霧の旗(七)「犯人は兄さんじゃありません」 | 俺の命はウルトラ・アイ

霧の旗(七)「犯人は兄さんじゃありません」

 『霧の旗』

 映画 111分 白黒

 昭和四十年(1965年)五月二十八日公開

 製作国 日本

 制作 松竹

 

 原作 松本清張

 脚本 橋本忍


 倍賞千恵子(柳田桐子)


 滝沢修(大塚欽三)

 新珠三千代(河野径子)


 露口茂(柳田正夫)

 桑山正一(奥村)

 

 三崎千恵子(家主)

 浜田寅彦(裁判長)

 田武謙三

 牧よし子

 幸田宗丸(検事)


 撮影 高羽哲夫

 音楽 林光


 監督  山田洋次


☆☆☆
 演出の考察・シークエンスへの言及・

台詞の引用は研究・学習の為です。


 松竹様におかれましては、お許しと

御理解を賜りますようお願い申し上げ

ます。

☆☆平成二十五年(2013年)十二月二

   十一日 東京国立近代美術館フィ

   ルムセンターにて鑑賞☆☆

  

 

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 倍賞千恵子主演』

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桐子と正夫

 裁判所

 

 桐子が証人として兄正夫が無実であることの

根拠を力説する。下宿のおばさんが「あんた達

は特別」と讃えてくれた程に、正夫との兄妹の

絆は篤いことを強調する。


 正夫は妹の言葉をじっと聞く。



 桐子「本当に下宿のおばさんの言われる通り

     です。兄は私に高校を卒業させ、その

     次には幸せな結婚をと。死んだ両親に

    代わって私の幸せばかり。そればかりを。

    その兄がどうして私が『恐ろしい前科者

    の妹だ』と他人に後ろ指を指されるよう

    なことをするんです!?そんな馬鹿な

    ことは絶対にありません!犯人は兄さん

    じゃありません!」



 正夫は被告として裁判長に事件前後の苦悩

を語り、「殺すつもりなんてじぇんじぇん」と無罪

を主張する。


 七月二十五日 事件当日のシーン


 正夫は渡辺キクの家を尋ねた。約束の返済

の日だったが、金策に失敗し言い訳に謝りに

来たのだった。


 戸を叩くが返事が無く、年寄り故のうたた寝か

と思い、中に入ると急須が傾き、キクが倒れてい

た。


 正夫がキクを起こそうとすると、キクは何者

かに殴り殺されていた。


 電車の通過が渡辺家の障子にシルエットで

映る。


 正夫は驚愕する。


 裁判所のシーン


 裁判長「何故すぐに警察に届けなかったか?」


 正夫「殺人の嫌疑がかかってはいけない」



 正夫は借用書が警察に見つかっては、嫌疑が

かかり、借金していたことが学校やPTAにもバレ

てしまうことを恐れ、キクの部屋から借用書を取り

出して燃やしてしまった。検察はこの点から彼を

犯人と見たのだった。


 裁判長は「何故取調で『キクを殺した』と言った

のか?」と問いただし、正夫は警察の厳しい取調

でノイローゼになってしまい、「裁判で本当のことを

言えばわかったもらえる」と諦めてしまったことを

確かめる。


 裁判に証人として現れた刑事は、厳しい取調

等していないと言い張った。


 取調室のシーン


 刑事が正夫に「お前が殺ったんだろ!?」と厳し

く問うている。


 正夫は苦悩し認めてしまう。


 証言による七月二十五日の夜の渡辺家


 正夫は渡辺家の戸を叩く。


 キク「柳田先生ね。はよ入らんね。

    約束のもんは、持ってきてくれた?

    さ、はよう、あがりなせえませや」


 正夫は棒でキクを殴り殺す。


 キクの恐怖の顔。


 急須が倒れる。


 裁判所


 弁護士は情状酌量の余地があることを裁判長

に訴え、正夫の無実を証明することが厳しくなっ

ったことを示す。キクの借金取り立ては厳しく、激

しい讒謗の声がが正夫に寄せられ、授業もできな

くなるほど落ち込み悩んでいたのだと弁護士は語

る。

 


 桐子の顔に悲しみが浮かぶ。



 東京 大塚弁護士事務所


 大塚は九州の弁護士が送ってくれた記録を熟読

して、「結局僕がやっても結果は同じだったね」と

奥村に語る。



 レストラン


 大塚と径子が豪華な食事をしている。



 径子は「先生の屈託のお仕事」が片付いたと喜

ぶ。


  径子「先生とこうしている時だけが、

      私の生き甲斐なんですから。」



 大塚「今日は料理まで何を食っても美味い」


 径子は清潔で豪華で外国のレストランで食べれ

ば美味しいお料理が益々美味しく思えることを強

調する。



  

