Everybody's Got a Hungry Mind ~ こんな人間に何ができるか | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

   
   chapter 012 2005-07-16 14:24:10掲載分より、再編集。
   
   title :
Everybody's Got a Hungry Mind 
   sub title : (創った側と創られた側の関係) …昨日に至るまで。
   
「…君の芝居を見てるとね、どこか自分の殻に閉じこもったような、
一つの型が出来上がってしまっているように思える。それはもっと若い、
子役の段階なら何とかなるのかも知れないけど、その殻は、そうとう努力しないと、
もう破ることが不可能に近いかも知れない…」
    
芝居のレッスンを受けていた 別の日活系の映画監督の、
その淡々としたアドバイスに、
はじめはガツンと来て何日か考え込んでしまったが、
「まったくその通りだな…」
という部分もあって、
「そんなショックは大したことじゃない。
“この上”はもっと過酷だぜ。ビビるなよ。
それくらい乗り越えられなくてどうするよ。
この先、何回だってぶつかるぜ。覚悟しとけよ…」
それでも這い上がってやろうと役者を目指した。
「軽々しくやってるつもりはねぇ。
カマ掘られてでも役者で生きてやる」
最初に決めたことをどうしても諦めたくなかった。
その時はもう他にやれることがなかった。
「これしかねぇんだ」って。
舞台もやる。乗馬もやる。ハリウッドもこの眼で見る。
“夢は実現するために、理想は自分に勝つためにある”
そう信じて生きてきた。
台本の読み方、台詞の覚え方も、
カット撮りの立ち位置を自分で把握する方法も、
道具の使い方も、挨拶の姿勢も、
役者にできることはぜんぶ、
誰よりも上になってやると、
そんなふうに意気込んでた。
でも俺がそんなに芝居が上手だとも思わない。
カネもない。コネもない。
女だとか家族だとか、
他に守るもんがあると、それも邪魔になることも判ってた。
こんな弱い奴がたった独りでは限界があることも判ってた。
それでも這い上がってやろうと役者を目指した。
伊丹哲也さんの『パークエリアの夜』を聴いて、何度も自分を励ました。
コンサート会場の設営のアルバイトをしてた時、
役者の南條さんと一緒に酒を呑んだ席があって、
あれは励みになった。
清水舞台工芸の下請でナグリの仕事してた村田さんていう
同世代の、ちょっと気合の入った役者志望の人がいて、
任侠モノのビデオ撮影の現場で、寄寓にも逢った時、
夢を喰うか 現実を喰うか”って、
そういう崖っぷちに居る同じ匂いがして嬉しかった。
俺にとっては、映像業界ってのが憬れとか、それ以上に、
自分が何者なのかを確認するために最適な場所と思ってた。
簡単にタレントになって適当にテレビで売れて…
そういう所にも嵌りたくても嵌れないけど、
そういう時代を尻目に、いつか本物に出逢えると信じてた。
旧い役者さんバタバタ死んで逝っても、
「待ってくれよ。まだ俺にはなんにも教えてくれてねぇぞ!」
って気持ちで涙こらえて、安い現場の端の端役も有難いと思った。
 
