127.明治維新は日本破壊のクーデター(6)古代から共産化との戦いだった日本の歴史 | 和敬清寂 ~書かぬが仏~

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■明治維新は日本破壊のクーデター
第1回: 109.阿部正弘と島津斉彬の暗殺
第2回: 112龍馬も天皇も将軍も【邪魔者殺して明治維新】
第3回: 117.謎だらけの明治天皇
第4回: 121.長州藩兵の蛮行
第5回: 124.外国の影響
第6回: 127.古代から共産化との戦いだった日本の歴史
第7回: 135.薩長同盟の目的は倒幕ではない【クリスチャン勝・西郷】
第8回: 145.神の国を取り戻す!が「日本を取り戻す」の意味


□水戸学と皇国史観について

皇国史観とは、万世一系(一つの皇統のみの世襲を代々続けてきた事)の皇室を日本民族統合の中心とする考え方である。

水戸藩(現:茨城県)は、水戸光圀がまとめた「大日本史」という古事記・日本書紀を日本のルーツとし南朝の天皇を正統とする日本の歴史観を構築した「水戸学」を生み出した。

水戸黄門

水戸光圀が全国行脚したのは作り話。


これが日本の知識層に影響を与え、明治維新を起こす大きな原動力となり、明治維新後の皇国史観を中心とする日本民族統合の根拠となったのである。


明治維新後、大日本帝国憲法の策定に際して、伊藤博文が欧米の憲法学を学び、「憲法はその国の歴史と伝統を骨格にすべき」というベルリン大学のオーストリア人学者ローレンツ・フォン・シュタインの影響を受けた。


そこで、明治政府は憲法の骨格部分である日本の伝統を「水戸学」をベースとする事に決定した。


大日本帝国憲法に「日本は万世一系かつ神聖不可侵の天皇が統治すること」と明記し、臣民を天皇の子供とした。


しかし、一般国民にとって昔から天皇は非常に距離のある存在であり、天皇を中心とする国家、民は天皇の子だと言われてもピンと来なかった。

やはりそれは人工的に作られた概念でしかなかったのである。


天皇の皇統が万世一系とするのは、南北朝の時代に血統が入れ替わっている事や、明治で再び入れ替わっている事などから根拠がない事がわかる。


本来、天皇(古代では大王)は神から民の統治を託された者であり、神社の神主を代表する者なのである。


万世一系は実はどうでも良く、国民を王の子供とする事には論理の飛躍がありすぎる。明治政府がある目的をもって創作した概念を国民に強制したと言うしかない。


□皇国史観の目的は共産化

公家の一部勢力である五摂家(近衛家・九条家・二条家・一条家・鷹司家)が、国の代表である天皇を操り人形にしてきた事は何度も述べた。

※日米開戦のお膳立てをしたソ連のスパイ・近衛文麿も五摂家の一つ、近衛家の貴族院議員である。


天皇と国民を親子として一つに束ねるのは、ちょうど北朝鮮がそのような事をやっている。


それを行うと、公家が
天皇を影で操れば全国民を同じ方向に向けて、日本を意のままに動かす事が出来る。

しかも自分達には責任が及ぶ事がないという、公家にとって安泰この上もない真に理想的な国家となる。しかも、共産主義の工作員を内部に抱え、たやすく共産化を目指していけるのである。



天皇がそれに異を唱えれば暗殺すればよい。大正天皇が短い生涯を閉じたのはおそらく暗殺だろう。

大正天皇の体調が悪化しだしたのは1917年、ソ連の共産革命が起こった年からである。

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さて、
日本の歴史に於いて、公家や朝廷の悪魔族が支配権を握ると、目指すのは決まって共産主義の支配体制である。


