武さんが引越したばかりの友人の家に初めて招待された時のこと。
友人に家までの道を聞くと、「『サファリパーク』の所を右に曲がってすぐ」だと言う。
駅から近いからすぐわかる、と。
武さんは面白い名前の店があるものだな、と思った。

日曜の午後、最寄り駅に着いた武さんは指定された改札口を出て、教えられた方向へ歩き出した。
道の右側に『サファリパーク』はある筈だ。
注意深く探しながら歩いたが、十分程経ってもなかなか見つからない。
ひょっとしたら通り過ぎたのかも知れない。
そう思った武さんは一旦駅の方に引き返そうと考え、友人に電話をしようとポケットの携帯に手を伸ばした。
その時、いきなり目の前を物凄い砂埃が舞い上がった。
思わず手で口元を押さえる。

──ドドドドドドドドドドドォォォォ…

激しい地響きを立てて、沢山の動物達の気配と足音だけが通り過ぎて行く。

音の出所であろう方向に目をやると、そこには『アフリカ屋』という古びた看板のサンダル屋があるだけだった。





原典: 超-1/2009 「サファリパーク」



「良い香りのする場所には悪い気が寄りつかない」

そう聞いたので、殺菌作用が強いアロマオイルをブレンドして、妙な気配のする物置部屋に霧吹きで大量散布した。
そして後ろ手に扉を閉めた瞬間。

「ぅおえぇ!」

背後から激しくえづく声が聞こえた。
効き目があった事に思わずほくそえんだ反面、やっぱり何か居たのかと複雑な気持ちになった。




原典: 超-1/2009 「撃退ブレンド」



以前付き合っていた彼氏と真奈美さんはパチンコ屋で知り合った。
アルバイトだった彼に、客だった真奈美さんが一目惚れしたのだ。
真奈美さんの熱心なアプローチもあり、程なく二人は交際を始めた。

やがて付き合い始めて一年が経った頃のこと。
突然、彼と連絡が取れなくなった。
携帯電話に連絡すると、暫く待ってほしいと言う。
そうしてやっと連絡があったのは、一ヶ月も経ってからだった。
別れを覚悟していた真奈美さんに、久し振りに会った彼は意外な事実を打ち明けた。

小さな頃から持病があって、突然全身痙攣を起こして意識を失う事があると言うのだ。
病院でも調べて貰ったが、原因不明で直る見込みはないらしい。
一ヶ月会えなかったのは、路上で発作を起こして意識を失い、倒れた際に前歯を折ったためだった。
半信半疑の真奈美さんに、彼は差し歯を外してニカッと笑ってみせる。
その顔に真奈美さんは思わず笑ってしまった。

ただ、一緒に過ごす時間が増えると少しずつ気になる事も出てくる。
彼が真奈美さんの家に泊まりに来た夜のこと。
横で眠っている彼の身体が大きくビクッと動き、真奈美さんは目を覚めた。
何事かと声を掛けてみるが、返事はない。
寝惚けたのかと思い、寝直そうと横になって暫くすると再び、ビクンと体を揺らす。
この夜はそんな事が度々繰り返された。
朝になり、昨夜の事をを彼に伝えたが「いつものことだから」と特に気にする様子もない。

そんな日々が続いた後の事だった。
その晩、彼の体がいつもより遥かに大きく痙攣した。
(ああ、またか)
眠い目を擦りながら真奈美さんが彼の顔を覗き込むと、パチッと目を開けた。
その様子に起きたのかと声を掛けようとした時だった。
大きく見開いた彼の目が、ぐるりと弧を描くように動いた。
反転して白目になった左右の眼球に小さな黒子が見えたと思うと、墨を垂らしたように瞬く間に広がり、眼球全体が大きな黒目になった。
まるで真っ黒な球体をはめ込んだようだ。
(人間にこんな事が出来るのか…)
思わず息を飲んだ、その時。

「ワシ」

彼の顔が徐に真奈美さんの方を向いた。

「蛇ジャデ…」

しわがれた、老婆の声。

「オマエ」

口元からチロチロと、赤く細い先の割れた舌が覗く。

「死ヌルゾ」

クックックッと喉を引きつらせるように、彼の顔で嬉しげに老婆が笑った。

真奈美さんは布団から出ると、近くのファミレスに逃げた。

その日を境に真奈美さんは彼を避けるようになった。
彼には悪いと思ったが、どうしてもあの光景が忘れられない。
あの時感じた底知れぬ恐怖に怯える自分が、彼を拒絶してしまうのだ。

