚姻した
(著書「実録・洪順愛大母様の生涯と信仰」より)

◎韓鶴子の異母兄弟
韓偉一(鶴子の弟・長男):1948年3月1日生
   京畿道廣州郡昆池岩里で出生

韓偉勇(鶴子の弟・次男):6.25動乱で釜山に避難する途中誕生

『長男の韓偉逸氏は、光云電子工科大学(現・光云大学校)で電子工学を専攻したのち、東洋精密工業株式会社、マクソン電子工業株式会社、サムド電子株式会社などを経て、フィリップ電子株式会社の九老工場長および開発担当理事、ジサンAEM株式会社の共同代表理事、ロロ・システム開発株式会社の担当理事、一成レジャー産業株式会社の会長を歴任。現在(二〇〇七年)は、一信石材株式会社の会長として奉職している。そして、一九七三年十月、鄭英仙氏(一九五一~、出身は平安北道博川郡)と婚姻し、林(一九七四~)と森(一九七五~)という二人の子女をもった。』
(著書「実録・洪順愛大母様の生涯と信仰」より)


◎韓承運(韓鶴子の父)の再婚
1947年池姫善と再婚(韓承運が38歳のとき)
(池姫善は同じ学校で教職の同僚だった)

1995年8月23日(洪順愛と漢南洞公館で霊界祝福)
韓鶴子の父母 韓承雲-洪順愛(大母様家庭)
※洪順愛は生前、1976年12月21日(陰11.1)独身祝福(米・イーストガーデン)

◎池姫善(父の再婚相手)
出生日:1926年1月3日(池姫善21歳)
出生地:ソウル市鍾路区社稷洞一〇七番地
父)池賢植 母)崔巨福(四男三女の長女)
京城女子商業学校を優秀な成績で卒業
(小学校の教師として終生を奉職した献身的な女性教育者。韓承運先生と婚姻後一、二箇所を除いてはずっと同じ学校で共に教職生活をした)
(著書「実録・洪順愛大母様の生涯と信仰」より)
1999年2月7日(三億六千万組の祝福式の時に霊界祝福)
韓鶴子の父の後妻 性徹-池姫善(相手の性徹氏(1912~1993)は韓国仏教界の巨星・大僧侶)

◎大母様家庭の養子・金賢辰家庭に対する祝福儀式挙行
1995年8月23日 金賢辰(韓賢秀)・林和英
(金孝南訓母様の家庭の長男・金賢辰(1977年生~))
※『この祝福式があってから数日後、真のお母様は、大母様のご家庭に養子として入籍した金賢辰氏に「韓賢秀」という新しい名前をつけてくださった。その後、韓賢秀氏の家庭は、眞善(1999~)、眞淑(2002~)という二人の子女をもった。また訓母様の家庭は大母様が生前に暮らしていらっしゃった新門路公館の別館で、霊的に大母様のご家庭に侍りながら生活している。』
(著書「実録・洪順愛大母様の生涯と信仰」より)
※1995年8月23日大母様記念館を「忠義愛館」と改める


■韓鶴子プロフィール

出生日:1943年2月10日(陰1.6)寅の刻(午前4:30)

出生地:平安南道安州群安州巴信義里26番地
※定州(文教祖の故郷)と安州(韓鶴子の故郷)は川を一つ挟んだ所にあり七里(28キロ)の距離

学歴・職歴:
1956年3月?日 鳳儀初等学校卒業(春川)
1959年3月?日 聖貞中学校卒業(現・善正女子中学・ソウル)
1959年3月?日 聖ヨセフ病院(看護補助員寮生・現カトリック大学校看護大学)

結婚:文鮮明の後妻として入籍
1956年文教祖と初対面
1960年3月27日(陰3.1)約婚式
1960年4月11日(陰3.16)聖婚式(挙式のみ)
1961年12月29日婚姻届出(長女出生後)


■韓鶴子の(本当の)父親の内容

「真のお母様は、私が三十歳(満二十八歳)の時、つまり陰暦の一九四三年一月六日午前四時半、平安南道安州郡安州邑の信義里という村で生まれました。真のお母様の父親は、李龍道牧師の弟子でした。そして「洪唯一という人の娘を嫁にもらえ。その子供が男なら天宙の王になる。女なら天宙の女王になる」との啓示を受けました。私と二月の終わりに出会い、三月の終わりに真のお母様がおなかの中に宿りました。

 私の家系は七代が善の功労を積み、ここ三代は、娘は一人だけの家系です。私には弟がいたのですが、日本に留学していたため、私の親は真のお母様の父・韓承雲氏を婿養子として迎えようとしました。ところが主体性の強い彼は「それはできない」と、出ていってしまいました。真のお母様がおなかにいる七か月目のことでした。生まれてからも、私の親が真のお母様を離さなかったので、私とはそのまま別れてしまったというわけなのです。」
(洪順愛大母様の証1973年12月21日・東京教会にて)


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ここからは、私(ちゃぬ)の推測です。
教会発表(2003年)では、1934年3月5日に小学校教員の韓承運氏と結婚したことになっています。しかし、1973年の洪順愛女史の証には一言も「結婚」したとは書いていません。戸籍も朝鮮動乱のために消失して確認できない状況ですので断定できませんが、洪順愛女史の結婚の発表は1989年洪順愛女史が他界した後の2003年の発表です。
結婚したと言っている当人(洪順愛と韓承運)は既に亡くなっていますので、今では確認することはできません。いま、洪順愛女史の弟が存命であれば、事実関係を確認することができるかも知れませんが、教会側はそれを許さないでしょう。