日本の歴史を古代から明治期まで大まかに追ってみる。

「テーマ:日本は一神教の国だった」で述べた通り、

神の民が平和に暮らしていた古代日本と殷の中国と半島の高句麗・百済・新羅だったが、

7世紀:中国と新羅が悪魔化し、高句麗・百済を滅ぼした。

天武天皇が作らせた古事記と日本書紀によって、古代から続いた神の国・日本国の歴史など無かったものとするよう、歴史の書き換えが行われた。

さらに、藤原不比等が神道に八百万の神という中国大陸から持ってきた概念を導入して、神様を祀る事を廃止。

明治維新と同じく、一神教を信奉するキーパーソンへの暗殺があった。


○藤原氏が源氏と共に日本を支配。

 唐に倣った共産主義的な律令国家を目指す。
 朝廷が公地公民制で民の土地を握る。
 天皇の絶対支配体制を確立。


しかし、悪魔族=天武天皇の系統が絶えて神側=天智天皇系の天皇が立ち、平氏の反乱などが起こって失敗。

※天智天皇は百済再興のための兵を派遣した善君です。


○神側=平氏と悪魔側=源氏との争い

○源頼朝の勝利により悪魔族支配の鎌倉幕府を開く。

 鎌倉仏教が発展(
一神教を偽装したとの説あり)

○後醍醐天皇(
南朝=悪魔族)が建武の新政

 
天皇に土地所有権の権限を集中。
 天皇一人にあらゆる権力を集中。
 要するに共産主義体制目指す。

○建武の新政が瓦解し後醍醐天皇が失脚。

 光明天皇(北朝=神側)の皇統が続く。

○足利尊氏が室町幕府を開く。

 良心的な仏教を保護した

 神側文化が花開く。

○戦国時代以降

 天台宗の腐敗・堕落・悪魔化
 一向宗・ゾンビの如く悪魔化

○信長が悪魔化した宗教を焼き討ち。
 神側文化の擁護。

○江戸時代

 キリシタンを弾圧したが、布教するカトリックを禁じただけ。
 欧米人の信仰は布教しない限り自由。
 ビジネスをしたければすれば良い。つまり布教が禁止。
 欧米の宗教組織に組み込まれる事を許さなかった。
 白人研究により、宗教利用の植民地化を知っていたため。

○明治維新:南北朝時代を再現しリベンジ。

 悪魔側=南朝が日本の支配権を取り戻した。
 共産主義工作員が内部に浸透。


悪魔側が支配権を握った時
 ・藤原氏が支配した時代、
 ・後醍醐天皇の建武の新政
 ・明治維新
いずれも、共産主義国家を目指しているのがわかる。

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皇国史観に話を戻す。

ソ連に革命が起こる1917年を前に、皇国史観が徹底されている。


wikipediaより抜粋-------------
明治以降の歴史教科書では、足利尊氏が朝廷に刃向かった朝敵とされたが、永禄年間までは楠木正成のほうが朝敵とされていた。

1880年代には記紀神話に対する批判など比較的自由な議論が行われていた。また考古学も発展し、教科書には神代ではなく原始社会の様子も記述されていた。

しかし、1891年には帝国大学教授久米邦武の「神道は祭天の古俗」という論文が不敬罪に当たるとの批判を受け職を追われた。このような変化は、神道内においては伊勢派が出雲派を放逐したことと軌を一にする。

1911年には、小学校の歴史教科書に鎌倉幕府滅亡後の時代を「南北朝時代」とする記述があった点が、南朝と北朝を対等に扱っているとして帝国議会で問題とされた。文部省の喜田貞吉は責任を取って休職処分にされた。これ以後の教科書では、文部省は後醍醐天皇から南北朝合一までの時代を「吉野朝時代」と記述するようになった。

現在の皇室は北朝の流れであり、北朝の天皇の祭祀も行っている。しかし、足利尊氏を逆臣とする水戸学では、南朝を正統と唱えていた。また、幕末の尊王論に影響を与えた儒学者頼山陽は、後小松天皇は後亀山天皇からの禅譲を受けた天皇であり、南朝正統論と現皇室の間に矛盾はないと論じた。南北朝正閏論争以降、宮内省も南朝が正統であるという見解を取った。