結局そのまま別れてしまい、その後二度と彼と会う事はなかった。




原典: 超-1/2009 「持病の発作」



加絵さんがまだ新婚の頃の話。
ご主人の実家のすぐ近くのアパートを借りる事になった。
義父は2年前に他界していたため同居する話もあったのだが、結局義母はご主人の実家に一人で住む事を選んだ。
正直苦手だった加絵さんは内心ホッとした。
それは義母も同じだったらしく、加絵さんとまともに会って会話を交わしたのは引越しの際の挨拶だけで、その後加絵さんと顔を合わせる事は殆どなかった。

引っ越して一ヶ月が経った頃だった。
炊き上がった御飯に髪の毛が二、三本混ざるようになった。
御飯粒を口に運ぶと、必ずと言って良い程口に入る。
最初は米を研ぐ際に入ってしまうのかと思った。
自分のだけなら良いが、主人の茶碗にでも入ったら堪らない。
加絵さんは異常なまでに神経質に米を研ぐようになり、毎回米をザルに広げては一粒一粒確認した。
そこまでしても、髪の毛が混ざっている。
それも加絵さんの茶碗にだけ、である。

この頃からご主人との喧嘩が増えた。
理由は「雨が降っている」「隣の犬がうるさい」などといった、自分達に直接関係ないような本当に些細な事ばかりで、次第に夫婦仲はぎこちなくなり始めた。

それにもう一つ、加絵さんには気になる事があった。
夜中にトイレに行くと、玄関に人影が見える。
暗闇の中に一人、半纏を着た髪の長い女性が靴を履く時のように背中を丸めて、玄関の上がり框に腰を下ろしている。
怒りを堪え、じっと何かを我慢しているような背中。
義母ではないか、と思った。
顔を見た訳ではない。
だが、そんな気がした。
本当は結婚に反対だったのかも知れない。
同居しなかったのも、加絵さんに気を使ったのではなくて家に入れたくなかったからなのかも。
そんな考えが脳裏を過ぎる。
いつの間にか女は毎晩現れるようになっていた。

とうとう耐え切れなくなった加絵さんは、ご主人に女の事を打ち明けた。
ただ、その女が義母に似ていた事だけは黙っておいた。
悪口を言うようで気が引けたのだ。
それが元で喧嘩になるのも嫌だった。
しかし。

「……お前、頭は大丈夫か? 」

そう言って、ご主人は加絵さんに一瞥くれただけだった。
ショックだった。
こんなはずじゃなかったのに。
結婚に対する後悔が一気に押し寄せてくる。
ストレスはピークに達していた。

そんなある日、出掛けようとして玄関で靴を履いた時、壁に飾られた絵が目についた。
義母からの贈り物だ。
有名画家のレプリカで、大した作品でもないのに重厚で高そうな額に入れられたその絵に、義母のからの嫌味のようなものを感じたのだ。
幸い今なら主人も居ない。
加絵さんはその絵をわざと落とした。
激しい音と共に額の表面のガラスが砕けた。
割れたガラスを拾い集め、不燃ごみの袋に詰める。
中に入っていた絵を取り出し、そのまま包丁で破り捨てようとして手が止まった。

絵と後ろの板の間に、白い布に包まれた薄い小さな包みが入っていた。
中に挟んであったのは小さな木で出来た櫛。
随分古いもののようで、幾つか歯が欠けている。
その櫛を包んでいた布を見て加絵さんは思わず息を飲んだ。

布にはただ真っ直ぐに細く黒い糸で波縫いが施されていた。
最初は単なる黒い糸だと思った。
細かく丁寧に縫われてはいたが、ところどころ解れていて摘んで引っ張ってみると簡単に切れる。
一本手に取り、目を凝らして良く眺めてみた。

「げぇっっ」

自分でも驚くような下品な悲鳴が喉から漏れた。
黒い糸と思ったものは人毛だった。

加絵さんは一息置いて気持ちを落ち着かせた。。
これが、義母の本当の気持ちなのだ。
冷静になると、今度は怒りがふつふつと湧いてきた。
加絵さんは指先でそれを摘むと櫛と一緒にビニール袋に入れ、そのまま義母の住む家の庭の隅に放り込んだ。

