大分・熊本旅④ 竹田 岡城跡と沈堕の滝(大分)2022.10. | 今よりは風にまかせむ。

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爺様猫のチャマとふたり暮らし。
休日に自然や文化・歴史にふれたプチ旅に出るのが楽しみです。
緑に包まれたベンチでおにぎりを頬張る… 空を見上げる…
流れる雲を見送る… 深呼吸~~~
すべての煩わしさから解き放たれて、静かな喜びが胸に満ちてきます。

 

楽聖 滝廉太郎、創聖 朝倉文夫

竹田市は偉大なる芸術家を輩出した町

彼らの遊び場だった裏山(岡城跡)を歩く

 

 

  春高楼の 花の宴
  巡る盃 影さして
  千代の松が枝 分け出でし
  昔の光 今いずこ

 

難攻不落の堅城と謳われた奥豊後の岡城。

坂を上って大手門から本丸へと歩む道すがら

断崖絶壁から見渡した山々の眺めは美しく

麓には大野川と国道502号線が見えました。

 

土井晩翠作詞・滝廉太郎作曲 「荒城の月」 詩碑 ※晩翠の筆跡

 

耳を澄ますと ♪♪♪♪♪♪♪~ 

メロディロードのこの曲が、風に乗って

聴こえてきました。  ƪ(˘⌣˘)ʃ ちょっと♭

 

 

 <一日目> 大分空港…杵築のキツキテラス

 <二日目> 湯布院…(やまなみハイウエイ)…星生温泉 山恵の湯…阿蘇神社

          横参道水基めぐり…(阿蘇パノラマライン)…草千里ヶ浜・中岳噴火口

         …白川水源…(ミルクロード)…黒川温泉泊

 <三日目> 黒川温泉 新明館…鍋ケ滝…黒川温泉 山みず木…大分県竹田市へ

         竹田 岡城跡…豊後大野市 沈堕の滝…長湯温泉泊

 

 過去ブログ
 ★大分・熊本旅① 手始めは杵築で海鮮BBQ(大分)2022.10.
 ★大分・熊本旅② 大分~湯布院~阿蘇(熊本)2022.10.
 ★大分・熊本旅③ 黒川温泉と鍋ケ滝(熊本)2022.10.

 

 

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2022.10. ≪三日目の午後から≫

 

三日目の旅

 

黒川温泉(熊本)を出発した私たち、

さあ午後はいよいよ私の故郷、

大分旅行のはじまりで~す♪ (*^ー゚)v

 

まずは

今回の帰省旅では 「絶対に外せない」 と

コースに入れていた竹田市の岡城跡へ。

大分の田舎のそれもお城も何にもない城跡なんか

Мちゃんホントは気乗りしないんじゃないかなぁと

内心思いながら案内したところ、、、

あの、あのМちゃんが!! ミ(`◇´)キ あのって何よっ

めちゃめちゃ感動してくれました。 (゚ーA) うれしい
 
 
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午後のコース
\大分県の旅/ 黒川温泉→(R442・30km)→ 竹田市・岡城跡
→(原尻の滝はパス)→ 豊後大野市 沈堕の滝 → 長湯温泉泊
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12:35
朝イチで鍋ケ滝を訪ねた興奮冷めやらぬまま
大分県に突入しました。 
 (≧∀≦) 滝すごくヨカッタね~
 (≧∀≦) キレイだったね~
 
 
瀬の本を過ぎて間もなくすると
左手前方に “くじゅう連山” が見えてきます。
 
 
★大分・熊本旅② で書いたとおり
熊本の阿蘇五岳よりも大分のくじゅう連山の方が
標高的には高いんですよね~って
競う訳ではありませんが、もう一度ここで
言っておきましょうか。  (*^皿^*) えへへ
 
 
    過去ブログ
 
 
(o゚д゚o) (o゚д゚o) おぉぉぉ
 
12:50
パノラマビュー♡ な広場で車を停めて撮影。
南側から眺めたくじゅう連山も美しいです~♪
 
 
扇ヶ鼻 1,698m / 肥前ヶ城 1,685m / 星生山 1,762m / 久住山 1,786m
稲星山 1,774m / 白口岳 1,720m / 鳴子山 1,643m / 大船山 1,787m

