南北朝 | 知っとうや(真実を求めて?!)

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⚡2900年続いた人類中心文明は、近い将来、五六七(弥勒)時代となり、本来あるべき姿に戻ります。それまでは産みの苦しみが続きますが、見事に成就して欲しいものです。⚡

天皇に関する記事はタブーとされています。

しかしながら、これに触れない事には日本の特に近代史の真実は見えないことが、少しずつではありますが分かってきました。

すでに535年には天皇の血統は途切れているようです。
<西暦535年>http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-43.html

たしか今上天皇が2002の日韓ワールドカップ開会式?に、先祖は大陸から来たようなニュアンスの発言をしていましたね。
従って、すでに天皇125代が同一血統というのは、途切れている可能性が高いと思います。

継体天皇が大陸からやってきて、日本を再興したということになります。
現在の闇の一族と天皇の関わりは、この頃まで遡るのかも知れません。
宇野正美氏のように、イスラエル十二支族の一支族が日本にきており、それが天皇家につながっていると主張する方もいます。

<宇野正美WIKI>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E9%87%8E%E6%AD%A3%E7%BE%8E

宇野氏の主張は、535年以降で考えれば、正しいのではないかと個人的には思っています。
しかし、やはり535年を境に全く文化の異なる日本になったという木内氏説が有力のような気がしています。


ところが、さらに驚くべきは明治天皇に関してです。
明治天皇に関しても衝撃的な噂があります。
ご存じの方もいらっしゃると思いますが、明治天皇すり替え説です。

たまたま入手した月刊ムー2008年4月号に掲載されていた特集「明治維新と失われた後南朝」に詳細に書かれています。
よくこのような特集を掲載できたものです。
学研には感謝しつつ、記事内容を引用させていただきます。

まず、明治天皇の前は、父親の孝明天皇ですが、孝明天皇は北朝系の天皇です。
歴史でならったように、第96代後醍醐天皇のときに南北朝に分かれ、第99代後亀山天皇まで南朝系の天皇が正式な天皇とされています。

<後醍醐天皇>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E9%86%8D%E9%86%90%E5%A4%A9%E7%9A%87

その後、第100代後小松天皇から北朝系に戻り、現在まで北朝系が皇室を継承しているとされています。

孝明天皇は、まさしく幕末の尊王攘夷運動の混乱時に在位しており、当初はうまく対応できていたようですが、公家や武士の権力闘争に巻き込まれ、その権力は低下し、明治維新直前1866年に35歳の若さで崩御しています。

<孝明天皇WIKI>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%9D%E6%98%8E%E5%A4%A9%E7%9A%87

死因は天然痘とされていますが、毒殺説もあり謎めいています。

そして、息子の明治天皇が1867年1月30日に即位します。

月刊ムーの記事では、このときに南朝系の家系である「大室寅之佑」にすり変えられたと仮説をたてています。

大室寅之佑は、「後醍醐天皇の第11番目の皇子・満良親王の子孫で、大内氏、大江氏、毛利氏によって長年、長州・萩に匿われていた」とされる大室家の家系のようです。

月刊ムーによると、このすり替え説をを最初に主張したのは、作家の故・鹿島昇氏のようで、平成9年に著書「裏切られた3人の天皇-明治維新の謎」で発表したようです。

鹿島氏によるすり替えの動機は、
●孝明天皇は幕府と協力し、外国勢力を追い払おうとした
●倒幕を目指す薩長にとっては、大変な目障りとなった
●従って「毒殺」した
●息子の明治天皇もいいなりにならない可能性がある
●よってすり替えた

ということのようです。

meijiishin.jpg

この写真は明治維新直前に撮られた幕末の志士が一堂に会した写真です。
坂本龍馬、岩倉具視、西郷隆盛、高杉晋作、勝海舟、伊藤博文他、錚々たる幕末オールスター45名が写っています。
前から2列目の中央に写っている外国人が、このメンバーの招集者であるオランダ人宣教師「フルベッキ」だそうです。

そして、最前列中央の白っぽい上着をまとっているのが、「大室寅之佑」、のちの明治天皇だそうです。
次の写真はその明治天皇です。

明治天皇

明治維新後は、すり替えの証拠隠滅のため、前者の写真は国内ではすべて廃棄されたようですが、フルベッキがオランダに持ち帰った写真が残っていたようです。

月刊ムーでは、すり替えが行われる大義名分には、明治維新直前に処刑された長州の吉田松陰の思想が強く影響したと書かれています。

尊王は尊王でも、『北朝系である京都の天皇家を廃し、正統である南朝系の天皇家を再興する』という、いわば「南朝革命論」

そして、実際に手を引いたのは、伊藤博文

後押しをしたのは、前述のオランダ人宣教師フルベッキ、武器商人トーマス・グラバー、イギリス外交官アーネスト・サトウの3人の外国人としています。

以前、記事にしました「天皇教」で触れましたが、明治維新後、欧米国家に追いつくために天皇を神にする必要があったようです。
<天皇教>http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-33.html

そのためには、明治新政府の考えを理解してくれる天皇が必要であるというのは、自然の流れかもしれません。

坂本龍馬の暗殺は薩長説という噂がありますが、このすり替え説に関連しているかも知れません。

もちろん、すり替え説が真実であるかどうかは永遠に闇の中なのでしょうが、火のない所に煙はたたない、とうことではないでしょうか。

最後まで読んでいただきありがとうございました。