ある日、そういう思いの全部を捨ててまで (どうってことねぇけど)
「この人と一緒に生きて行こう」って決めて、
人間の設計図 』の執筆を手伝った。
 

「これなら間違いない」ってハッキリと決めて。
「一生、この人の云ってる事、本に纏めるのが俺の仕事なんだ」
って、絶対にそう信じた。
俺にとってはそれほど価値があった。
友達なのか何なのか、
「お前、宗教なんてよせよ」とか、その程度だった。
宗教ならもっとカネになったかも知れないけど、
カネはどうでもよかった。
こんな俺が手伝えることで何かデカイことできるなら、
俺の中にある俺の知らない能力をぜんぶ引き出してくれるなら、
「ここでいい」と思った。心の底からそう思った。
親は認めてくれた。
俺のやることなすこと何でもケチをつけてた父親も、
17年間、精神病院を出入りしてた母親も、
何も云わず離れた場所で見ててくれた。
「そんなの当たりめぇだ」とか云っても、
俺も本物に出逢えて善かったと心底、思えた。
五年間の間、たった四冊を代筆して、二冊の編集に携わった。
どれも死ぬ気で取り組んだ。
その割には出来栄えはパーフェクトじゃない。
手に取って読んだ人は限られてる。
それでも一生、その仕事をやって行くことに悔いはなかった。
それほど価値があった。
ある日
もうお前なんかいらねぇよ
と云われた。
自然と人間の設計図 』の著者、その本人から直接、
サシで坐った席でそう云われた。
死ぬかと思った。
死んでも死ねない気がした。
世界を呪って生きてやるとも思った。
少なくとも半年、一年間は毎日、
起きていても寝ていても、現実の世界を呪って生きた。
頭がおかしくなろうがどうなろうが、
絶対に死なずに生きて、俺は必ず生き残って、
「ぜんぶ、くたばれっ」って、
一秒間に何度もそう思ってやった。
1998年3月17日、東京ドーム、アリーナ左側。
そんな気持ちでローリング・ストーンズを観た時、
後ろで勝手に"Satisfaction "を下手糞に熱唱する奴がいた。
奴も くたばったかも知れない。悪いことをした。
 
 
   “I Can't Get No Satisfaction ”  正規盤CDでのライヴあります。
                                      05' 07.14現在。

 
Live Licks [UK]
  The Rolling Stones
 
…ご安心ください、UK盤はCDプレイヤーを破損させる恐れのある コピコン ではありません。
 
 
「こんな人間に何ができるか」
真剣に悩んだあげく、辿り着いたのが、また芝居だった。
「これで三度目だな」
そう思って現場を覗いてみた。
いくらか新鮮だった。でも世界は呪っていた。
電車に乗っても街を歩いていても、
「俺に触れたら殺すぞ」という構えで生きていた。
唾を吐いて、そこを踏んだ奴は死ねばいいと思った。
でも、どんなに醜くなって、たとえ、
クタバリ底無いの動物に操られて生きることになっても
乞食だけにはなれなかった。
・・・・いま想うと、それも中途半端だったか。
その時は既に、自分以外に、もう守るべき者があった。
二人で生きていれば いつかは救われるかも知れないと、
そう信じて生きてみようと思った。
それでも地下鉄に乗ると、繁華街をうろついていると、
俺は自分が人間ではないような気がした。
「殺されるより殺す方を選ぶ」
常に頭の中にそれを念じながら生きた。
そんなことは苦しみでも何の哀しみでもなかった。
「小指の先がちょっと傷ついただけでも痛い者は痛い」
そんな言葉を想い出しながら…
かつての俺の自殺願望をチャラにしてくれた存在。
俺の母親がどんなに苦しくても最期にはちゃんと助けてくれた存在。
出来上がった8千冊の『人間の設計図 』の番人として任命してくれた存在。
完全な『人間の設計図』を書き上げることを目的に生かしてくれた存在。
一度、命を懸けた者に投げ捨てられたその辛さを想えば、
そんなことは何ともなかった。
霞ヶ関のサリン現場跡へも行った。
四谷のサンミュージック前へも行ってみた。
殺されるより、自分で死ぬより、
殺すことを目的に生きた方が、
ここからが俺のスタートだと決めた。
だから毒ガスもいらない原爆もいらない、細菌兵器もいらない。
水爆なんてもってのほかだ。
そんな簡単に くたばらせるわけにはいかない。絶対に。
と、そんな奴が、歩き疲れても、どこか怪我をしても、
それをすべて呪う方向へ向けて、
「死ぬまで狂って、死んでからも狂ったままでいろ」
と、そう願って毎日を生き凌いだ。
ある日、小林桂樹さんのドラマで
制服警官の仕出しの格好 をして突っ立ていた俺に、
望月という男が話しかけてきた。
「こいつは恐い者知らずな奴だな…」と思った。
何かやりたそうな気配はしたが、
俺にはカネも時間も余裕はなかった。
なんせ、人類を呪い潰すという目的があったし、
生きるために盗んででも誰かを騙してでもカネを獲るなんて、
そんな元気もなかった。
だけど、
それがすべて消えてなくなった衝撃的な日がある。
 