くじゅう46山のうち、標高ベスト10に入る山が
6つも見えるここは最高のビューポイントでした。
 
  φ(ー ̄*)memo
  ミヤマキリシマが咲き誇る頃
  ここはどんなだろうか、と
 
 
 思うに・・・ 野生のクマモン出没で
 脅しまくりの○野県とは違い
 こんなに美しく安全な山々に恵まれた
 大分県に育っていながら
 登山経験といえばお猿の高崎山しか
 ないなんて、あ~勿体ない。
 
 病身なクララ時代を終えた今こそ、
 いやもうギリギリガールズだからこそ、
 次に大分に帰省した際には
 山の一つくらいは登ってみたいという
 野望が芽生えてきました。
 
登ると言っても辛抱の限界は往復5時間位です。
どなたかお薦めがあったら教えてください。
でもなー、Мちゃんに話すと絶対に却下でしょうね。
だってそこにスタバはないもの。。。 (Υ_Υ)
 
 
 尚 「そろそろ竹田だよ~」
 М (*^o^*) 
 
 
竹田の町
 
武家屋敷歩きや田んぼの中の水巡りも
旅の情緒があってとても素敵な町なのですが
今回の竹田は “岡城跡一本” に絞った
観光をします。    d(^□^)
 
 ◆広瀬神社
 大分県竹田市大字竹田2020
 日露戦争ではロシア海軍の根拠地旅順港
 の汽船による閉塞戦に参加して戦死した
 広瀬武夫中佐(1868-1904)を主祭神とする
 神社。
 
 「坂の上の雲」で・・・そうそうそうでした、
 広瀬中佐も竹田市のご出身です。
 
 
 
 
 
国指定史跡 岡城跡
 
はい、到着~♪
※晴天なのは帰りに撮った写真だから
 
総役所跡(受付)
 
入場者にはこの 「登場手形」 と 「巻物」 がもらえます。
 
 
が、何としたことか!! (|||▽ )
旅から帰ってみるとどこかで無くしたようでした。
なので写真は拝借してます、ごめんなさい。
 
入り口のデカ看板
 
調べました。 d(^□^)
岡城跡の広さは実面積でおよそ100万㎡で
東京ドーム(46.755㎡)の22個分に相当。
東西2500m、南北362m。
 
印が現在地の総役所跡
 
    ◆岡城跡  別名:豊後竹田城 ≪HP
    大分県竹田市竹田2889
    但馬竹田城が虎が臥せる「臥虎城」なら
    豊後竹田城は牛が臥せる「臥牛城」と呼ばれる。
    岡城は阿蘇山の火砕流でできた海抜325mの
    天神山に造られた山城です。
    大野郡緒方荘の武将緒方三郎惟栄が
    源頼朝と仲違いをしていた弟 義経を迎えるため
    築城したのがはじまりと伝えられる。
 
 
 尚 「さあ行こう♪」 (=^ー゚)ノ
 
この時、Мちゃんには上がどんなに広いか
登城した時のお楽しみなので
まだ言ってません。 うふふふ。  (o´艸`)
 
 
あの凸凹した岩肌は
9万年以上前の阿蘇火山活動が生み出した
阿蘇溶結凝灰岩の剥き出しです。
 
竹の民芸品などを置くお土産屋さん
 
この天神山は火砕流で出来た大地を
長い年月をかけて河川が削り、深い谷と
断崖絶壁を作り出した・・・と
パンフに書いてまーす。
 
└(=^‥^=)┐♪┌(=^‥^=)┘ お土産はあとで♪
 
 
でか、大分・熊本③で書いたとおり
その時の火砕流は遠くは山口県まで
届いているのだから、竹田の地盤は
ぜーんぶ阿蘇溶結凝灰岩かもしれない。
 
└(=^‥^=)┐♪┌(=^‥^=)┘ 見えてきた~♪
 
 
あぁぁここ、この景色、懐かしい~♪ (≧∀≦)
 