 ふたりの近くで欧米系の外国人一家が食事を

楽しんでいた。


 径子は外国人では母親よりも父親のほうが躾

に厳しいことを指摘する。


 父親が娘のバーバラに


 I told you.(父さん、言っただろ)


と語り左利きの娘にナイフとフォークの持ち方を

教える。


 この瞬間、大塚にあることが閃く。

 

 彼は記録による正夫がキクを殴り殺したとす

ることを想像する。


 正夫が両手で棒を持って、キクを殴り殺し、箪

笥を無造作に開けて借用書を取り出したと記録

にあったが、写真は箪笥が左に多く傾く形で開け

られていたことを、大塚は思い出す。


 大塚(独白)「この犯罪は左利きでないと成り

         立たない。柳田が左利きでなか

         った場合は・・・・・・?」

  


 夜 

 

 大塚「今更後の祭りだ」


 大塚は径子に挨拶する。


 ☆倍賞千恵子が明かした桐子の兄妹愛☆



 橋本忍脚本における完璧な構成に感嘆する。


 (1)裁判所 桐子の証言

 (2)正夫の証言

 (3)正夫証言に基づく七月二十五日事件当夜

   のキク遺体の発見

 (4)裁判所 裁判長の問い

 (5)裁判所 刑事の証言

 (6)取調室 刑事が正夫を糾問

 (7)正夫が「落ちた」形で証言した

   七月二十五日事件当夜のキク殺害

   の光景。後に否定する。

 (8)裁判所 弁護士が裁判長に情状酌量を

  求める。桐子の不安が募る。

 (9)東京 大塚弁護士事務所

 (10)レストラン 大塚と径子の食事。

    外国人幼女バーバラが父親にナイフ・

    フォークの持ち方を教わる。

    大塚の覚醒

 (11)取調で語った正夫のキク殺害の光景。

    箪笥の写真

 (12)東京 夜 大塚の諦めと径子の気遣い。


 時間・空間を越えて事件・裁判に関わる人々

の在り方を一挙に描く。


 上記の多彩な時間・空間のドラマを精密に構成

して緊張感に満ちた物語として書き、観客の心を

掴んで離さない。


 山田洋次は裁判所のシーンでは日差しを受けた

人々が猛暑の中で裁判を聞き、強く緊張している

ことを語る。蝉の鳴き声が鋭い効果を挙げている。


 一方レストランでは豪奢な空間が描写されてい

る。


 証言で桐子が兄の無罪を強調するシーンは、彼

女の主張の根幹がある。というよりもこの言葉には

桐子の兄正夫への熱き兄妹愛が燃えている。兄正

夫が両親の没後、懸命に働き小学校教師として教

育に情熱的に取り組み、妹の自分に高校を卒業さ

せ、幸福な結婚生活を夢見て支えてくれている存在

であることを渾身の熱意を以て語る。


 その兄が、自身に殺人者の妹と後ろ指を指される

ようなことをする訳はないという確信があったのだ。


  桐子の台詞には、彼女の生涯の歴史が集約・凝

縮されている。「兄正夫が私を支え励ましてくれた」

という言葉の背景には、自分として一語も語らない

が、「兄を支えてきた」という彼女のこれまでの歩み

がこめられている。勿論桐子はそのことを自分の口

では語らない。語らずとも、兄正夫と妹桐子が互い

に励まし合って歩んできたことは明瞭な事柄である。


 兄と妹の絆は、桐子にとって生き方の全てであり、

彼女が命を燃やしている事柄である。


 だから、兄が殺人の容疑で取り調べを受けて、裁

判所から殺人犯の汚名を着せられようとしているこ

とは、命がけで晴らさねばならないし、救出は生涯

の課題なのだ。


 台詞の冒頭では証言台の桐子と不安に満ちた正

夫の表情が映り、高羽哲夫のキャメラはワイドから

ズームになって桐子一人を捉える。


 桐子・正夫の兄妹愛の絆が、桐子自身を支えてい

ることを明示している。


 助け合って歩んできた兄妹の道がある。


 倍賞千恵子が渾身の熱演で兄を助けることに命

を賭ける桐子の愛を明かす。


 

 この「兄妹」の絆はこれ以後も山田洋次作品にと

って大いなるテーマとなって行く。

 

