血分けについての所感 | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

今日は、ちゃんとした検証記事ではないです。単にひとりごとです。

私が、「血分け」記事を書き始めたのは、昨年2010年の11月15日です。まだ、2ヶ月しか経ってないんですね。私には、もっと長く書き続けた感覚がありますけど。

いろいろ調べていて一番驚いたことは、『「血分け」の事実を現役の方は結構知っていた』ということです。相当上の大幹部でなくても、ある現役の方もブログで「先輩食口から血分けの内容を聞いたことがある」と言われていたり、元食口の方もブログで「血分けの内容は先輩食口からきいた」とか「身内から聞いた」とか話すのをみて、正直私が驚いています。

私は、「六マリアの悲劇」の本や、ネットでの幹部の話などしか「血分け」のことを聞いたことがありません。しかし、意外に「血分けはあったと聞いている」という人は多いのです。

血分けの事実を知っていても、話題にされない方の事情はさまざまでしょうし、話題にしないので記事にする人も少ないのでネットで広がることもなかったというところでしょうか。
1.原理的に血分けはあって当たり前であるが、話題にすることで教会が世間から非難されるので口外すべきではないと考えるケース。
2.事実があったことは聞いたけれど、多分単なる噂だと思っているケース。
3.知っているけれど教会を離れたので話題にしたくないと思っているケース。
4.事実を口外すると身に危険があるので言いたくてもいえないケース。

まあ、それぞれだと思います。
文先生のみ言葉で下記のようなみ言葉がありました。

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自分の親戚を中心として、従兄弟、また従兄弟を中心としてしなければならないのに、他の地に行ってしようとしたので、不信されて、追い込まれながら死んだのです。兄弟達同士でやったならば、打ち殺されることはなかったでしょう。そうではありませんか。何故イエスは死ななければならなかったのでしょうか。マリアとヨセフが過ったからです。ヨセフが夜も昼も、「これは誰の息子なのか」、と言いながらマリアと喧嘩をしたために、その噂は広がったことでしょう。イエスが私生児として追い込まれた動機は、ヨセフとマリアが過ちを犯したためです。ヨセフが秘密を守って、村でも「この子は私の息子だ」と言って、目をつぶって暮らしていたならば、イエスは村の中でもお兄さんとして、弟として愛されたことでしょう。けれども、そうすることができなかったために、私生児として追い込まれるようになったのです。氏族の中でもイエスを受け入れることができない立場に立ったために、悲惨な運命の道に立って、外地に出て定着して、外から再蕩減をして、氏族を復帰し、民族を復帰しなければならなかったことが、イエスが十字架で亡くなった動機となったのです。他の人の血を受けて生まれた私生児と、誰が一つになろうとするでしょうか。万が一、ヨセフとマリアが良くしたならば身内、親戚と姻戚の八寸までも、七〇人門徒、一二〇人門徒を立てることができたでしょう。そのようになれば、一族はすべて神側に立てられたために、イエスは何もしないで静かにいて家庭をなして子供さえ生めばいいのです。母子協助をしたので、父女協助をすることのできる基盤さえできれば、御旨は自然になされるのです。
(我が家庭のいく道(後編)1971年8月28日清平修練所)
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これはイエスのときに「神の血統」を守るために完全に「密室化」しなかったために、神の摂理が失敗してしまったと言っています。『イエスは何もしないで静かにいて家庭をなして子供さえ生めばいいのです。母子協助をしたので、父女協助をすることのできる基盤さえできれば、御旨は自然になされるのです。』出生の秘密があったとしても神の血統のためならば、口外してはいけないと言っています。
(※なるほど「母子協助」の次は「父女協助」なんですね。「母と息子の性関係」の次は「父と娘の性関係」だとここではっきり言ってます。777双の祝福当時は結構こういうことが語られていたんですね)

ですから、36家庭はじめ幹部クラスの家庭たちは、みな口外しなかったのでしょう。神の血統を守らなければならないということにおいて、言うことはできないのです。

あと「血分け」の事実が広がらなかったのは、当事者が「恥ずかしい行為」として誰にも言えなかったことも関連しているのでしょう。六マリアだった人の中で唯一インタビューを受けたのはユシンヒさん一人だけだったのを見ても、世間に堂々と口外できる内容ではありませんし。事実ユシンヒさんも「恥ずかしくて今まで言えなかった」と言うのを見て、事実血分けは教会ではあったけれども、言えない人が多いのかなと印象を受けました。それは、教会を離れた立場の方でも同じなのでしょうね。

まだ、現役さんで「血分け」はなかったと思っている方はいるんでしょうか?
教会で言っているタマルやマリアの内容のように「血統転換」には「神の血統を残すことに対する命がけの性行為」がつきものだと思ったほうが自然なような気がしますけど。