 
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 岡城跡は幼馴染とやデート♡の思い出がいっぱい。 (^m^)
 でも福岡の伯父・伯母と訪ねた日が一番思い出されます。
 母の7回忌から13回忌までの間が寂しいと言われ、姉兄たちと
 10回忌を企画した新緑が美しい5月。 福岡に戻られる前に
 竹田旅行をしました。この坂を 「どっこいしょ、どっこいしょ」 と
 声を掛け合いながら上り、要所要所で記念写真を撮りました。
 母の子供の頃や両親の熱烈大恋愛の事(笑)など、たっぷりと
 聞かせてもらって…楽しかったなぁ。伯父・伯母にもいつの日か
 会えると信じながら、私はもう暫くこっちで楽しく暮らします。
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さあここから大手門へと続くのですが
まずは ⇒ のところをご覧ください。 d( ̄o ̄)
 
大手道
 
たぶんお城マニアしか興味がないと
思われますが、、、お洒落でしょう?
何か理由があるのだと思いますが
この丸ぁるく形成された石垣の天面は
岡城来訪の最初の見どころです。
 
 
└(=^‥^=)┐♪┌(=^‥^=)┘ 案外楽チン
 
 
この先、あらら・・・・・ (≧~≦)
 
 
これもきっと2016年(H28)4月に発生した
熊本地震の爪痕でしょう。
 
 
大野川
 
岡城がある天神山は
大野川と稲葉川に挟まれています。
 
 
大手門が見えてきました。
 
 
大手門  ※鏡石(右)
 
 
大手門の内側
 
大手門から南側の阿蘇方面を眺めてみます。
 
 
視線を返して奥に見えるのは
岡城でもっとも広い曲輪、西の丸跡へと
続く階段です。
 
 
でも西の丸跡は次回旅行のお楽しみ。
今回は大手門から本丸へ向かいます。
 
 
    ◆宝暦御城真景図屏風 伝淵野真斎
    宝暦年間(1751~64)に作成されたと
    伝わる屏風の一部です。
 
 
覗いてみた・・・・・怖っ ((゚m゚;) 
 
 
 
□のところ : 本丸跡
 
└(=^‥^=)┐♪┌(=^‥^=)┘ とにかく本丸へ 
 
 
朱印状倉跡
 
岡城の石垣は随所で丸くカーブした石垣が
見られますが、なんで?
キリシタンの石工? まさか!
日本のお城っぽくないところを見つけるのも
岡城の楽しみ方のひとつです。 (*^ー゚)b
 
岡城ではいろんな石垣積み技法が使われています。
私もМちゃんも 「へ~スゴイんだね~」 と、
知識レベルはほぼゼロですので
ソコントコヨロシク~です。 (*^皿^*)
 
 
賄方跡へ続く通路
 
□のところはくじゅう連山ひとつ、黒岳です。
 
 
 
 
中川但見屋敷跡
 
ズームUP : 西の丸方面
 
 

└(=^‥^=)┐♪┌(=^‥^=)┘

 
 
城代屋敷跡
これは振り返って撮ったもの
 
藩主も家老も武家屋敷・城下町じゃなくて
この城内に住まれていたことがわかりますね。
 仲良しなのか!? (≧∀≦) 知らんけど
 
□のところ : 本丸跡
 

思い出の岡城跡は緑が生い茂るGWとか

夏休み中ばかりで、秋は初めての訪問です。

樹木が寂しい印象に加えて伐採も多くあり

ちょっと悲しい気分になりました。 (Υ_Υ)

 

 
 
西中仕切跡
 

 尚 「ここ、ビューポイントだよ~♪」 (=^ー゚)ノ 

 М  (*^▽^*)

 
三の丸の高石垣
 

西中仕切跡を入ると

その先には鐘櫓跡と太鼓櫓跡があります。

 

 
鐘櫓跡
 
石垣も老木もギリギリのところで
共存というか…現状を保っていました。

 

 
太鼓櫓跡
 
 
本丸の石垣
 
今、この屏風図と写真を見比べながら
天守を想像しています。 (o゚д゚o) なるほど
 
 
本丸へ続く階段ですが、それは後ほど。 (^m^)
 

 

 

 尚 「ここもビューポイントだよ~♪」 (=^ー゚)ノ 

 М  (*^▽^*)

 

