日航機墜落事故の衝撃の真実 | misaのブログ

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今日は、オーパーツのお話はお休みです。



と言うより、急きょ、お伝えしなければならない事実を発見してしまったのです ビックリマーク

今日から、山崎豊子さん原作の映画「沈まぬ太陽」が封切られましたね。

これは、1985年8月12日に起きた、日航機墜落事故の事が描かれているのです。

私は、この時の話にはとても弱く、テレビドラマになった時も、号泣でした 。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

ビデオにも残してあります。

忘れる事の出来ない事故でした ガクリ

で、その事故を検索していたら、とんでもない真相を発見してしまったのです 叫び →→ 真相



この墜落事故は、今まで言われていた、金属疲労による後部圧力隔壁の破損が原因ではなかったと言うのです!?

何と、日米共同開発の巡航ミサイルの実験中に、誤って、ミサイルがJAL123便を追尾してしまった結果だと言うのです。

いろいろ調査した所、その日、相模湾で、当時の新型護衛艦「まつゆき」が、試運航だった事が判明しました。

1985年と言えば、レーガン政権が、日本の自衛隊を強化しようとしていた時期でした。

誤発射をしてしまったのは、当時開発が進められていた、沿岸防衛用国産巡航ミサイル(爆薬を搭載していない、演習用ミサイル)ではないかと推測されています。

ミサイルではないかと疑惑が持たれたのは、ボイスレコーダーを分析したり、、遺品の写真から、パイロットや乗客が、謎の飛行物体を目撃している事が分かったからでした。

演習用だった為、もしかしたら、SSM-1搭載コンピュータに、民間機識別情報が入力されておらず、全ての航空機を敵機とみなすようになっていたのではないかと予想されます汗

日航機パイロットは、6分前からミサイルが近づいて来ている事に気づき、高度を上げたりして振り切ろうと試みるも、逃げる事は叶わず、ミサイルは垂直尾翼に命中してしまったものと思われます。(18時24分)

衝撃後7秒後に、もう「スコーク77(国際緊急無線信号)」を発信している事からも、機長は衝突を事前に分かっていた事がうかがえます。

「スコーク77」は、飛行機が他から攻撃されたような時にだけ、発信するものだそうです。

これは、エマージェンシー・コールと違って、民間機が何かの攻撃の対象にされたとし、自衛隊機がスクランブル発進をして、その飛行機を誘導し保護すると言う決まりがあるようです。

最初、機長は羽田空港に降下しようと、東京航空管制と交信します。

しかし、ダッチロールが始まり、高度が安定しなくなります。

それでも機長の驚くべき操縦技術で、何とかコントロールして、羽田空港に戻る体制をとろうとしていたそうです。

管制官も、横田基地なら航路を確保できると準備をしていました。

ところが、18時30分自衛隊機2機がスクランブル発進し、2~3分後に123便を発見します。

そして、123便は横田基地に着陸させてもらえなかったようです 泣き1

おそらく、横田基地に着陸失敗したら、被害が大きくなるとかの理由が、自衛隊機によって挙げられた事と思われます。

この2機の自衛隊機の存在は、マスコミには伏せられていました。

でも、大月でキャンプをしていた角田四郎さんが、それを目撃しており、本も出しているそうです。

その後、自衛隊機2機によって、123便は御巣鷹山の方に誘導されてしまいました 汗

そこは、自衛隊の秘密部隊の訓練所がある場所だと言われているのは、ただの偶然でしょうか。

そして、JAL123便はとうとう御巣鷹山の尾根に激突してしまったのです ががん (18時56分)



しかし、その後が更に驚いたのですが、自衛隊は証拠隠滅を謀り、尾翼の残骸を処理する為、夜中まで、墜落現場で活動していたと言うのです 叫び 叫び ビックリ

まだ、息のある人たちを助けようともせず ゾゾゾ

自衛隊員がどこからか集まる前 ドクロ に、米軍C-130輸送機が横田基地から捜索命令を受け、19時30分前に墜落現場を発見していました !!

それを基地に知らせ、20時30分には60キロ離れた米陸軍キャンプ座間から、救難ヘリUH-1が現場に向かって来ていました。

そして、救助の為に乗員2名を下ろそうとしていたのです。

ところが、横田基地から「直ちに基地に帰還せよビックリマーク」との命令が来たと言うのです。

救助に入りたいと伝えたのですが、「日本側の救助隊が向かっている」と再び帰還を命じられたそうです。(21時20分)

生存者の落合さんも、この時のヘリコプターの音を聞いていました。

何と言う事でしょう !!!

19時30分には墜落場所が分かっているのに、翌朝までマスコミには行方不明と発表させていたのです ドクロ

防衛庁長官まで、墜落現場上空まで、ヘリでやって来たと言うのに、救助の指示も出さず、13日の午前0時5分から、緊急会議を開いていたと言います 叫び

そして、夜中の2時に発見したと言う事にして、やっと翌朝から救助活動が開始されたと言うのです !!

これらの事が真実だとしたら、本当に許されない事です !!

とことん証拠隠滅を謀ったのか、コックピットには燃料タンクはないのに、焼けただれていたそうです 涙

まるで、火炎放射器で焼いた跡のように。

そして、パイロットたちの遺体はなく、歯しか残されていなかったそうです ガクリ

ここでは書きませんが、記事には更に恐ろしい推測がされています ゾゾゾ

信じたくありません 涙

この事故で、大好きな歌手の坂本九さんを失いました。

九さんは、いつもは、頑なに全日空を指定されていたそうです。

でも、この日だけはどうしても予約が取れず、日航機にしたそうです 汗

何という運命のいたずらでしょう うわあーんっ

ボイスレコーダーに残る、機長の最後の絶叫を今でも忘れる事が出来ません。

亡くなられた520名の方のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。