西郷隆盛の真実① | 知っとうや(真実を求めて?!)

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⚡2900年続いた人類中心文明は、近い将来、五六七(弥勒)時代となり、本来あるべき姿に戻ります。それまでは産みの苦しみが続きますが、見事に成就して欲しいものです。⚡

先月26日は鹿児島勉強会。

 

何故、鹿児島なのかといいますと、特別な理由はなく南九州でも開催したいからというつもりでした。

 

出雲のように、そこに謎があるから、ついでに勉強会を開催するという場合もありますが、こうやって地方で勉強会を開催する場合、会場近くに歴史上の謎を解くヒントが隠されていることが多いのです。


 

鹿児島といえば、薩摩。薩摩といえば明治維新。明治維新と言えば西郷隆盛、というキーワードに繋がっていくのは自然の流れです。

 

実は、鹿児島勉強会開催を決めた後の4月初旬、読者数名と飲み会を行っていたのですが、そこで突然インスピレーションが湧いてきました。その中の一人の前世が西郷隆盛ではないかと浮かんだのです。

 

これまで、こうやって他人の前世に関して浮かんだインスピレーションは二十人を超えます。後で天に確認したらほぼ正解しています。西郷隆盛も正解でした。

 

こうなると、鹿児島勉強会は西郷隆盛関連を調べなければなりません。そういう流れで、その方を鹿児島に誘って、西郷隆盛関係の史跡をさぐることにしました。

 

また、鹿児島勉強会にはTさんも参加予定になっていました。Tさんは天璋院篤姫が前世。(これも確認済)篤姫は、幕末に薩摩から徳川家に嫁いで活躍した人物。西郷隆盛と篤姫。薩摩に深く関係した人物の前世を持つ二人が出会うということは、何か分かるに違いないと期待して鹿児島へ行きました。

 

現代文明の歴史の謎は、現在、私が掘り下げているように日本神話(神代)が始まりです。その次が邪馬台国、神功皇后から応神天皇に繋がる上代。それから、歴史の教科書で習う正史と呼ばれている実際には改竄された歴史が繋がります。

 

私は「中世以降や近代の謎を調べたらところで、金星系の陰謀は分からないし月人も関与していない」、と思っていたのですが、実はそうでもないようなのです。明治維新は金星系が仕掛けた世界支配のための分岐点です。

 

そこには噂が絶えない明治天皇すり替え事件が隠されています。これは間違いない事実のようです。詳細はまだ分かっていませんが、明治天皇誕生後、すり替わったと言われる大室寅之祐。彼は金星系からウォークインされた人物のようなのです。

<検索:明治天皇すり替え>

<参照:南北朝>

 

構図は、徳川家康のすり替えと同じだと思います。

<参照:徳川家康の真実①>


明治維新の立役者の中心人物の一人である西郷隆盛が、その後、明治政府と対立し、西南戦争(西南の役)を起こして最後は自刃してしまう、という歴史の流れに、不自然さを感じていました。

<WIKI:西南戦争>


これは、明治天皇すり替えと、何か関係があるのではないかと考え、勉強会の前に西郷隆盛の墓と、西郷隆盛が祀られている南洲神社へ行きました。

<WIKI:南洲神社>

 

 

鹿児島市中心部からタクシーで10分くらいの城山に西郷隆盛の墓と、南洲神社はあります。

 

 

 

そこから見た桜島。
知っとうや2-桜島

この直後、数年ぶりの爆発をしたそうです。何か関係あるのでしょうか?

 

 

これが西郷隆盛の墓。鳥居の奥の真中にあるのがそうです。
知っとうや2-西郷隆盛の墓

(クリック拡大)

 

西郷隆盛の前世の方と一緒に先にお参りしました。近づいただけで、物凄いエネルギーをビリビリ感じました。こういうときは、何か謎が隠されているときです。

 

二人とも神妙な気持ちでお参りしました。前世の方の前でお参りするというのは、ご先祖様の墓参りとは異なり、大変複雑な気持ちなのです。

 

 

ちなみに、墓地には最後まで抵抗した薩摩軍の戦士がたくさん埋葬されているのですが、墓の並びは泉岳寺の赤穂浪士の墓地を真似して造られたそうです。歴史は繰り返す!

 

その後、隣にある南洲神社へ。
知っとうや2-南州神社①

 

こちらが本殿。

知っとうや2-南州神社②
 

西南戦争の戦没者碑。
知っとうや2-南州神社③
 

南洲神社は、お墓ほどは感じませんでしたが、特別な雰囲気があるのは間違いないです。

 

翌日以降、西郷隆盛関係を調べました。

 

すると、西郷隆盛と篤姫の意外な関係が分かりました。

 

二人を結びつけているのは第11代薩摩藩主島津斉彬(なりあき)です。

<WIKI:島津斉彬>


篤姫は島津斉彬の養女。一方、西郷隆盛は大久保利通とともに島津斉彬によって見出され、下級武士から明治維新の立役者まで登りつめるのです。

 

ちなみに、西郷隆盛の墓を参拝したのは、隆盛、篤姫、二人の前世を持つ方の他に、何と島津斉彬が前世である方もご一緒しました。前世が島津斉彬であると分かったのは数日後です。このように導かれるのです。ちなみに、私は薩摩藩とは関係はあまり深くはなさそうです。

 

 

島津斉彬の歴史を調べると、不審な事が隠されています。

 

 

一つは由羅騒動と呼ばれる、島津家の御家騒動です。

 

<WIKI:お由羅騒動>

 

藩主島津斉興の後継者として、側室の子島津久光を藩主にしようとする一派と、嫡子島津斉彬の藩主襲封を願う家臣の対立によって起こされたものなのですが、調べれば調べるほど、徳川綱吉とお玉の関係に酷似しています。

 

 

島津久光が徳川綱吉で、お由羅がお玉島津斉彬は、死んでこそいませんが謀を止めようとした浅野内匠頭にダブッて見えます。

 

 

当時の薩摩藩は幕府を脅かす程の力を持っていました。従って金星系がお由羅を使って薩摩藩乗っ取りを考えていたようです。島津斉彬はそれを見抜いていたのです。

 

<参照:忠臣蔵の真実③>

 

その後、斉彬は藩主となり、薩摩藩の富国強兵に努め、盤石の態勢に導きます。

 

 

しかし、1858年に50歳で突然死。死因はコレラとされていますが、違います。毒殺されたのです。もちろん、金星系の仕業。何でもかんでも金星系の仕業にするつもりはありませんが、政治の世界、内外を問わず不審死はつきものです。その最終的なバックは金星系ということなのです。

 

 

金星系の野望を見破った島津斉彬が存在していては、金星系は自らが描く明治維新にするには都合が悪かったのです。

 

 

しかし、斉彬亡き後、西郷隆盛が台頭してくるのです。そして明治維新は金星系の手から逃れ、うまく成功したかに見えました。

 

 

ところが、その後、明治天皇のすり替えが発生するのです。

 

 

仕方なく西郷隆盛が立ちあがったのが、西南戦争だということなのです。

 

 

西南戦争の結末は、さらに驚く展開へ繋がっていきます。それは次回に記事にしたいと思います。

 

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。