20世紀の終わり。7月23日、17時22分。救急車の中。
そんな奴に、そんな人間の格好をした嘘の塊に、
ほんとうに小さな小さな、たったひとつの命が教えてくれた。
その時ほど、 「生きていて善かった」と思ったことはない。
俺はもう、俺の生き方をすべて変えなければならないと、
この三人だけは絶対に人間として生きたいと、
そう思った。
それが許されることなのかどうなのか。
確認したいとも思ったが、確認はできなかった。
 
翌年、21世紀 最初の2月14日。
人間の設計図 』の著者は死んでしまった。
肺癌で。しかも病院で。
信じたくはなくても事実だった。
通常の葬式は行われなかったらしいが、
俺はそこには立ち会っていない。
立ち会う資格どころか17日まで知らせてくる者もいなかった。
ただ14日未明に例の夢は観たが…。
遺骨は一番弟子のような一番弟子と、
長年連れ添った娘さんの二人の手で故郷に運ばれている。
側にいたらしき何人かの言葉の断片から察するところ、
死ぬ時は既に”『人間の設計図 』の著者”ではなかったのかも知れない。
その、普通の人間として屍となる肉体、そこから魂が離脱するその何日か前に、
本人は2本のカセットテープに最期の言葉を吹き込んでいるが、
今は、『 天 書 』(全四巻)という本に記された中身も、
『人類意識革命』という本の編集も、
『人間の設計図』完全版の出版も見送られたままになっている。
 
あの魂はどこへ行ったのか。
生前の本人が云っていたことには
「またスグに出てくるよ」
という言葉もあったが、
それを信じている人がいるというより、
覚えている者が何人いるのか…。
BAD LIFE (117~119ページ)の中に俺が書き記した
“例の夢”にあった俺にとっての最期の言葉。
 
「俺がこうなることはもう何年も前に云ってあったんですよ。
俺はぜんぶ前もって云ってあるわけ。『こうなるよ』って。(以下略)」
 
確かに生前に(少なくとも俺には)
「…あのね、見ててごらん。もうちょっと経ってから
私の頭の上に光の輪が見えるようになってくるから…」

「光の輪?」
「うん、よく神様の絵とかに描いてあるじゃない。
あれとおんなじようなものが、ここ(頭上)へ出てきて、
それからしばらくはまだ、ここにこうしていられるかも知れないけど、
そのあとまた、もう少し、もうちょっと経つと、
みんなの前からポッと、消えてなくなるんですよ」

「どっかへ行っちゃうんですか?」
「うん、どっかへ行っちゃうん。 みんなの前から見えなくなる…」
 
と、それは俺が二十歳の時、あのオンボロ合成革皮の椅子に坐って、
俺を目の前にして俺だけにはっきりと、そう云っていたことがある。
恐らく、ほかの何人かも同じ言葉を聞いたことがあるかも知れない。
あるいは「知らない」「覚えてない」と簡単に云ってしまうかも知れない。
また、“光の輪”というものが視えていた者もいるかも知れない。
別にそれは頭の毛が薄かったから眩しかったということではない。
実際にそういう写真も何枚か存在する。
あとで加工したかどうか疑ってみても、それには何の意味もない。
宗教の教祖でもなければ、スケベ ジジイ でもない。
生前中、そういう解釈をしていた者も何人かはいたが、
少なくとも、俺なら俺という人間の肉体の中に存在する精神の、
そこに潜む“神の存在”と交信を交わせることが自由自在に可能な存在だった。
 
