あの日の事-お別れの儀式- | ママとあんちゃん~ほんとはさ、本だけ読んでいたいんじゃ!!~

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気が付けば50代が目の前に( ゚Д゚)ほんとは毎日好きな本だけ読んでいたいけど、現実はそんなわけには行きませんね。HSP気質。夫一人と子供二人(共にASD)が家族です。日々の色々をつらつら書き殴ってます。よろしくお願いします。

※2ヶ月がたって、まだまだ書いておきたい事が出てきました。あの日の出来事、思い出しながら書いてます。


同じ病院で働いている伯母が顔を出してくれる以外は、面会に来るのはパパさんだけで入院中の
ほとんどの時間を栞菜と二人きりで過ごした。


点滴が徐々に減り、入れられていたおしっこの管も外れてようやく体が動くようになった。
出産から2日後の1月17日、翌日の火葬の前に一旦自宅に連れて帰るため栞菜が居なくなる日。
私は初めて、自分でコットから栞菜を出して腕に抱きました。


それまでは、体が動かなかったことももちろんあるんだけど、生きて生んであげることが出来なかった
申し訳なさで、まともに栞菜を見てあげることが出来なかったから。


腐敗が進むのを防ぐためにアイスノンで冷やされ続けている栞菜の身体はもうとても冷たかった。
一人の病室で、栞菜を抱っこしながら泣きました。ごめんねって謝った。


本当は抱っこして一緒に寝たいって考えた事もあったんだけど、そうしたら私の体温で栞菜が温かく
なっちゃうから、ダメな気がして出来ませんでした。


なんでもっといっぱい抱っこして上げなかったのかなぁ。
そんな事気にせずに、一緒に寝てあげればよかったね。
一緒にいられる時間は、限られていたのにね。




パパさんが栞菜を迎えに来たのは夕方の17時頃。
本当は迎えに来てもらってからしばらく一緒に過ごして面会時間ギリギリくらいに病院を出る予定で
前日看護師さんに話をしてありました。その時の返事では一応師長さんに確認しておきますが
それは大丈夫だと思いますとの返事でした。


なのに当日になったら、どうしてもスタッフが揃っている時間帯に病院を出て欲しいと言われた。
お別れをする部屋で、お焼香をさせてもらいたからなるだけスタッフが多い時間のほうがいいと。
病院を出るにも、その部屋のある階から一番駐車場に近い出口にエレベーターで降りれるから
その案内もスタッフが居る時間帯の方が出来るからと言う説明でした。


昨日は大丈夫って言ってたのに。そう言われたからまだもうちょっと栞菜と一緒に居られるって
思っていたのに。そんな急にお別れなんてしたくない。なんとか時間がギリギリまで居ることは
出来ないかと交渉しましたが、そのうちだんだん栞菜と離れたくないって言ってる自分が
わがままを言っているような感覚になってきて、ここは引かなきゃいけないんだって思えて来て、
病院側の提案を了承してしまいました。


多分病院の方は、一旦棺に納めた栞菜を再び部屋に戻すことをあまり良しとは思わなかった
んでしょう。やっぱり人目もあるもんね。


出来るだけスタッフがいるうちにお別れをさせて頂きたいのでと何度も言われましたが、それも
お焼香をして見送るという形式にただこだわっているようにしか見えませんでした。
穿った見方をしていたら申し訳ありません。でもそう感じて仕方がなかった。




その後は、栞菜に家から持ってきてもらった肌着や洋服を着せてあげたり、
栞菜と一緒の写真を
撮ってもらったり
と慌ただしく準備。


着替えは看護師さんと叔母が手伝ってやってくれたんだけど、これもママがちゃんとやって
上げれば良かったなって後悔してる事のひとつです。


だけどあの時私は、変わってしまった栞菜の身体を正視する事が出来なかった。
21の時に事故で母が亡くなった時も、母の姿を怖くて見ることが出来なかったから。





そうして着替えを済ませた栞菜は一足先に看護師さんに連れられて病室を出ました。
私たちも病室を出てお別れをする部屋へと向かいます。私はこの時もまだ車椅子。
病室に入るときは光の刺激が血圧を上げてしまう為目隠しをしたままの移動だったので、病室の
外を見るのはこの時が初めてでした。