-----(抜粋終わり)------

明治の初期は古代の日本や南北朝時代の歴史について自由な議論がなされていたが、1910年前後にかけて皇国史観へ誘導する締め付けが厳しくなっていく様子が見て取れる。


まるで共産主義国家ソ連と連動するかのような変化の仕方である。しかし、日本共産化の努力をしても一向に日本に革命が起こらなかった。


度々起こる国難に元武士たちが立ち上がり、日清日露戦争を勝ち抜き、外交においても輝かしい勝利を収めてきたためである。


そこで、ソ連が業を煮やし1932年、日本共産党に向けて32年テーゼを発する。

スターリン

ソ連指導者:ヨシフ・スターリン


他の国の共産党へもテーゼを連発しているが、いずれも短い激励の手紙である。

なぜか日本にだけ、日本を「革命するに値しない野蛮で非文明的国家」とする前近代的日本文化論を徹底して教え込む力の入れようである。


この考え方こそ、岩波書店や東京大学を中心として進歩的文化人を生み出す原動力となった中心思想であり、その考え方が時代を経て反日思想と日本悪玉論となって、いまだに日本を苦しめ続けているのである。


いかに悪魔が神の国日本を憎んでいるかが分かる。32年テーゼ以降、日本は急速に国情の不安定化や国際社会からの孤立~大東亜戦争敗戦へと向かっていく。


大東亜戦争に敗れると、いよいよ日本共産化の本番であるGHQの占領期を迎え、利用するだけ利用した天皇を処刑すれば一気に革命へ駒を進めることが出来る。

天皇陛下全国行幸


公家が日本国支配のため形式的に日本国民の親の立場に立てた昭和天皇は、今度は逆に「日本国民の親」という立場で混乱する日本の廃墟を国民を慰めるために行き巡った。


その後、焼け野が原となった日本の全国各地を巡幸され国民を慰めながら、時には左翼にもみくちゃにされながらも、日本国民を
力づけ、励まし、国民も天皇陛下のご尽力にこころからの歓迎をしたのである。


それは「天皇は神である」という現人神の信仰の故ではない。死の淵にあって生き残った神の民が、神の国日本を背負う一人の男に、その中に宿る神の姿を感じ取ったためである。


「アメリカが日本を救ったとする洗脳」をやろうとしていたGHQは、この国民の天皇陛下を迎える熱狂を見た時、天皇陛下の処刑は「日本を救った」との大義名分を失うため、占領政策全体に重大な支障をもたらすと判断し、昭和天皇の処刑を断念する。


マッカーサーが天皇陛下に心酔したため処刑をやめたとの美談が残されているが、アメリカ政府の指示で動くマッカーサー一人でこんな重要な案件は決定できない。

マッカーサー

ダグラス・マッカーサー:GHQ司令官


政治的な思惑なしの行動はあり得ず、しかも日本弱体化・奴隷化を進めようとしているGHQである。ソ連の怖さを知るのもずっと後になってからで、日本の共産化が至上命題だった。


神風特攻隊までやってしまう日本人が一致団結すればどれほど恐ろしいか、彼らが知らないはずはない。

その日本人が天皇を殺されたとなると、一時は武装解除された日本人ではあっても、各地でGHQ相手にゲリラ戦を挑んでくるかも知れない。

米軍が本土上陸を断念したのは、日本国民が束になってゲリラ戦を挑んでくる可能性を否定できず、もしそうなった時には勝てる自信が全く無かったからである。(だから原爆を落とし国際法違反を犯したのだ。)


マッカーサーが昭和天皇の人格に心酔したのは事実かも知れないが、そのために「処刑を断念する事を決定した」という
話が捏造だというのは明白である。


昭和天皇の巡幸が政治的な思惑によって始められた訳ではない事は、
当初ご自身の意志でたった一人で、しかも暗殺の恐れがあるにも関わらず身辺警護も付けずに行かれ、その後8年半にも渡って行われた事からもわかる。


国民を慰めて力づけたいとの押さえられない心情によって始められた全国巡幸によって、
結果として日本赤化という最悪の事態は避けられた。


明治期の失敗と占領政策によって日本人の根本精神を悪魔にへし折られたとはいえ、天皇陛下の全国行脚によって神が日本赤化阻止の戦いに勝ち、悪魔の野望がすんでのところで打ち砕かれたのである。


↓続きです
135.明治維新は日本破壊のクーデター(7)クリスチャン勝・西郷【薩長同盟の目的は過激派排除】
http://ameblo.jp/arashi-toranosuke/entry-11822883037.html

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