φ(・_・”)メモメモ・・・新雅史著「商店街はなぜ滅びるのか」その(1) | ゆるポタで心リセット“おれ野_お散歩日記”by_✡CAMMIYA…ちょいマニアックで開運

φ(・_・”)メモメモ・・・新雅史著「商店街はなぜ滅びるのか」その(1)

単なるメモ書き>この記事は「感想」ではありません。
おれ野“お散歩日記”・・・警「美」報 告 書 ☆彡   ▼CAMMIYA-石巻070419010
震災前(2007.4.19)に撮影した宮城県石巻市の中心市街地


(p.8)石巻市と多賀城市…いずれも宮城県…における対照的な復興状況

多賀城市

  震災から3ヶ月経っても郊外大型店(イオン、ヤマダ電機、マクドナルド等)

  の周辺が放置状態、、、(従業員以外は手を出さない)

石巻市

  ボランティアの手により中心市街地の商店街の瓦礫撤去、LED街灯開始

  ↓

  外部の人を引き寄せる「余地」がある

  商店街=「人々の“生活への意志”があふれている場所」

  単なる商業集積地区ではない=そこに住み続けたいと願う人がいる

  

  【本ブログ管理者による「余談」】

  中心商店街近傍に人が住まなくなる(人口密度が低下する)ことが、

  「景観は良くなったけど、人通りは寂しいまま」

  という今日の状況を映し出しているのではないか?

   ↓

  ■本ブログ内関連記事参照


(p.23)「両翼」とは、、、*社会学による分類(故郷の農村を捨てた者は、、、)

・雇用者層(新中間層)→サラリーマン(会社勤めの人)

・都市自営業層(旧中間層)→都市に出て来て、主に「零細小売商」化


おれ野“お散歩日記”・・・警「美」報 告 書 ☆彡   ▼CAMMIYA-戦前における商店街計画

(pp..40-93まとめ/クリックすると図表が横に若干拡大します)

【上表の補足】

(p.61)戦後の「生協」へ続く契機→「消費組合」「購買組合」

*物価乱高下および粗悪品を流通する悪徳業者に対する自衛策

・1919(T8)年(東京)「家庭購買組合」*“大正デモクラシー”吉野作造が先導

・1921(T10)年「神戸消費組合」「灘購買組合」

(p.63)自治体により各地へ「公設市場」が開設される

*1918(T7)年「米騒動(米の価格急騰に伴う暴動事件)」が契機

・当初は「消費者保護」が目的

 ↓

・その後、零細小売商の組織化へと転用(後の「商店街」に繋がる契機

(p.65)百貨店「三井呉服店(三越)」の大衆化

・1900(M33)年「陳列方式」の採用(以前は「座売り方式」

・1904(M37)年「ショーウインドウ」の設置

       (食堂・休憩所・茶店の設置、催し物の開催→「遊覧の空間」化)

        ↓

・1923(T12)関東大震災を契機に「大衆化」

                       (一般大衆向けに日常必需品の販売)


(p.70)上記に対峙する零細小売商の動向

*「無鉄砲」「無計画」→専門性の無い質の高くない店が増える

*営利を求める「企業」ではなく、家族を養う「生業」でしかない

浦和(当時の小売店の寿命=平均1年11ヶ月)

銀座(当時の小売店の寿命=平均4年)

     *1934(S9)「明日の小売店経営」に基づくデータ

      ↓

農村(故郷)を捨て都市に出て来て“雇用者”になれずに大量発生(p.25)した

小売商の「救済」「更正」の為の手段=「商店街」という発想

(小売店を組織化して規模を拡大し、専門性を高める・・・という社会政策)

具体的には、、、(p.199、p.210)

自営業層の安定によって都市の貧困化を止め、それが安定した消費空間と地域社会の生成に繋がり、最終的には、社会経済上の平等化を実現

それぞれの店が専門店をめざすことで、共存共栄を図る

(町内の店のすべてを専門店にして、1つの百貨店にする…)

 ↓

異業種同士の連帯=「商店街」(p.74)

(商品は購入するというだけでなく、それを眺めて楽しむもの)

地域社会に専門店をつくりだし、

かつ、地域社会の生活を支える「組織体」をつくる

=すなわち、それは「地域住民の新しい生活インフラ」・・・(p.81


おれ野“お散歩日記”・・・警「美」報 告 書 ☆彡   ▼CAMMIYA-鹿島神宮130726041
商店街が地域の百貨店であるならば、

百貨店にシンボルマークがあるように、商店街にもシンボルが必要となる。

それが、街灯であったり、街路樹であったりしたわけである(p.81)。

写真は茨城県鹿嶋市にて本ブログ管理者撮影


(p.114)1962(S37)年「商店街振興組合法」の施行

・商店街のメンバーが結成した組合に対して法人格を与える

・政府が必要と認めた場合、補助金が交付される

・アーケード建設や商店街地区の再開発、駐車場建設などの環境整備事業=すなわち1964(S39)年から始まった「商店街近代化事業」に対して、国・自治体は事業資金の50%を無利子融資


(p.119)1960年代初めの日本における小売業

・年間販売額が100万円にも達せず、店舗の面積もわずか15㎡に満たない小売業者が、全体の半分以上も占めていた。


おれ野“お散歩日記”・・・警「美」報 告 書 ☆彡   ▼CAMMIYA-所沢110203053


(p.122)中内功の「革命」論

*消費者が、自分たちで支払ってよいと思う価値=価格を決めるべき

*小売業者の役割は、

  消費者に代わって、生産者から価値=価格の決定権を奪い返すことだ!

・1957(S32)年 大阪にて「主婦の店ダイエー」開店

・1958(S33)年 神戸三宮にスーパーチェーンを本格的に立ち上げる

                                 (「価格破壊」)

・1972(S47)年 三越を抜いて小売業売上高日本一を達成

写真はダイエー所沢店(埼玉県所沢市…本ブログ管理者撮影)


おれ野“お散歩日記”・・・警「美」報 告 書 ☆彡   ▼CAMMIYA-村田030930166
当時の商店街は、国家による保護だけでなく、

製造業との間の依存関係によって維持されていた。

電機や化粧品の製造業の大手企業は、

戦前から零細小売店と特約店契約を結び、全国各地に販売網を開拓。

そして、製造業は、

リベートやグッズの提供といった販売促進の引き替えとして、

全国各地にある特約店に対して、定価販売を求めた。

商店街は、酒屋・米屋・たばこ屋といった規制産業に加えて、

電器店・化粧品店といった特約店によって成り立っていた。。。

p.126

(↑昔懐かしい「カネボウ化粧品」の看板/本ブログ管理者撮影)


本ブログ内関連記事参照

■新雅史著「商店街はなぜ滅びるのか」・・・(1)

■新雅史著「商店街はなぜ滅びるのか」・・・(2)

■新雅史著「商店街はなぜ滅びるのか」・・・(3)




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