てか、断崖と足元の尖んがり方が

かなり怖い場所です。   ヒー((゚m゚;)  

 

二の丸の石垣とくじゅう連山

 

 

まだまだ本丸へは上がらな~い。 (*^皿^*)

 

 

三の丸の空井戸跡

 

井戸の深さは73mもあるそうです。

逃げ穴だという噂。 (≧∀≦) 知らんけど

 

 

 

二の丸には朝倉文夫作 瀧廉太郎像があります。

ふたりは幼少期の同時期に竹田で過ごしました。

朝倉文夫氏が言う  “裏山” は岡城跡のことでした。

 

瀧廉太郎氏のお父様は、大久保利通公の

右腕としていた活躍していた官僚で、

大分へは地方宮として移り住んだそうです。

廉太郎が12歳から2年半の期間です。

 

 

滝君とは竹田高等小学校の同窓であった。
君は十五才自分は十一才、この二つの教室は丁度
向かい合っていたので僅かに一年間ではあったが印象は
割合に深い、志かしそれから君の亡くなるまでの
十年間はほとんど何も思い出ないのに十一歳の
印象を土台にして君の像を作ろうというのである
多少の不安を抱かぬでもなかったが、製作に着手
してみると印象はだんだん冴えてきて古い記憶
は再び新しくなり、追憶は次から次へと蘇る、
学校の式場でオルガンの弾奏を許されていたのも君、
裏山で尺八を吹いて全校の生徒を感激させたのも君、
それは稲葉川の川瀬に和した忘れることの
できない韻律であった。そして八年後には
一世を画した名曲「四季」「箱根の山」「荒城の月」に
不朽の名を留めたことなど、美しい思い出の中に
楽しく仕事を終わつた。
  昭和二十八年八月十五日 朝倉文夫
  今自分は五十七年前の童心にたちかえり
  幽懐つくるところを志らず
  君を塐れば笛の音や将に月を呼ぶ

 

=でく

土でつくられた人形

土をこねたり削ったりして物をつくる

 

     過去ブログ
     ★にゃんたちと砲丸ボーイ☆朝倉文夫彫塑館(台東区)2022.07.
     ★ニャンダフル谷中!朝倉文夫彫塑館(台東区)2022.06.
     ★ニャンコしぇんしぇ~!朝倉文夫彫塑館(台東区)2021.12.
     ★にゃんだ!にゃんだ!朝倉文夫彫塑館(台東区)2021.04.

 

 

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東京都千代田区一番町に

『瀧廉太郎居住地跡』の碑があります。

 

 ◆瀧 廉太郎 1879-1903

 廉太郎氏はドイツ留学中に病に

 倒れ帰国し、1894年(M27)~

 1901年(M34)4月まで、この地に

 住んでいました。それから大分の

 の父母の元に養生に帰りますが、

 1903年(M36)6月29日に23歳の

 若さで亡くなります。

 

 

私が麻布十番から一番町に引っ越した時、

住んでいたマンションがまさに瀧廉太郎氏の

元居住地だったので本当に驚きました。

 

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二の丸 月見櫓跡

 

もちろんここも柵はありません。

覗くとかなり怖いです。 (≧△≦)艸 ヒィ~

 

 

 尚 「よーし、本丸に上がろう~♪」 (=^ー゚)ノ 

 М  (≧∀≦)

 

 

 

本丸跡

 

 (≧∀≦) (≧∀≦) 着いた~♪

 

 

岡城天満神社

 

金蔵跡

 

 

 

歌碑

 荒城の月

  土井晩翠 作詞

  滝廉太郎 作曲

 

 春高楼の 花の宴
 巡る盃 影さして
 千代の松が枝 分け出でし
 昔の光 今いずこ

 

 秋陣営の 霜の色
 鳴きゆく雁 の数見せて
 植うる剣 に照り沿いし
 昔の光 今いずこ

 

 今荒城の 夜半の月
 変わらぬ光 誰がためぞ
 垣に残るは ただ葛
 松に歌うは ただ嵐

 

 天上影は 変わらねど
 栄枯は移る 世の姿
 映さんとてか 今も尚
 ああ荒城の 夜半の月

 

 

 

 

御三階櫓跡

 

本丸から大手門側を眺めました。

 

 

 

 

└(=^‥^=)┐♪┌(=^‥^=)┘ さ、帰ろう

 

 

はじめに書いたとおり

岡城跡の広さは東京ドーム(46.755㎡)の22個分相当。
我らの様に数時間で巡れる城山ではありません。
一日だって足りません。
季節を変えてまた訪ねればいいと思いました。
 

この人次第だけど・・・  ホジホジ (σo ̄) 次どこ~?

