前日の記事に貼付けた「真相」は、携帯からは見れないようなので、補足させていただく事にしました。
日航機墜落事故を巡っては、とても謎が多く、圧力隔壁の破損とはどうしても思えない節があります。
隔壁の破損なら、急激な減圧が起こっているはずなのです
それがないのが、まずおかしいのです
この事は、生存者で、非番で乗り合わせていたスチュワーデスの落合さんが証言しています。
それから、乗客の小川さんと言う方が、窓の外の飛行物体をカメラに収めています
そして、どーんと言う音の7秒後に、機長はもう「スコーク77」を発信しているのです
不意に隔壁が爆発を起こしたなら、状況を把握するまでに時間がかかるはずです。
これらの事からも、私は隔壁の破損による事故だとは、どうしても思えないのです。
やはり、何かが垂直尾翼に当たったのだと思います
はたして、巡航ミサイルなのか、無人標的機なのかは分かりません。
それが、護衛艦「まつゆき」から打ち上げられたものか、それとも、自衛隊機から発射されたものであるかもはっきりしません。
しかし、国と自衛隊は、それを必死に隠さなければならない訳があったようです。
人の命を二の次にしてでも
18時56分に墜落して、20分後には墜落場所が特定出来ているにもかかわらず、それを発表しませんでした
米軍ヘリの救助も、無理に断り、帰還命令を出しました
その間に、墜落現場近くの自衛隊秘密部隊の訓練所から、特殊部隊が千人ほど集まっていたと言います
そして、米軍機が引き上げた直後に、信号弾が上がり、一団は墜落現場に移動をしたとの情報もあります
また、救助に駆け付けた地元民に、わざと違う事故現場を指図し、墜落現場に向かわせないようにしていたと言う事も分かりました
生存者の川上さんの証言も、救助活動をしていない何者かが、現場にいた事をうかがわせます
「墜落したあと、ふと気が付いたら周囲は真っ暗だった。
あちこちでうめき声が聞こえ、私の両親もまだ生きていたような気がする。
しばらくすると、前方から懐中電灯の光が近づいて来たので、助かったと思った。
そのあとまた意識がなくなり、次に目が覚めると明るくなっていたが、救助の人は誰もいなくて、周りの人たちはみんな死んでいた。」
墜落時に4名以外は全員即死と報告されていたけど、違う事が証言されています
この事を祖母に伝えたが、信じてもらえなかったようです
無理もありません。
事故に遭って苦しんでいる人々をほったらかして、他にするべき事なんてあるはずがないですから
普通の人が普通に考えるなら。
私も、日航機墜落事故の真相をインターネットで調べてみると、これらのミサイル説を荒唐無稽と、一笑に付している人が実に多い事が分かりました
しかし、上記の事はどう説明がつくのでしょうか
早いうちに救助されたら、もっと助かった人がいた可能性もあるのです
世の中は、自分たちのお金や権威を守るためには、何でもする組織があるのです
私の過去のブログを見て下さい。
最近になって、これらの沢山の事を知りました。
信じられない事ばかりです
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まだまだ少ないですが、それでもこれらを知ると、日航機墜落事故の隠された真実が、ストンと入って来ます。
事故から24年が経ちましたが、決して風化させてはなりません
これらの隠蔽が事実なら、闇から闇に葬り去ってはならないのです。
じっくり調査して、みんなで真実を発信して行きましょう
一人ひとりは無力でも、みんなの認識が変われば、何か変化が起こって来ると思います
無念の520名の命を、私たちは決して忘れてはなりません。
事故で亡くなられた方々の遺書とメモ書き(揺れる機内で、必死に書いたもの)は、何度見ても胸が熱くなります。