その後、ご主人に玄関の絵を捨てた事を随分酷く叱られたが、それを最後に今までのような喧嘩はなくなった。
櫛や白い布の事は話さなかった。

加絵さんは自分の母親から「櫛は『苦死』と言ってね、逆に読むと『死ぬ』と響きが似ているのもあって、縁起が悪いから人に贈るものではないよ」と教えられていた。
だからこの櫛がどういう意味を持つか理解したのだ。
義母が何を思い、何を願って、一人チクチクと自分の髪を縫っていたのか。
義母の無言の殺意すら感じた。

暫くして、義母は病気で足を悪くして歩くのもやっとの状態になり、一気に老け込んだ。
そしてそのまま病気で亡くなった。
これで義母の真意を確かめる機会は永遠に失われた。

本当に義母の事はあらゆる意味で今も忘れられない、と加絵さんは言う。

「本当に色々ありました。でもね、私達夫婦はもうすぐ銀婚式を迎えるんですよ」

加絵さんは、はにかむようにそう言って笑った。




原典: 超-1/2009 「一人千人針」



テレビを見ていると、そばの柱で指がスッスッと上下に動くのが見えた。
近くにあったボールペンを投げ付けたら、カツンと当たってボールペンごと柱の向こうへ消えた。
柱の陰には人が立てる様なスペースはなく、勿論誰もいなかった。

ボールペンは浴槽の中に落ちていた。




原典: 超-1/2009 「紛失」



悦子さんは四年後に出て行く事を条件に、1DKバストイレ付きのアパートを格安で借りる事にした。
アパートが恐ろしく古い木造の建物だったために、既に建て直す事が決まっていたからなのだが、その代りに部屋を如何様にも好きに改造して構わないとの事だった。
取り壊しが決まっているせいか、二階に住んでいるのは悦子さん一人だったが、学生一人で住むには十分な広さと格安の家賃を悦子さんは結構気に入っていた。

住み始めて一ヶ月ほど経った頃。
悦子さんがトイレに入り、いつものように便座に座って開放感にホッと一息吐いた時だった。
トイレは浴室と一緒になっているユニットバスなのだが、昔の住宅にありがちなタイル張りで妙に横に長く、ドアを開けると左端に浴槽、右端にトイレがあって向き合うような造りになっている。
便座に座れば嫌でも浴槽が目に入るのだが、その浴槽の中に女がいた。
上半身裸で、痩せた小柄な女が膝を抱えている。
弱々しく痩せ細った顔や体にぐっしょりと濡れた長い髪が張り付き、その髪の隙間から刺すような目が睨んでいた。
悦子さんは恐ろしさに弾かれたようにドアの外へ逃げた。

どうもそれで波長が合ってしまったのか、便座に座ると必ずと言って良い程その女と目が合うようになった。
そうなると当然怖くてトイレは使えないし、風呂に入るのも気味が悪い。
今まで気づかずにその浴槽を使っていたのかと思うと、心底ゾッとした。
とうとうユニットバスは開かずの間状態になってしまった。
悦子さんは仕方なく近所のスポーツクラブに入会し、そこを風呂代わりにした。
トイレは近所の友達の家とコンビニのお世話になった。
悩んだ末の苦肉の策であった。
少々不便ではあったものの、何とかやっていけない事はなかった。

ある日の深夜、悦子さんは強烈な尿意で目が覚めた。
外からは叩きつけるような激しい雨音が聞こえている。
今出たらずぶ濡れになるかも。
この時間に用を足すためだけに外へ出て、濡れてしまうのが嫌だった。
あの女と最初に遭遇してから数ヶ月は経っている。
ひょっとしたらもう大丈夫かも知れない。
時間が恐怖を薄れさせていた。

意を決し、ユニットバスの電気を付ける。
30秒ほど時間を置いてゆっくりとドアを開け、中に入る前に左の浴槽に向かってお守りを投げ入れた。
それが利いたのか、トイレの便座に腰を降ろしても女はそこにいなかった。
(何だ、いないじゃん。でもこれで取り敢えずトイレは使っても良いかも)
そんな事を考えながら用を済ませ、立ち上がろうとした時だった。
フッとトイレの電気が消えた。
悦子さんは何が起こったかわからず、慌ててパジャマのズボンを引き上げた。

