文教祖的血統転換についての雑感(9) | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

私の血分けについての雑感(独り言)です。


レアとラケルについて以前(※参照)書きましたが、前妻の崔先吉夫人(レア)と韓鶴子夫人(ラケル)は何を持って一体化したのでしょうか?
み言葉ではこのように文教祖は述べています。

『(前妻の崔先吉夫人が)六五年だったか、やって来て「どうか台所にでも入って、仕事ができるようにさせてくださいませんか」と言ったのですが、もうすべてが過ぎたというのです。また、いつだったか、一度私はその女性と道端で会いました。どれほど哀れだったことでしょうか。それを見れば、愛しているようなのです。それはどんなに哀れなことでしょうか。そのことが忘れられません。聖進の母親が反対しなかったならば、絶対的に夫のみを信じていたならば、知らない内にみ旨は全部成し遂げられていくのです。統一教会がなぜ、全世界的に反対を受けたのですか。監獄になぜ、行かなければならなかったのですか。聖進の母親が反対することによって、準備していたすべての団体が犠牲を被ったのです。腹中教もそうなり、既成教会もみんなそうなってしまったのです。ゆえに、民主世界がすべて引っ掛かって行ったのです。私がそれを考えれば、それを一対一で考えて、復讐心をもつならば、雷を落としてしまわなければならないでしょう。しかしながら、地獄まで復帰しなければならないというみ旨があるために、この前、聖進の母親が住む家の前までお母様を連れていったのです。この世的に考えれば、そこはお母様がついていくところではないのです。背を向けるべきところなのです。そして家を買ってあげるにも、全部お母様が買ってあげるようにしたのです。今までも生活費をまかなってあげたでしょう。別れた中でも今まで夫の役割をしてきたというのです。復帰はそのように難しいのです。それはすべて、蕩減条件に引っ掛からないためです。私だけではありません。お母様もそのようにしなければならないのです。女性の中の女性、「ため」に生きる女性の姿を残さなければならないのです。そのような意味で、お母様は立派なのです。何の不平不満もなく「ええ、そうされなければならないでしょう」と言うのです。そのようにして、それを越えたお母様が立派なのです。私はいつか、その一家を全部招待して宴をしてあげようとも思うのです。怨讐を残してはならないのです。み旨をすべて成した時には、「あの時は残念だった」と言って、私が立派な料理店で会い、一度、宴をしてあげるかもしれません。そう、いつか一度会って、すべて慰労してあげなくてはならないのです。
(真の御父母様の生涯路程3)

文教祖は「怨讐を残してはならない」というところまで行かなければいけないと言っています。それが一体化した基準だということです。誰かが愛の嫉妬のゆえに「恨み」をこの世に残して、心の中の恨みを清算できず霊界にでも行ったものなら「アウト」だというのです。

実は、私もこの内容に関しては私も「同意見」です。しかし、その一点の「恨み」も残さず、女性が互いに無くてはならない存在になっているでしょうか?(ちなみに日本の神道は「解怨(鎮魂)」に重きを置いています)

(ちなみに文教祖前妻の崔先吉夫人は2009年11月16日他界され、 孫の文信一氏喪主で昇華式が11月18日行われたそうです。韓鶴子夫人が焼香参列したのかは不明ですが、勝ったという感覚ではなく、かけがえのない存在として一体化した仲になることによって、はじめて歴史的な蕩減を清算したといえるのではないでしょうか。)

それが、再臨協助で歴史的再現だとしたら絶対に「(霊に再臨された)当事者同士」が清算し解決しなければ意味が無いのではないでしょうか? 代役を中心人物として誰か立てて、だれだれの失敗を蕩減しましたと言っても意味があるのでしょうか?

もし再臨協助があるとすると、それは「代役の人物」も「代役の品物」も効かないものではないのではないでしょうか。愛の恨みは愛の関係で再現され、お金の問題はお金で再現されるはずです。すべての問題を「献金」という免罪符で解決されるとは到底思えません。(清平は免罪符の原理で献金を出させていますが)