では、洪順愛女史(大母様)は真のお母様の父親をどのように証しているか、見ていきたいと思います。

◎真のお母様の父親

・李龍道牧師の弟子
(李龍道牧師の死後、李浩彬牧師がイエス教会の代表に選出されました。同牧師は、文鮮明先生が1945年、崔先吉女史と結婚されたときの主礼を務めた人です)
・韓鶴子の父親は「洪唯一という人の娘を嫁にもらえ。その子供が男なら天宙の王になる。女なら天宙の女王になる」との啓示を受けて洪順愛に近づき性関係を迫る
・1942年2月の終わりに出会う(性関係を持つ)
・1942年3月の終わりに妊娠とわかる
・1943年10月ごろ洪順愛のお腹が大きくなり、妊娠に驚いた婚約者韓承運は結婚話を断る。
・つまり、韓鶴子の父親は婚約者の韓承運ではない。

韓承運と洪順愛は、まるでヨセフとマリアの関係ですね。そして、本当の父親は2月に洪順愛と関係し3月に妊娠しています。韓鶴子の本当の父は、洪順愛が「主とであった」話と文教祖と統一教会で出会ったときの様子でなんとなく繋がります。

(推測ですが・・・)

文鮮明(父)ー洪順愛(母)
        ↓
      韓鶴子(娘)

という相関図が・・・・。
つまり、韓鶴子さんは文鮮明教祖の娘であり、妻ということです。
これが、秘儀としての最高の血統転換の奥義です。


◎韓鶴子が誕生したのは、金聖道ハルモニが亡くなった後

金聖道 1944年4月1日(金)他界 享年62歳
(教会発表:受難の現場統一教会受難とその真相 柳光烈の説明より)

「それで白南柱牧師は、復興会をできないといって中止し、金聖道ハルモニのいる平安北道鐡山に帰ってきてしまった。その時、安州から鐡山へ四、五人の婦人が白南柱牧師と共について来た。その中の一人が洪順愛ハルモニである。そして洪順愛ハルモニは金聖道ハルモニと同じ信仰生活を始めた。のちに洪順愛ハルモニが女児を出産した時、七日目に、すでに亡くなっていた金聖道ハルモニが現れて、あなたの娘はあなたのものではなく、神様の娘だから、あなたは大切に育ててこの娘を神様に捧げなければいけない、と語ったということである。亡くなる時にハルモニは、「将来、性の問題で社会から迫害される教会があったら、そこに行け。そこに行けばメシヤに出会える」と語った。」

韓鶴子の出生日が1943年2月10日(陰1.6)ならば、金聖道が他界した1944年4月1日より前になり、洪順愛女史も証で「韓鶴子が生まれて7日目に夢に他界した金聖道が現れた」と言っているのをみると、教会発表の韓鶴子の出生日は嘘になります。

文鮮明教祖と同じ誕生日「陰暦1月6日」も教会の意図的な工作なのでしょうか?



■み言葉からみる文教祖と李龍道の後継者李浩彬との関係

●イエス教の李浩彬牧師、韓俊明、朴在奉牧師など、幹部たちを私はよく知っています。このような人々が、先生と本当に近かったのです。それゆえに、聖進のお母さんと結婚する時、新イエス教に行って、その李浩彬牧師を私が引っ張ってきたのです。それほど近いのです。なぜ近いかといえば、平壌の新イエス教の日曜学校の学生が千名近くいましたが、私が立ち寄ることができれば、いつでも日曜学校の教育をしていたからです。私はその学生たちの間でうわさになっていたのです。そのように牧師たちと親しかったために、李浩彬牧師ともよく知る間柄になったのです。それで聖進のお母さんと結婚する時、李浩彬牧師が主礼をしたのです。
(真の御父母様の生涯路程より)

●私はイエス教の朴在奉牧師とか、李浩彬牧師とかいう人々の背後をよく知っています。その人々の背後に対してよく知っていますが、今まで私の口からその人たちの欠点について一言も話したことはありません。彼らにも従う人があります。彼らと彼らに従う人々とは因縁があって出会ったのです。神様が百ぐらいの因縁を中心として出会うようにしてくれたのに、それを五十くらいの因縁に引き下ろせば、引き下ろした人が責任を負わなければならないというのです。いったんその畑に植えたものは、その畑で取り入れなければならないのです。
(真の御父母様の生涯路程より)

● 李浩彬牧師は、新イエス教の総帥です。私がソウルに上がっていくとき、そこに寄れば、青年や学生たちを呼んで集めてくれたのです。私が黙っていても、その牧師たちが一つになって、学生たちに話をしなさいと言ったのです。話をしなさいと言えば、私は上手にするのです。数千人を泣かせることができ、ありとあらゆることをしたのです。青年たちを感動させる覇権をもっている文総裁だということを知らなかったでしょう。
(「以北出監五十四周年・霊界統一解放四周年」記念式での御言)

●私が生まれた時は、その当時、天から特別に準備された、名の知られた有名な牧師たちがいたのです。李龍道、李浩彬牧師、その他の牧師たちがいたと記憶しています。私のお母さんが洪氏であり、私のお祖母さんは趙氏ですが、お二人が、これらの牧師たちと大変近い間柄だったと聞いております。私のお母さんとお父さんが出会うようになったのも、天の啓示によってなされたことなのです。「お前たちが一緒になって、天が貴く用いることのできる子孫を生みなさい」ということで結ばれたのです。それが、お二人の方が出会うようになった動機だと聞いています。洪ハルモニの生涯は、啓示によって一生を生きてこられた方だと思います。既に亡くなったのですが、あの方の一生というのは、女性としては完全なる祭物の人生だったと思います。
(真お母様の証 希望に満ちた天国建設/一九九三年は特別な年)