なるだけ赤ちゃんが目につかないようなルートを選んでくれたのか、それが普通なのかは分からない
けど、スタッフさん達が作業をしているスペースを通っての移動でした。多分、最初に病室を移る時も
同じところを通った気がします。


栞菜の棺と一緒にエレベーターで部屋がある階へと到着。
エレベーターも、他の人が乗ってこないようにしてくれてた。
知らずに乗ってきて、赤ちゃんの棺が一緒だったら驚いてしまいますもんね。


お別れの部屋に着いてから、棺の中に入れてあげたい物があったら入れてあげてくださいと言われ、
栞菜の洋服を買いに行った時にパパさんが選んだカエルの顔の付いた服を栞菜の上に置きました。
これにしようか?って聞いたときのパパさんの”うん、うん”って大きく頷いた顔が忘れられない。
寒くないように暖かい上着も入れました。そして頭にはニットの帽子を被せた。とても似合ってた。
アメンバー限定記事で公開した写真の中で栞菜が被っている帽子です。


そして、お焼香が始まった。
私もパパさんも、泣いていました。


お焼香が済んで、駐車場へと栞菜を運びました。その場に居たスタッフの方達も全員見送ってくれた。
パパさんはまだ泣いていて、これから車で一人で家に戻るのに、運転大丈夫かな??って
看護師さんも心配してたなぁ。


出来る事なら栞菜を抱っこして、一緒に帰りたかったよ。




翌18日の火葬には私は外出という形で参列できるという話でしたが、昼間に処置に来た看護師さんが
ぽろっと”退院”って言ってて、何にも聞いてなかったんでその時病室に居た叔母と二人でびっくり。

”もうお世話する赤ちゃんも居ないし、ここは周産期のある病院だから、
ベッドはなるべく空けておきたいだろうなぁ~”

って、またひねくれた事を考えてしまった。


その後先生からも、このまま一人で病院にいても辛いだけだろうし朝の検査の結果が良ければ
退院しましょうという説明を受けた。





叔母も帰り、なかなか帰り着いたとの連絡が来ないのでパパさんが心配で電話をした。
パパさんはすでに帰りついていて、あんちゃんと話をしていて連絡しそびれていたらしい。


パパさんが栞菜を連れて帰ってきたよ~って棺を家に運び入れようとしたら、あんちゃんに拒否された
のだそうです。家に入れちゃダメって言うあんちゃんに

 ”かんちゃんは頑張ってママを助けたから、神様がご褒美に
 少しだけあんちゃんとはるちゃんと
一緒に過ごせるように
 時間をつくってくれたから、連れて帰ってきたよ。

 だから家に入れてあげてもいいかな?”

って話して聞かせたら、あんちゃんはようやく家に入れてくれたそう。
でも決して栞菜を見ようとはしないとの事でした。



できれば会って欲しいって思っていたけど無理にはそうさせたくないし、会うか会わないかは
あんちゃんに任せようって二人で話し合っていたので、様子を見守ることにした。


その日は義両親や義妹、義弟なども来てくれ、パパさんの友人でお寺の住職をしている方にお願い
してお経も上げてもらいました。


一晩パパやおじいちゃん、おばあちゃん、それにお姉ちゃん達と一緒に過ごせて栞菜嬉しかったかな。
パパさんはもう一度病院に戻ってきてくれるって言っていましたが、さすがに疲れてるだろうし
今まで動き回っていて、十分に栞菜と過ごせる時間もなかったんだし、家にいてもらう事にして
私は前日もなかなか寝付けずに眠剤をもらっていたので、その日も薬をもらって休みました。
それでもやっぱりなかなか寝付けなくて眠れたのは3~4時間ほどでした。


夜中に何度か聞こえてくる赤ちゃんの声が一人だとさすがに堪えたなぁ。























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天使ありがとう。  
  死産後の私の心を軽くしてくれた2冊の本との出会い。

天使死産後に嬉しかった言葉”おめでとう”。  
  友達からもらった嬉しかった言葉です。














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