実際文教祖も、さまざまな愛の問題も、人類始祖の愛の過ちのために起こりうると述べているはずなのに、なぜか最終的にはいつも「献金(免罪府)」の要求です。


タマルは原理(血分け)のエキス的内容・・・・・

『タマル、あなたたちタマルについて研究すれば、原理すべてが分かる。タマルは誰と関係して子供を生んだの。舅(しゆうと)だね。舅と関係して生まれた子供が、いかにしてイスラエルの血統を受け継ぐことができたか。世の中にそのようなことがあり得るか。ソロモンの母は誰? バテシバ。バテシバはどういう女性か? ウリヤの妻だ。ダビデ王がウリヤの妻を奪い取った。その子供がいかにしてソロモン王になるか。ウリヤは何かというと、第二の主人だよ。これが堕落もしない前のエデンの園のその位置に再び帰った立場、すなわちダビデはアダムの立場、ウリヤは天使長の立場、天使長の妻は復帰しなければならないエバの立場。天使長がアダムの相対者たるエバを、堕落して引っ張っていった。愛によって占領して、盗んでいった。それを蕩減するには、そういう三角関係に立ってもとがえししなければならない。そういう原理的基準に立った条件を成した基台の上に生まれた子供は、天の愛の子供として、栄光の子供として生まれる。ソロモンは栄光の子供だ。タマルという女は自分の舅と関係したが、その精神が立派だというんだね。その時の掟{おきて}によると、淫行の女は石で打ち殺すというような時代圏において、自分の第一の夫、第二の夫が死んでしまった。この血統は神が愛しているということを知っている。この血統を守らなければならない。自分の体面とか、自分の威信が問題ではない。神が願う血統をいかに残すかという、愛するかという問題である。血統を愛する。血統を愛したから、血統を復帰しなければならない神の摂理の圏に立ち帰る。心情的に立ち帰る条件になる。それで舅と関係した。これを見た場合には舅はどういう立場か、自分のお父さんだよ。』
(血統的転換1970年10月13日韓国・水沢里)


タマルの結婚はユダヤ社会では「レビレート婚(レビラト婚)」と言われているものです。

『レビラト婚は、寡婦が死亡した夫の兄弟と結婚する習慣。レビラトは、ラテン語で夫の兄弟を意味するレウィル(levir)に由来する。レビレート婚ともいう。その目的は、最初の婚姻で結ばれた両親族集団の紐帯を維持し続けようとすることにある。ユダヤ、パンジャブ、モンゴル族、匈奴、チベット民族などで一般的。兄弟が寡婦の権利・義務を受け継ぐ場合も含めると、世界中に広く見られる。日本では逆縁ともいう。』
(ウィキペディアより)

『《レビレートは、levirate。ラテン語のlevir(夫の兄弟)から》夫の死後、未亡人が、夫の兄弟の一人と再婚する婚姻形態。日本でも弟直しとか、つぎ縁と称して各地で行われていた。兄弟逆縁婚。⇔ソロレート婚。』
(デジタル大辞泉より)

レビレート婚に関する内容が詳しく説明されています。
創世記38章のタマルの行動についてhttp://okwave.jp/qa/q4901561.html

タマルが生きていた当時、レビレート婚はユダヤの風習として正当なもので、上記のアドレス中の説明でも、「父系社会を守ること」と「ユダの血統からメシアが生まれるというヤコブの予言の成就」から見てもタマルの行為は推奨はできないが、案外抜け道が大いにある対策であったことが分かります。しかしタマルが助かるためには「ユダのしるし」をもらっておくことは必須でしたが、多分統一信者が思うより深刻な内容ではなかったのではないでしょうか。

ユダヤ社会においてはタマルと舅のユダとの性的関係は、父系血統主義から見れば異邦人と交わって子孫を残すより、むしろ合法的といえたでしょう。

また、アブラハムとサラがエジプトで捕らえられた際、エジプト王にサラを妹として差し出したのは、アダムとエバ(兄妹)とルーシェル(エジプト王)の蕩減するためであると、文教祖は大発見のように語っていますが、実はサラはアブラハムとは実の(異母)兄妹でした。サラは妻でもあり、実の妹でもあったのです。(ですから嘘でもないわけです)

<聖書の中にみるユダヤ社会の近親婚>
◆アブラハム・サラ(異母兄妹)
◆イサク・リベカ(いとこ同士)
◆ヤコブ・レアとラケル(いとこ同士)
◆ダビデ・ミカル(異父兄妹)
(「マグダラのマリアの部屋」よりhttp://ameblo.jp/chanu1/entry-10963707679.html

そして、統一原理の中に出てくるイエスと洗礼ヨハネの妹との「兄妹婚」も実はユダヤ社会では「種の存続」のために日常的に行われてきた行為(結婚)でもありました。(ただ、イエスの場合は私生児だったため父系血統においていろいろ問題もあったため難しい面もあります)教会初期には文教祖はイエスの結婚は母子協助(母と息子の性行為)を主に語っていたのですが・・・・。

しかし、韓国は全くその逆で、いとこ同士はおろか同本同姓の結婚さえ兄妹とされ、忌み嫌われる婚姻関係なのです。(前回の記事参照

ですから、ユダヤ社会では日常的でも、韓国でもしこのように「異母(異父)兄妹婚」などということになればセンセーショナルであり、宗教的視点から見れば『まさに神業』であると捕らえやすいところを文教祖は教義として利用(または思い込み)したのでしょう。

さらに文教祖は近親相姦はサタン的行為であると語っており、それを蕩減するためには文家庭(真の家庭)内での『近親絶対理想的相対関係』でなければならないとしています。(※参照

ユダヤ社会と韓国では同じ「父系血統主義」ですが母方も純粋に父系由来かどうかは、反対の立場をとっています。