皆さま、おはようございます!

 

年度末の多忙な時期からようやく抜け出すことが出来ました。

来週は青春18きっぷで北海道最北の駅を目指しますよ。

北海道には昨年10月も訪れまして、

その際に石勝線・新夕張(しんゆうばり)駅に立ち寄りました。

 

南千歳駅-新得駅間を結ぶバイパス線の本線と

夕張駅まで延びる末端線の支線が分岐する新夕張駅。

公式には、開業年は明治25年とされている新夕張駅ですが、

そもそも明治25年に開業したのは、昭和56年の石勝線開業に伴い廃止された

夕張線・紅葉山駅-登川駅間にあった紅葉山駅でして、

駅施設としてはまるっきり別物なのですよ。

上は昭和51年に撮影された航空写真で、

大量の貨車が留置されているのが現役時代の紅葉山駅。

その上に写るのが建設中の石勝線・新夕張駅です。

両駅は位置的に隣同士にあり、

また、新夕張駅は建設中に紅葉山駅と仮称されていたので

移転扱いは分かるんですけど…

なんとなく違和感を感じるのは自分だけかしら?

 

こちらは同じく、昭和51年に撮影された新夕張駅周辺の航空写真です。

赤線が現在の石勝線で上に緩くカーブしながら延びているのが夕張支線。

緑線が夕張線の昭和56年に廃止された区間で

右側に延びているのが登川支線でした。

それまで、夕張線・本線の終端駅であった夕張駅は

石勝線の開業によって石勝線・支線の末端駅に変わりました。

新夕張駅は夕張市の中心地から18キロほど離れておりますけど、

紅葉山駅を新夕張駅に改称したのは、

支線の末端地に成り下がった夕張市への配慮だったんでしょうかね?

新夕張駅周辺では「新夕張」という地名は聞かれず、

現在でも「紅葉山」の名が通っておりましたよ。

 

そんな経緯で昭和56年に誕生した新夕張駅。

駅舎は近代的な鉄骨造りでガラス窓が広く採光もバッチリです。

 

駅員さんもいらっしゃって、とっても明るい雰囲気の新夕張駅でした。

なお駅員さんは、日曜祭日は不在になる模様。

 

石勝線は築堤上に設けられたために、ホームは駅舎より高い位置にあります。

故に、ホーム通路から見た景色はまるで高架駅のようでした。

 

新夕張駅は島式ホーム2面4線構造。

広い敷地には他に、貨物留置線が5線あったようですけど、

現在は大部分が取り払われたようです。

新夕張駅建設の段階では残っていた紅葉山駅での貨物の取り扱いですが

石勝線開通(新夕張駅開業)に併せて廃止されたようで…

 

石勝線は長大なトンネルが多く、着工から開通まで15年近くを要したらしい。

この間に、貨物輸送を含めた石勝線の鉄道事情も大きく変化しちゃったんでしょう。

 

なお、駅前には石勝線建設によって殉職された方を慰める「慰霊の碑」がありました。

碑の裏には工事によって殉職された方々の名が刻まれてましたが、

決して少ない人数ではありません。

多くの人びとの苦労によって開通した石勝線、大切にしなきゃいけませんね。

 

さてさて、新夕張駅の広場には

実際に紅葉山駅で使われていた駅名標が立っております。

駅名標は最近書き換えられたらしく、フォントがPOP体に改められたとか…なぜに?

 

その奥に見える空き地が、かつて紅葉山駅があった場所でした。

 

ひょっとしたら紅葉山駅の遺構が残っているのではないかと思い

辺りを見回したのですが…

赤い矢印の先が新夕張駅ですよ。

 

紅葉山駅が廃止されてから時、既に35年が経過。

それらしき遺構を見つけることは出来ませんでした。

 

が、同時に廃止された夕張線廃線区間の用地は

十三里・南千歳駅側は今でも大部分が転用されずに残されているようです。

く~っ、ここから先は立ち入り禁止区域か。

 

もう一方側にある登川支線ですが、

こちらは廃駅の跡地を中心に時間をかけて見てきましたよ。

小雨が降る中での廃線跡巡りで苦労しましたけど。

いずれブログで、その様子をアップしますね。

 

来週は太平洋フェリーで渡道します。

ディナーバイキング、食いまくりますぜ!

 

 

訪問駅リスト(JR線)

石勝線
 

↑(南千歳駅方面)

(追分駅)

東追分駅(平成27年10月20日)

川端駅(平成27年10月20日)

滝ノ上駅(平成27年10月20日)

十三里駅(平成27年10月20日)

新夕張駅(平成27年10月20日)

占冠駅(平成29年5月24日)

トマム駅(平成29年5月24日)

↓(新得駅方面)


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