この地球上に存在している人間の数、いま現実の世界に生きている生命として、
60億人もいるなら、その世界中の、今この時代のどこかに、
また存在しているかも知れない。
そして再び呼び戻すかも知れない。
そこへ、そのメンバーに俺が入っていなくても、
再びまた、この革命、“自然界による革命”を信じて生きる者を奮い立たせ、
既にそれは再生し、再編成されているかも知れない。
この地球上のどこかで。
それほど自然界の動きと一致していた、またそれほど、
“絶対”の力、“絶対”のエネルギーを持つ存在だった。
 
このことは、カルト、オカルト、愚かなる数々の新興宗教など、
そうした連中の繰り広げた一連の騒ぎと照し合わせて考えてしまう者にとっては、
残念ながら通じない話かも知れない。
もっと残念なのは、
昭和57年頃から平成13年にかけての20年間、
確かに在ったその存在を否定することが
自分自身の存在を否定してしまうことになり、
そしてそれに気づけないまま人間を終えてしまう虚しさ…。
これは残念などころか、自分の親や家族以外にも、
ちょっと放っておけない人も何人かはいる。正直なところ…。
例えばそれをもっと判りやすく云うなら、
かつて、
「教育者ほど教育だけが素晴らしいと思っている つまらない人間はいない」
と、ある大学教授が言っていた言葉にショックを受けて、
自分の生き方、生きる道、自分が生きていることそのものを否定されたような顔色で、
それまでの友人ともマトモに会話できないほど元気を失っていた学生がいた。
「教育が素晴らしいと思っている教職者ほどつまらないものはない」
そんなふうに云われて、それが本人の尊敬する両親だったとしたら、
自分が、その育ててくれた存在を信じて、
同じように教師になるつもりで進学した先で、そんなことを言われたとしたら、
その学生は、どんな気持ちで立ちあがって生きて行けるのか…。
その跛え【あしなえ】に、「そんなことはない」と突っぱねて、それでも心のどこかで、
現役の教師として働く親の存在を否定するのか? 自分自身を否定するのか?
教育とはそれほど人間を悩ませる、人間にとっての鉄柵や鉄の首箍【クビたが】に過ぎない。
そして教育者は妥協に妥協を重ねた人生を歩む
ある日、その教育公害の中で、そうやって騙し騙し立ち直ったのかどうなのか、
その彼は俺にこう言った。
「なんでそんな宗教みたいなことやってるの?」と。
本人は友達として情けないと思ったのか、怒っていたのかも知れないが、
俺は今でも友人とは思っていても”言葉の通じない連中”の一人でしかない。
まず、人間とは何なのか? 自分が何なのか? 何のために生きているのか?
そのことを追求、答えを求めて生きていた俺が、ようやく辿り着いたその場所を
そんな程度にしか思っていない事実もある。
 

「なぁ、てっちゃん、できることなら一緒にやりてぇよ。
世の中の教育という教育を一掃して、
ぜんぶ変えられるもんなら、
それをぜんぶ覆した先にある、
人間が生きるために本当に必要な教育ってものを
この世に確立してみてぇんだ。
そうしないともうダメだろ、この世の中は…。
ズタズタにされて疲れきってる指導者 を指導する者ってのも、
もうどこにもいない。
そこまで駄目になった教育が何の使い物になる? 
なんかいい方法、他にあるかい?」