 橋本忍・山田洋次は正夫の証言を二つ描写する。


 (a)正夫自身の証言による無罪の光景

 (b)警察の厳しい取調を受けて自白してしまった有罪

   の光景


 (a)では正夫がキクの遺体を発見した際に、電車

 通過の音が響き、障子のシルエットとして映る描写

 が鋭い。


 露口茂が正夫の驚愕を繊細に表す。


 (b)では、正夫が惨たらしくキクを殴り殺す。


 キクに苦しめられ、怨念を晴らす正夫の怒りが

描かれる。このシーンの露口茂の表情は迫力に

満ちていて、怖い。


 (8)では正夫の弁護をする国選弁護士が無罪の

立証の厳しさから情状酌量を求める言葉を語る。


 このシーンで山田洋次は倍賞千恵子の後頭部

を映す。


 後ろ姿で倍賞千恵子が桐子の不安を演ずる。


 その後、倍賞の表情が映り、悲しみの瞳が、桐

子のこころを伝える。


 国選弁護人が裁判長・検察官を説得できなかっ

った。


 この事実が、桐子をして大塚欽三弁護士に依頼

することの根拠と成る。


 (9)から(12)にかけて大塚の心の動きが重厚に

語られる。



 「僕だったら無罪を立証できたかもしれない」と

「自惚れ」ていたと大塚は語るが、橋本忍・山田

洋次はそれが傲慢さではなくて、彼にその力が

あったことを明かして行くのだ。


 否、大塚欽三ただ一人が柳田正夫の無罪を立

証できた人物であったことが確かめられて行く。


 桐子の直観は的確だったのだ。


 径子は「先生の屈託のお仕事が片付きますよう

に」と祈るが、その「お仕事」は彼女をも巻き込んで

行くことが悲しい。


 優しく無実の径子に恐ろしい復讐の手が近づい

て道程を山田洋次は静かな演出リズムで語って

行く。


 それほど恐ろしい所業に桐子を駆り立てるもの

は何か?


 無実の兄正夫を殺人犯にした司法制度の矛盾

であり、弁護を引き受けてくれなかった法律家へ

の怒りである。


 新珠三千代は、昭和三十二年(1957年)十一月

五日公開の東宝映画『女殺し油地獄』(原作近松

門左衛門、脚本橋本忍、監督堀川弘通)ではお吉、

昭和三十五年(1960年)産経ホール公演『オセロー

』(原作ウィリアム・シェイクスピア、訳・演出福田恆

存)ではデズデモーナを勤めている。



 お吉は優しい女性で放蕩者の河内屋与兵衛に刺

殺され、デズデモーナは貞淑で優しい妻だったが、

旗手イアーゴーの奸計に嵌って不貞を事実と錯覚

した夫オセローによって絞殺される。


 新珠は無実の罪で犠牲になる女性の悲劇美を明

かす女優である。



 外国人一家の楽しい食事の光景で、娘バーバラ

が父親に左利きの食べた方を治されたことを見て、

大塚は、「犯人が左利きの人間」と直観する。



 大塚がこの場面で、正夫のキク殺害の光景を想起

する。


 フランシス・フォード・コッポラが『ゴッドファーザーP

ARTⅡ』(1974年12月12日公開、製作国アメリカ合衆

国、配給パラマウント)を演出していた過程で、「息子

と父親の二人の物語を語る」という営みで、「主人公

のひとり(父親)は既に死んでいる。観客に共感して

もらえるかどうか?」という事柄で悩みながら製作し

ていたことをDVDの特典映像で語られている。


 結果として息子と父の物語が共に語られる形式は

見事に成り立ったが、演出家の苦心の跡も大きいも

のであったようである。


 コッポラは黒澤明を崇拝していて、橋本忍・黒澤明

のコラボ作品を深く研究している。


 本作『霧の旗』をコッポラが見ているかどうかはわか

らない。


 だが、この作品でも橋本忍の複数の時間・空間の

シーンを巧みに構成して自在に描き出す手法は見事

な手腕を顕示している。


 本作でも既に病死したことが伝えられている柳田

正夫が回想シーンで登場し、大塚の脳裏に鋭く問い

を投げかける。


 大塚が「この犯罪は左利きでないと成り立たない。

柳田が左利きでなかった場合は・・・・・・?」と自問

して柳田正夫の無罪を確かめる。


 「桐子が依頼してきた一年前に、大塚が弁護を引

き受けていたら、正夫は助かっていたであろう」とい

うことが観客の心に響く。

 

 傲慢な面もあるが、弁護士として卓抜した力を持

っている大塚の胸に罪悪感と苦悩が生じて行く。


 滝沢修の深く重い至芸が、「後の祭」と実感する

大塚の後悔を厳かに語る。


  
大塚の直観


                   文中敬称略



                       合掌