驚くより先に全身がゾッと粟立つ。
そこから出ようとドアノブを捻ると、開き掛けたドアの隙間から、付けたままの部屋の明かりが微かに入ってきた。
それと同時に細い指がドアに掛かるのが見えた。
あの女が片手を突っ込み、こじ開けるようにしながら覗き込んでいた。
女は浴槽の中から消えたのではなく、単純に浴槽から出て部屋の方に移動していただけだったのだ。
悦子さんはドアを無理矢理閉めた。
ゴリゴリと骨が音を立て、肉と共に潰れたような生々しい感触がドアノブを持つ手に伝わる。
悦子さんは落ちていたお守りを拾うと、それを握り締めてガタガタと震えながらその晩を過ごした。

朝になると女は消えていた。

「もうここには住めない」

そうは思ったものの、学生の身ではそう簡単に引越し費用を用意出来るものではない。
さりとて、親に頼むとしてもどう説明すれば良いものか。
いっそのこと、何とか外に追い出せないものだろうか。
でも、もし失敗したら。
昨夜のように、今度は浴槽ではなくて部屋に居着かれたら。
考えるだに怖い。
その時ふと頭をよぎったのは、大家の「如何様にも好きに改造して構わない」の一言だった。

悦子さんは実家が寺だという友人に頼み込み、大量の土を持ってきて貰った。
どうせ相手は死んでいるのだ。
迷って出て来ているのなら、改めて埋葬してしまえば良い。
浴槽をそのお寺の土で埋めてしまった。
効果はあったのか、それからは便座に座っても女は二度と現れなくなった。

現在、その場所には立派なマンションが建っている。




原典: 超-1/2009 「対座風呂」



その日、尚美さんは一人で昼食を食べていた。
ふと見ると、窓の外を自転車が通っていく。
眼鏡をかけた、黒っぽい服装の若い男が乗っていた。
やがて窓の横をスーッと通り過ぎ、他の建物の陰に隠れて見えなくなった。

尚美さんの部屋はマンションの五階である。




原典: 超-1/2009 「自転車」



タカは「見える」人である。
それ故にちょいちょい妙な事に巻き込まれる。
先日取り壊された廃ホテルは、ちょっとした心霊スポットとして騒がれた場所なのだが、そこにタカは仲間達と肝試しに行った。
壊される前に見ておこうという事だったらしい。
何か見えたら知らせるようにと、所謂レーダー代わりである。

廃ホテルから自宅に帰ったタカが自分の部屋に入ると、変な気配があった。
開け放した押入れの上段に、見知らぬ女が膝を抱えて座っている。
ざんばらの頭で黒いボロボロの服。
どうやら拾ってきてしまったようだ。
女はそのままタカの部屋に居着いてしまったらしく、タカは仲間達と顔を合わせる度に「あの女が出て行ってくれない」と訴えた。
目に見えてやつれてくるタカを仲間達は心配したが、彼らには病院やお祓いに行くのを勧めるくらいしか出来る事はなかった。

それから暫く経った頃。
タカの親戚に不幸があり、タカも親と一緒に葬儀に出席した。
その葬儀で、住職の読経が始まって間もなくの事だった。

お経を聞いているうちにタカは異常な眠気を催した。
最初のうちこそ我慢していたものの、すぐに抗う事も出来なくなった。
ぐらりと頭が揺れたかと思うと、正座をした状態で真横に倒れ、そのまま鼾を掻き始めたのだ。
周りにいた親や親戚が慌てて体を揺すって起こそうとする。
タカの体は硬直して重く、まるで石のようにゴロンと転がった。
それでもまだ目を覚まさない。
異変に気付き、ちらりとそちらに目をやった住職は読経を続けながら、<いいからいいから>と親戚達を制するような手振りをして頷いてみせる。
親戚達は顔を見合わし、溜息を吐きながらそのまま端の方にタカを移動して寝かせた。

読経が終わると住職はタカの傍らに立ち、何事か唱えながら手にした警策を徐に振り上げ、タカの頭や肩・背中に順に打ち下ろしていく。

──パンパンッ
──パンパンッ
──パンパンッ

次の瞬間、揺すろうが叩こうが起きなかったタカがパチッと目覚めた。
その後周囲に色々言われたが、タカ自身は自分の身に一体何が起きたのか全く覚えていなかった。
それを境に嘘のように体調が戻り、顔色も良くなった。