 

 

わー、ここもそう。 ( ̄ェ ̄;)
石垣も老木もギリギリの状態です。

 

 

 

見納めです。 (o^ー^o) (o^ー^o)

 

くじゅう連山東端 大船山、黒岳

 

 

大手門に戻ってきました。

 

└(=^‥^=)┐♪┌(=^‥^=)┘ 下りますよ~

 

 

└(=^‥^=)┐♪┌(=^‥^=)┘ 転ばないでよ~

 

 

もしも転んだら・・・・・ (≧△≦)艸 ヒィ~

 

 

こう言うの、なんか名称があるんでしょうね。

石工の意図が・・・怖い怖い怖い!

考えるだけでスネのあたりがジンジンしました。

  (≧_≦) 打ったら血ぃ出るイタイイタイ

 

 

帰りは竹細工のお土産屋さんに寄りました。

大分県は日本一の真竹の産地です。

別府には竹細工の訓練校があるくらい

竹工芸の産業が盛んです。

人間国宝、生野祥雲斎氏のことは

いつかまた機会があればご紹介しますね。

 

 

鏡石  ※大手門・太鼓櫓門でも見られる

 

 М 「上田城(長野県)にもあるやつ~♪」

 尚 「ああアレか~見たね~♪」


 Мちゃんが言うのは 「真田石」 と呼ばれるもので

 真田昌幸(幸村の父)が上田城築城の際に

 太郎山から掘り出したという上田城の鏡石。
 信之が松代城へ移封の際に持って行こうとしたけど

 微動だにしなかったという高さ約2.5m 横約3mの石。

  

 Мちゃんの住む長野を初めて旅した2013年の秋に

 上田城で見ました。あれからもう10年だわ。。。

 

 過去ブログ

 ★秋の信州② 上田の松茸三昧編 (長野県)2015.10.

 

 

岡城跡≪HP≫の豆知識 「鏡石」 より   d(^□^)

当時、職人の技術力や大名の力を外部にアピールするため、

石垣に一際大きな石を埋め込むスタイルが各城で見られました。

この大きな石を「鏡石(かがみいし)」と呼びます。

 

 

岡城跡の歴史   d(^□^)

撮ってきた案内板をUPしますので、興味のある方は読んでネ。

 

 

廃藩置県のバカヤロー!! を話します。  (`Д´*)q

 

1771年(明和8年)の大火災で城の大半が失いましたが

1774年、1779年に本丸御三階櫓、西の丸御殿を再建。

その後も火災・水災害・地震の度に復旧していた。

1874年(M7)、廃藩置県により、13代(280年間)続いた

岡藩は中川氏の東京移住ののち終焉。

廃城令により岡城内の建造物すべてが破却されました。

 

在りし日のお城

 

 

さあ竹田市を出た私たち、

この日最後の旅はどこに行くか・・・ d( ̄o ̄) 

宿へ入る時間が押せ押せなので悩みどころ。

豊後大野市には候補がふたつありました。

 

ひとつは日本の滝百選に選ばれている

ダイナミックな 『原尻の滝』 、

もうひとつは室町時代に雪舟が訪ねて

水墨画を描いたという 『沈堕の滝』 です。

 

 原尻の滝は5~6回、沈堕の滝は

 通り掛けに2回ほど眺めたことがあり、

 いずれも20数年前の話し。 (^┰^)ゞ

 

 兄に旅のスケジュールを相談した時、

 「選ぶとしたら…今の水量からすると

 沈堕の滝か」とアドバイスをもらっていた

 ので “沈堕一本” に絞ることにしました。

 この先、万が一の大災害でもあって

 滝(柱)のカタチが変わってしまうかも

 しれない前に見ておこうと思ったし。

 

