十五年程前、当時二十歳だった竹田さんは、田舎を離れて紳士服メーカーの販売員をしていた。
その年の夏、地元で記録的な大地震があった。
この時震源地に近かった沖合いの島は、津波によって島民の4%が命を奪われる悲劇に見舞われ、壊滅的なダメージを受けた。
幸いにも竹田さんの実家のある地区は辛うじて津波の被害を免れ、実家は家の外壁のヒビと家中の家具が倒れた程度で済んだ。
お盆休みになり、帰省してみて初めて震災の凄さを肌で感じた。
道路が陥没し、古い家は倒壊寸前の状態であり、海岸沿いの家は津波で跡形も無く消え去っていた。
見慣れた景色が変わっていると何とも言えない気持ちになる。
竹田さんは複雑な気分だった。
帰省から二日後、実家でのんびり過ごしていた竹田さんに、珍しく高校時代の悪友の伊藤さんから電話が掛かってきた。
今年伊藤さんは仕事の都合で帰省出来ない、それで頼みたい事がある、と言う。
妙にこちらの機嫌を取るように、お前にしか出来ない、他に頼める人がいないんだと繰り返す。
聞けば、写真を撮って送ってほしい、とのこと。
突然変な事を言い出すものだと、詳しく聞いてみて漸く事情が飲み込めた。
伊藤さんの職場では、ある雑誌が元でちょっとした噂が広まっていた。
それは、震災で亡くなった方が夜な夜な国道沿いに現れる、というもの。
伊藤さんは「地元の事だから任せて下さい! 」と、職場の人に約束してしまったらしい。
確かにその噂が本当なら見てみたい。
不謹慎な話だったが好奇心には勝てず、結局竹田さんは噂の場所と現れる時間帯を詳しく聞き、電話を切ったのである。
その日の深夜二時、助手席にカメラを乗せた竹田さんの車は現場に到着した。
緊張感をほぐす為、煙草に火を点ける。
田舎の夜は街灯やお店の照明が少ないので一際暗い。
雲の影に月も隠れ、ヘッドライトだけが唯一の明かりだ。
大きく煙を吸い込みながら、確認のためにゆっくりと周囲を見渡した。
国道に沿って疎らに家が見えた。
ただ、海岸側の方の家は原型を留めてはいない。
津波はここで生活していた十数人の命を一瞬で奪い去った。
その時亡くなった人々が毎夜現れるというのだ。
煙草を揉み消すと、道路の端に見つけた空き地に車を停車させ、ライトを消した。
十分程息を潜めて待つが、通行する車さえなく、何の変化も見られない。
期待しつつそのまま三十分待ったが、いい加減緊張感も無くなった。
(何だ、ウソじゃん。出ねえじゃん)
痺れを切らし、車をUターンさせて帰ろうとして、歩道の辺りが青白く光っているのに気付いた。
「出たっ!! 」
田舎でよく見る普段着を着た、老齢の男女が二人ずつ、三歳位の男児が一人、成人の男性が二人、同じく女性が一人の、計八人。
皆一様に俯いて顔が判らない。
綺麗に一列に並んでいて、怪我を負っているふうでもなく、光っている事以外は生きている人と何ら変わりがないように思えた。
そのせいか、怖くはなかった。
むしろ触ってみたいとさえ思った。
「よし! 」
一呼吸置き、カメラを片手に車から降りようとした、その時。
──何で…
──何で…
──何で…
背後から、か細い声がした。
途端に一気に頭が冷えた。
それと同時に芽生えた恐れはどんどん増していき、呼応するかのように段々と声も大きくなっていく。
──なんで…
──なんで…
──なんで…
男とも女ともつかない声が頭の中に響き渡る。
「ああーっ!! 」
突如湧き上がった得体の知れない恐怖に耐え切れなくなった竹田さんは、叫び声を上げながら車を急発進させた。
──なんで…
──なんで…
──なんで…
頭の中では声が変わらずに響いている。
「うるせーっ! うるせーっ! 」
夢中で叫びながら車を走らせていると、次第に声が小さくなってきた。
逃げ切れる、そう思った竹田さんはさらにアクセルを踏み込む。
必死でハンドルを握り締めていると、家に着く少し手前で完全に声が聞こえなくなった。
家に着き、慌てて車から飛び降りると、玄関から一目散に二階の自分の部屋に駆け込む。
そのまま敷きっ放しの布団に潜り込んだ。
乱れている呼吸を整えながら、必死に考えを巡らせる。
(何だ、何で急に?何か怒らせた?っていうかすぐ後ろにいたのか?)
少し落ち着きかけた頃、『キーン』という耳鳴りと共に金縛りに掛かった。
うつ伏せの状態のまま、身動きが取れない。
頭から布団を被った状態なので周りを窺う事は出来ないが、明らかに人の気配がする。
自分を取り囲んで立っているようだ。
(やばい、これやばい)
そう思った瞬間だった。
──ドンッ
自分の上に何かが圧し掛かってくるような重さがあった。
その感覚と重さから、大人の人間だと感じた。
(重い、苦しい)と思っていると次々と上から人が倒れ込んでくる。
──ドンッ
──ドンッ
──ドンッ…
二人、三人…五人目が覆い被さってきた時、竹田さんは意識を失った。
「かずき、かずき!! 」
母親の呼ぶ声で目が覚めた。
恐る恐る布団から顔を出すと、周囲に何も変わった様子はない。
「こら、かずき! 」と相変わらず階下から母親の声がする。
「何だよ!うるせ~な!」
部屋のドアを開けると、自分が立っている踊り場の足元に大きな水溜りがあった。
自分の部屋には一切ないにも関わらず、階段の全ての段が水浸しになっており、それが玄関の方まで続いている。
竹田さんが呆然とそれを眺めていると、捲くし立てるような母親の怒声が響いた。
「あんた昨日、夜中に帰ってきたでしょ。海で水遊びでもしてきたの? すっごく潮臭いんだけど」
確かに周りには潮の臭いが立ち込めていた。
原典: 超-1/2009
「残された想い」