 
いつかそんなふうに、また一緒に酒を呑める日が来て欲しいとも思う。
でも今は言葉が通じない。本人は別な意味で静養中だと思うしな…。
 
またある日、俺よりずっと以前に(俺が出逢うより先の何年か前に)
東大出の ある高等学校の先生が、
人間の設計図 』著者である“創った側の存在”に遭って一言、
「○○先生は今まで、それ を知りたくて、それを探して生きてきたんでしょう?」
と云われ、
そこから徐々に、物の見方、考え方が根本から覆され、次のように云っている。
「今(の時代)は、自分自身を含め、健常者・障害者を問わず、
人は皆、”気力障害者”だと思います。
“気”の抜けた教育のためだったと思い知らされています。
大人もそうですが、学校の子供が もう手遅れかと思うほど、
“無気力症候群”と呼ばれる気力障害が当り前になっています」
と、そう気づいた現役の学校の先生は、それまで(『人間の設計図』著者に遭うまで)
世の中にある本という本を読み尽すほどの読書家で、
「スポーツは健康にいい」と思い込んでテニスに熱中する高校教師だった。
(…アンディ・サマーズはどこ行った?)
ところが、他人の知識ばかりを詰め込んだだけの頭でっかちで、
筋肉の硬いスポーツ障害者だった自分を認め、
本来、人間ひとり一人が自分の持つ力を自由に最大限に発揮できること
自分自身が何なのかが判ることが『人間の設計図 』にはある・として、
『自分について書かれた本』
それが『人間の設計図 』だとも云っている。
なぜか、高校の教師を辞めて障害児学校へ勤め、機能回復訓練とか、
現在もそうした仕事をしていると思うが、
かつて、“ 国 医 【こくい】と呼ばれる国の病を治す医者が存在していたことを
人間の設計図 』著者の仕事と照し合わせて解釈したのも、その先生である。
で、俺はその学校の先生にいつだったか、
「一人、僕の友人で会って話をして欲しい人間がいるんですけど、
機会あったらお願いできませんか」
と頼んでみたことがある。
その約束はまだそのまま、それっきりになってるけどな。
 

ここまで云っても俺が何か怪しい宗教に囚われて、それに加担してると思うのなら、
それはそれで本人の自由だけど、もうひとつ。
俺が新興宗教なんてドブに嵌るような人間だと思うか?
友達なら、それくらいは見抜いてみろよ。友達ならな。
なぁ、土屋君。
 
世の中には
「独りで生きていて、ちょっと疲れたから結婚してみた…」
っていう女も大勢いる。
それも教育公害だ。
「私はどうしても痛くてセックスできないから、
他にもっと好きな人がいても精力の弱い今の旦那を選んだ…」
そういう女も世の中にはいる。
これも教育公害だ。
化粧品の使い方も売り方も誰よりも上手だったその女が、(…ゴメンネ)
自分自身の何のためにそこまで頑張って生きてきたのか。
父親の顔を覚えてない子供。母親の顔も知らない子供。
そこにどんな事情があろうとなかろうと、
その子供本人は自分の親がどんな人なのか、いつかは知りたくなる。
それは自分自身の存在を確認するために。必ずな。
それから、
自分自身の子宮が極端に下垂して膣を圧迫しているためにある人には言えない
その身体の問題で、どうして人類の子孫繁栄の義務に反したような、
そんな生き方を虐げられる人生を送らなければならないのか。
それを世の中はなんで「少子化」なんて言葉で簡単に片付けてるんだ?
どこの医者が産婦人科が、人間の創られ方を解っているのか。
教育が蒔いた種から涌きあがった教育の弊害の事実。
その教育公害の何者でもない。
 
 
   モトハルのSOMEDAYは どこか "Hungry Heart " に似ている…。
 
Bruce Springsteen
 
ザ・リバー
 

人間の設計図 』著者は
「人は昔から心身症、今も世の中の人間は すべてが心身症である」
と云っていたことがある。
誰も簡単に、“気力障害”ではない。
自分の肉体という容器に容れられている心が満たされず、餓えたまま。
あるいは解放されず、開放されないままの状態で日々を生き凌いでいる。
身も心も救われず、自分を騙しつづけたまま、
「気づいた時にはもう遅かった」と…。
そんな孤独な人間ばかりを育て上げた教育は、
今日もまだ、子供達を学校の机に縛り付けている。
社会に堂々と生きられるように教育されたはずの大人もまだ、
使い物にならなくなった常識やしがらみの中でもがき苦しんでいる。
俺はそれを「仕方ないだろ」では終らないし、終らせない。
“生きる”ってことは常に真剣勝負なんだぜ。
笑ってられねぇだろ、宗教の教祖みてぇに。
啼いてらんねぇだろ、戦争で負けた日本人みてぇに。いつまでも。
 

                                
南 大空