 

本当はこの日 『朝倉文夫記念館』 にも

ぜひ寄りたかったのですが

タイムアウトでそれもパスです。

(T△T) 悲しい

 
 

 

岡城跡…(6km)…原尻の滝…(11km)…沈堕の滝

 

もっと悲しかったのは

岡城跡からのナビの入力ミスで道に迷ったことと

原尻付近~沈堕までナビはあと40分というけど

私はあと10分と言い切り、ナビvs 尚雀 で

Мちゃんが根拠のない10分を責めるんだもーん。

人の運転で連れて来てもらった若い時の記憶でも

40分はないさ~。 (T△T)

 

 

沈堕の滝

 

16:00

で、ナビの導きと野生の感で何とか

沈堕の滝の見晴らし台(★印)に着きました。

 

 

    ◆沈堕の滝  国の登録記念物

    大分県豊後大野市大野町矢田2394

    雄滝 幅100m、落差20m
    雌滝 幅4m、落差18m

    9万年前の阿蘇山大噴火の大火砕流が

    谷を埋め冷え固まった(溶結凝灰岩)のちに
    再び水が流れ始めたことで、今に至る9万年間

    水の浸食によって形成された滝。

 

 

大地震などでドーン!と落ちたのではなく

浸食によってつくられたのだと

今回の旅をきっかけに初めて知りました。

 ※それは原尻の滝も同様

 

 

近くで見たかったけど時間がありません。

目を凝らしてよーく見ないとわかりませんが

柱状節理が並ぶ間から暴れ落ちる滝は

迫力満点でした!! o(≧◇≦)o

 

 

参考写真

 

 

 

室町時代の1476年(文明8年)には

雪舟が訪れ水墨画 『鎮田瀑図』 を描いたと

説明板にありました。

でも、『鎮田瀑図』 は関東大震災で焼失していて、

狩野常信による模写が現存するのみと。

 

雪舟作 鎮田瀑図 (複製)

 

明治時代 雄滝・沈堕発電所・雌滝

 

雪舟の構図の取り方に驚きますね。

 

 

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 今回パスした原尻の滝です。

 これを書きながら思い出しましたが

 兄と元カノにも連れてきてもらってます。

 もちろん私もドライブデートで。 

 別れるジンクスがある滝ってことに

 しておきますか、えへへ。 (*^皿^*) 

 

 ◆原尻の滝

 大分県豊後大野市緒方町原尻936-1

 幅120m落差20m

 滝の成り立ちは沈堕の滝と同じ。

 弓なりに弧を描く滝の姿は圧巻。

 

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今日は早めにお宿に入ろう♪ (=^ー゚)ノ

 

 

 

  旅ィ ゆけばァ~~~

    竹田の里にィ~ 湯の香りィ~

 

 

Мちゃんが見つけてくれた今夜のお宿は

奮発しました!!   ( ̄ー ̄)v ( ̄ー ̄)v

ところが交渉したら旅割が適用されて

ラッキーなことに♪  v( ̄ー ̄)v v( ̄ー ̄)v

温泉場で会った大分・熊本マダムたちからも

「私も泊まってみたいわ~」 「憧れとる宿よ~」

と評判の宿で・・・・・

 

 

  あ、丁度時間となりましたァ~アァ~
    次のご縁とお預かり~  m(_ _)m

 

 
 
 
      夕暮れの岡城跡で
      「荒城の月」のメロディを
      聴いたのは遠い記憶      

 

 
 
 
 
 
 

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 引っ越して初めての年、「春のうらら
 の隅田川~♪」 と合唱団の歌声で
 目覚めました。ベランダに出て1Fの
 広場を覗いてみると何やら町内会の
 お祭りが開催中。
 「荒城の月」「花」「箱根八里」などを
 合唱団が歌うと、和太鼓はドンドコで、
 子供達は金魚すくいや輪投げで遊び、
 焼きそばや焼き鳥を頬張って…
 『瀧廉太郎を偲ぶ祭り』 の日でした。
 チャマはナニゴトかと驚いてたね♡
 <2002年5歳 ベランダパトロール> 
 

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