あの日の事-火葬の日~永遠のお別れ- | ママとあんちゃん~ほんとはさ、本だけ読んでいたいんじゃ!!~

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気が付けば50代が目の前に( ゚Д゚)ほんとは毎日好きな本だけ読んでいたいけど、現実はそんなわけには行きませんね。HSP気質。夫一人と子供二人(共にASD)が家族です。日々の色々をつらつら書き殴ってます。よろしくお願いします。

※2ヶ月が経過してまだまだ書きたいことが出て来ました。あの日の事、思い出しながら書いてます。

出産から3日後。火葬の日が来ました。早朝に血液検査の為の採血。
その検査の結果次第で退院できるかどうかが決まることになっていましたが、私はすでに
退院できるつもりで居ました。


病院での最後の朝食。入院中は血圧が下がらなかった為最初の日の朝食以降はずっと
減塩の特別食が出ていました。最初のうちはお気軽のもきつかったしぐったりだったので
残していた食事も体の回復と共に全部食べれるようになっていました。
”こんなことがあった後なのに、なんでご飯が食べれるんだろう?”
自分はどれだけ鈍感何だろう?そんな自分が嫌でした。


退院前の診察では、子宮の戻りも良くだいぶ回復してきていることを告げられた。
その後再び車椅子に乗って、皮膚科を受診。


実はDICの治療の為にレミナロンと言う薬剤が点滴投与されていたんですが、点滴終了後に
針を抜く際に血腫が出来ていて、薬剤が血管内に漏れて可能性があるとのことで経過観察を
されていたんです。


この薬剤は血管内に漏れ出すと血管を破壊して壊死させる可能性があるんだって。
他の薬剤と混ざってもとても危険らしくて、担当の看護師さんが入れ替わる時にもすごく注意
されていました。だから、針を抜いてくれた看護師さん相当申し訳なさそうにしてました。
幸い心配したような症状もなく、問題なさそうだという事で皮膚科は終了。
今後また何か症状が出てくる様な事があればすぐに受診するようにと言われました。


火葬の時間は午後1時。それに間に合うように病院を出たいことは伝えてあったのに
検査結果が中々でない。


パパさんも早目に迎えに来てくれて待っているのに、早く栞菜のところへ帰りたくて
間に合うのかが不安でイライラしました。


そして11:00過ぎにようやく検査結果を伝えられた。貧血・血小板の数値は共にまだ低くて
肝機能の数値も高い。本来ならもう少し入院して経過観察が必要な所だけれど、
無理をしないのならばと言う条件で退院できることになった。


貧血に対してはもうしばらく鉄剤の服用を続けること。血が止まりにくくなっているので、
軽くぶつけただけでも青あざが出来たりしやすいので注意するようにと説明を受けました。
次回は1週間後に受信してもう一度状態を見ることに。


先生やスタッフの方たちにお世話になりましたとお礼を言って病院を後にしました。
 『これからはご主人がしっかりささえてあげてね~』
パパさん看護師さんからそう言葉をかけられてたね。


まだ体がふらつく為、車の乗り降りや運転スピードなんか普段にないくらいに、パパさんはかなり
気を使ってくれていた。




自宅に着いたのは12時を少し回ったくらいだったと思います。
帰ってきた私に、子供たちはとても嬉しいそうに抱きついて来ました。
怖くて寂しい思い、いっぱいさせちゃったね・・・・・・・。


家に着いて少し栞菜とゆっくり対面したいと思っていたのに、それは出来ませんでした。
火葬の時間も迫っているし、お義父さんに急き立てられるように棺の中にお花を入れました。
多分お義父さんはあまりしんみりとしている姿を見るのが辛かったんだろうと思う。
そういうのを隠す為に、口調が荒くなっちゃうんだよね・・・・・きっと。
でも、あまりにも慌ただし過ぎたよ。