親戚の葬式で、自分に取り憑いてた女もついでに成仏したらしい。
「ラッキー♪」と、タカはあっけらかんと笑う。

タカは憎めない奴なのである。




原典: 超-1/2009 「ついでに」



二十歳位の時かなぁ。
ナンパした女の子3人と飲みに行ったのよ。
当時俺らは、週末になると地元の「ナンパストリート」って言われてるとこにくりだしてさ、手当たり次第女の子に声を掛けてたわけよ。

その日も暇そうな3人組をゲットして居酒屋へ行ってさ、凄ぇ盛り上がって二次会のカラオケに行ったの。
もうその頃にはそれぞれお目当てを決めてて、カップルが出来上がっててな。
俺も狙ってた子に声掛けてさ、こっそり抜け出してホテルへ直行したんだ。

とっととシャワーを浴びて、お互いにこう、まあイチャイチャとやってたわけだ。
アレをナニしてとか、コレをアレしてとかさ。
で、いざソコに手をやったらさ、…入んねーんだよ、指が。
何か当たるわけよ、指に。
何てかさ、こう…生温かくて、粘着質で、丸いモンがフタしてるっていうか。
だから俺、聞いてみたわけ。
「今日って、あの日? 」って。
そしたら、エラく不思議そうな顔して「違う」って言うんだよ。
もう何か、物凄ぇ気になって気になってしょうがなくてさ。
ナニをするフリしながら、彼女の足を開いてソコを見てみたんだよ。

そしたらさ。
目が合ったんだよ。
何って?
目ん玉だよ。
ソコから目ん玉が俺の事睨んでんだよ。
中から俺を覗き込むようにさ。

ああ?
もうそれどころじゃねぇって。
そんなモン見ちゃったら起つモノも起たねーよ。
とっとと着替えたってば。
確かに飲んでたけどさ、そんなモン見間違うほど酔っちゃいねぇって。
ありえねーよ、あんなの。

それから?
いや、もうそれっきり。
またあんなのに遭ったらたまんねーもん。
まあ見た目普通の子だったけどさ、わかんねーじゃん? そん時になってみないと。

いや、女は怖ぇよ、ホント。




原典: 超-1/2009 「覗き (2)」



木下さんがまだ小学生だった頃のこと。

母方の祖父の家に遊びに行った。
何の病気かはわからないが、この頃の祖父は体調を崩しがちで床に伏せっている事が多かった。
その日、いつものように祖父に声を掛けようと部屋を覗くと、眠っている祖父の上に猫がいた。
大きくて真っ黒い猫が祖父の体の上に蹲り、ジッと祖父の顔を見ている。
祖父は酷く息苦しそうに、大きく胸を上下させていた。
程なく、祖父は入院した。

そして、病院に母と一緒にお見舞いに行った時。
病室に猫がいた。
ベッドに仰向けに横たわる祖父の胸の辺りに、あの黒い猫が背中を丸めてちょこんと乗っている。
やはりあの時と同じように、胸の上でずっと祖父の顔を見ていた。

「お母さん、猫がいるよ」

母にそう言うと、怪訝そうな顔をされて相手にして貰えなかった。
どうやら木下さん以外には見えていないらしい。

それから間もなくして、祖父は亡くなった。
入院先の病院から帰ってきた祖父の亡骸は奥の仏間の真ん中に寝かされ、親戚の人達が慌しく出たり入ったりしていた。
隣室の開け放たれた襖の横にいた木下さんが、ふと何気なく仏間の方に目をやった時だった。
祖父の胸の上、黒い猫が香箱を組んでいる。
思わず身を乗り出して見ていると、猫がこちらを向いた。
黄色い目でジッと木下さんを見据えている。
急にとても怖くなった。

木下さんが黒い猫の事を祖母に話したところ、祖母には思い当たる節があったようだ。
祖父は猫が嫌いで、今までに畑に入り込んだ猫を何度か棒で殴り殺した事があるのだという。
その中には大きな黒猫もいたと。

出棺の時、棺の上に乗っていたのを最後に、それから木下さんがあの黒い猫を見る事は二度となかった。




原典: 超-1/2009 「黒猫」