霧の旗(三)「無実の罪で苦しんで」 | 俺の命はウルトラ・アイ

霧の旗(三)「無実の罪で苦しんで」

 東京駅。


 沢山の人々が列車を待っている。


 柳田桐子もその一人である。


 大塚弁護士事務所から退出した桐子だが、

兄正夫が死刑判決を受けるかもしれない状況

を思うと、大塚への弁護依頼を諦めきれない。


 もう一度丸の内大塚法律事務所への連絡を

目指すことにする。


 素早い列の移動で、後方の男性に背を突かれ

つつも、桐子は大塚への依頼を公衆電話で再度

願い出る。

 

 大塚は既に外出して静岡県伊豆のゴルフ場に

向かったのだ。


   桐子「諦めきれないんです。」


 だが、奥村は「先生が拒絶された」ことを理由に

話を聞いてくれない。


 一方伊豆川奈のゴルフ場では大塚が愛人の

河野径子とのゴルフを楽しんでいる。


 桐子の電話

(画像出典 『霧の旗』DVD)


 電話を待っている記者の阿部幸一は桐子の電話

の声を思わず聴いてしまう。


 桐子は事務員奥村に、「大塚先生に兄の弁護

を引き受けて頂きたい」と重ねて願う。



    桐子「無実の罪で苦しんで一人の人間が

        死刑になるかもしれないんです。

        先生は助けてくれないんですか!?」



 奥村は「そんなこと僕に言われても」と苦慮する。


 「九州から先生だけを頼りに」東京に来た桐子は「残

念」な思いを噛みしめる。

 

 兄正夫が殺人事件の容疑者で逮捕され、裁判を受け

ていることもあり、桐子は会社に無理を言って休みを

もらい東京にやってきた。この日の夜行で熊本に帰ら

なければいけない。


 大塚に冷たく拒絶された悔しさは深い傷になってい

る。兄をどうやって救えばいいのか?


  桐子は無念の思いを電話から奥村に伝える


  「兄は助からないかもしれません。

   貧乏人は裁判にも絶望しなければ

   いけないことがよくわかりました。」




 桐子は深い悲しみを抱いて皇居前を歩む。


 道路では沢山の車が走っている。


 山田洋次はこのシーンで桐子の靴音のみを響か

せるという演出を為す。


 桐子を呼び止める声があった。


 阿部であった。


 二人は喫茶店に入る。


 偶然にも電話の話し声を聞いてしまった阿部は、

故意ではないとはいえ、立ち聞きを詫びつつ、桐

子に「お兄さん」の大変な状況を聞かして欲しいと

頼み、大塚弁護士は日本で一流の法律家で弁護

料金も高く、貧乏人は優れた弁護士に頼めないと

いう司法制度の矛盾があることを確認する。


 桐子は阿部に誠意を感じつつも、兄の苦境を話

す訳にも行かないことと熊本に帰らねばならないこ

とを思い、一礼して立ち去る。



 倍賞千恵子は昭和十六年(1941年)六月二十九

日に東京に誕生された。


 昭和二十年の終戦では茨城に疎開されていた。


 SKDを経て松竹において映画スターとして活躍さ

れた。


 『下町の太陽』の映画・主題歌の大ヒットもあって、

『霧の旗』の時代は既にトップスターの一人であった

ことが窺える。

 
倍賞千恵子2014/6/2


 本日平成二十六年(2014年)六月二日、『朝日新

聞』朝刊(関西版)に倍賞千恵子のインタビューが

掲載された。


 原子爆弾の恐ろしさを指摘され、東日本大震災

の後、福島で『男はつらいよ』の上映会や朗読会

に参加されていることを語って下さった。


 原発の再稼働の決定への悲しみを表明され、「絶

対安全」の言葉に対して、「絶対はない」ことを強調

された。


 賛成である。


 わたくし自身、原発・原子力の恩恵を受けていな

いとは言えないし、電力を消費しているが、放射能

への怖さは募るばかりである。


 
   私は山田洋次監督から人間の内面の見方を

   学びました。

   (平成二十六年六月二日 『朝日新聞』)


 山田洋次監督の演出から、人間の内面を見つめる

眼を学ばれ、そのことを演技において明かされた。


 昭和四十年(1965年)五月二十八日に『霧の旗』が

公開された時、倍賞千恵子は満年齢二十三歳である。


 二十三歳において既に大女優であったことが確かめ

られる。


 公衆電話で奥村との会話で、桐子の怒りが燃え上

がり、悲しみが深まっていく道のりを、視線の演技で

伝えて下さっている。


 お若い方はご存知ないかもしれないが、昭和時代

の公衆電話は赤色だったのだ。


 白黒映像だが、高羽哲夫のキャメラは、公衆電話

の赤を伝えてくれている。


 収入が少ない存在は、高名な弁護士に頼むことも

出来ず、裁判にも希望が持てないことを痛感する。


 無実の罪で捕えられた兄正夫には、死刑判決を

宣告される日が刻一刻と近づいている。


 「兄を救って頂きたい」という桐子の一途な願いは

大塚に跳ねられ、その大塚は愛人径子と伊豆ゴル

フ場で仲良くデートをしている。


 格差社会の重い光景が銀幕に映る。


 「もう一度夕方に大塚先生と電話で話せる」という

思いに全ての楽しみをこめていたが、「弁護してもら

えない」という事実に深い悲嘆を抱いて皇居前を歩む。

 


 靴音が桐子の悲痛な心の声を響かせているようだ。


 記者阿部幸一は原作においても桐子に好感を持っ

ている。


 公衆電話をかける桐子を見て惹かれたのだ。


 阿部を演ずる方は近藤洋介。


 昭和八年(1933年)八月八日生まれで、映画公開

時は三十一歳である。


 太い声で正義感に富むジャーナリストを探求される。


 喫茶店のシーンは優しい青年で理解者の阿部を以

てしても、傷ついた桐子の心は癒せないという重い事

柄を伝えている。


 自分がこの映画を劇場で鑑賞したのは、過去の記

事で書いたように、平成二十五年(2013年)十二月二

十一日、東京国立近代美術館フィルムセンターにおい

てであった。


 上映終了後、映画のロケ地であった皇居周辺を歩

んでみた。


 この日の東京は冬にも関わらず、暖かく気持ちの良

い日和だった。


 大きなビル、沢山の車、ジョギングされる人々。


 首都の光景は圧倒的な迫力があった。


 桐子が大東京の都会の風景の中で重く深い悲嘆と

孤独を痛感したことを改めて思った。


 本日の『朝日新聞』に掲載された倍賞千恵子の言葉

は、平和と環境の尊さを教えて下さっている。


 『霧の旗』の主題にも通じる言葉を引用して、この感

想記事第三章を閉じることにする。


   誰もが、「自分は幸せになりたい」

   という思いを侵害されるべきでは

   ないんです。

  (平成二十六年六月二日 『朝日新聞』)