栞菜の周りに花を置いてあげていると、あんちゃんがすす~っと寄ってきて棺を覗き込みました。
 『かんちゃん、可愛いね~』
って言うと、栞菜の為に折り紙で作ったという花束を入れてくれた。
夕べの電話以降、あんちゃんが栞菜に会ったのかどうかをパパさんに聞くと、多分今が初めてだと
思うという答え。私が戻ってきて安心したんでしょうか?
でも、火葬にされちゃう前に見ることが出来て良かった。


この時義弟のお嫁さんが私たち5人の写真を撮ってくれたのですが、私のカメラを使ったので
慣れないせいか棺の中の栞菜の顔がほとんど写っていなくって、あんちゃん今でもその写真を
見ると『かんちゃんが写ってな~い』って不満そうに言います(笑)


最後にもう一度くらい、栞菜を抱っこしたかったのにな。
あんちゃんとはるちゃんにも、棺の中以外の栞菜を覚えて居てもらいたかった。
そういう色々な事も、もっと時間にゆとりがあればちゃんと出来たのになぁって後悔しかありません。


そうして私もバタバタと着替えを済まし、斎場へと出発しました。
斎場に着いて受付を済ますとすぐに炉へと案内される。係の人はもう慣れっこなんだろうね。
なんの感情も感じられないまま栞菜の棺の頭の位置を確認され炉へと入れる準備がされた。


私たちは、最後にもう一度くらい栞菜の顔を見ることができるのだろうと思っていました。
でもそういうことはなく、参列者全員のお焼香が済んだ後、すぐに喪主?であるパパさんに
炉のスイッチを押してくださいとの指示がありました。


”もう一度顔が見たい”


その言葉が喉まででかかっていたのに、言えませんでした。
我が子との最後の瞬間だというのに、私は何を遠慮してたんだろう。
迷惑がられてもいい、みっともないと思われてもいい、ちゃんと気持ちを言えば良かった。
この時、パパさんも私と同じ気持ちだったそうです。
スイッチを押すパパさんの指は震えていました。
何度かためらったあとに、ボタンは押された。


火葬が終わるまでの時間はだいたい3~40分だったと思います。
呼び出しがされ、拾骨に向かいました。


栞菜は、小さな小さな骨になりました。
大きな骨だけ、箸で骨壷へと収め残りは小さな刷毛とちりとりで集められました。
でもおかげで小さなかけらまでひとつ残らず拾うことが出来たことは良かったと思います。
パパさんはこの時も泣いていた。もちろん私も。


お骨になった栞菜を連れて、再び自宅へと戻った。
前日にもお経をあげてもらっていましたが、この日もパパさんの友人であるご住職に来て頂いて
お経を上げてもらうことが出来ました。


お経の後の説法で、ご住職はこんな話をされました。

 ”人はこの世に生まれて、いろんな罪を犯しながら成長していく。
 小さな蚊を1匹殺すことも殺生で、それは罪なります。
 栞菜ちゃんは、そういうことを一切することなく
 清らかなままで一生を終えました。
 それは素晴らしいことなのです”


確かにその通りだと思うし、いいお話をして頂いたと思います。
だけどそれでも、栞菜に生きていて欲しかった。助けてあげたかった。
私さえもっと事態を深刻に受け止めていたらそれができたんじゃないかと思うと、苦しくてたまらなかった。



栞菜・・・・・・・
ほんとにほんとにごめんね。


ママを助けてくれてありがとう。








私の状態がまだ安定していないため、パパさんが今の病状を義両親に話してくれ、子供たちは
もうしばらく義実家で預かってもらうことになり、義両親と一緒に出かけて行きました。



久しぶりのパパさんと二人だけの時間。
その日は栞菜も居るリビングで、休むことにしました。
自宅に戻って来たからか、全てを終えた安心からか、数日ぶりにゆっくりと眠ることが出来た。

























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天使ありがとう。  
  死産後の私の心を軽くしてくれた2冊の本との出会い。

天使死産後に嬉しかった言葉”おめでとう”。  
  友達からもらった嬉しかった言葉です。














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