M274/メカニカルミュール | 乗り物ライター矢吹明紀の好きなモノ

M274/メカニカルミュール



多くの人にとって、アメリカの軍用車というとどういったモデルが想像されるだろうか?一口に軍用車といっても主力戦車から軍用自転車(第二次世界大戦時にはM306という制式番号を持った自転車があった)まで多岐に渡っているのだが、その中でも誰でも知っている超有名な「ジープ」ことウイリスMBは過去を代表する名車である。


一方、究極のオフロード4WDの代表モデルとして高い人気を誇っている「ハマーH1」の母体となったのは、ハンビーこと「HMMWV/High Mobility Multi-Purpose Wheeled Vehicle」という名の高機動多目的装輪車だった。最近では燃料電池発電装置を搭載したシボレー・シルバラード・ハイブリッドも装備されるなど、いずれも基本的にその時代を代表する先進設計と充実したスペックが特徴だったと言って良いだろう。さらにオシコシが手掛ける大型万能キャリアなどはアメリカならではの高機能装備である。


ところがその長い歴史の中には、極めてプリミティブかつ日本人が想像する大多数のアメリカ人の好みにはとてもマッチしないと思われる制式車両が存在した。その制式名は「M274」。ニックネームは「Mechanical Mule」、単純に「Army Mule」と呼ばれることも多かった地味な車両だった。今回はおよそミリタリー関係書籍でも取り上げられることは希なこのマイナー極まりない車両の素顔に迫ってみたい。


M274は1950年代の初期、ちょうど朝鮮戦争真っ盛りの時代に前線における小規模輸送のための小型運搬車として開発計画が開始された。開発を担当することとなったのは、ジープの主契約メーカーだったウイリス・オーバーランドである。まずは上の写真を見ていただきたい。無骨な鉄のフレームに農機具のようなタイヤが4つ。運転席には計器盤らしいものは無く、ドアはおろかウインドシールドも無い完全なむき出し状態である。ボディサイズは全長95インチ(2413mm)/全幅48インチ(1220mm)というから、ほぼ畳二畳分くらいのサイズである。乗員は2名。乗員席の後部はすべて荷台となっており、最大積載量は1000ポンド(454kg)となっていた。


エンジンその他のメカニズムはというと、ウイリス・オーバーランドがM274専用に開発した53CI(868cc)の空冷水平対向4気筒を後部に搭載した4WDというもの。エンジンの最高出力は17ps。最高速度こそ25mph(約40km/h)と装輪車としては不満が残るものだったが、車重が800ポンド(363kg)しかなかったこともあってオフロードにおける走破性はなかなかのものがあったとも言われている。


なお詳細な4WDメカだが、前進3速後進1速のトランスミッション+ハイロー2速のトランスファーを組み合わせたコンベンショナルな設計ながら、センターデフ無しの直結フルタイム4WDだったのが特徴である。センターデフが無いということは前後輪の回転差に起因する旋回時のタイトコーナーブレーキング現象が現れていたはずだが、オフロード主体という運用環境を考えた場合、直結でもほとんど問題は無いと判断されたことは想像に難くない。また一層の小回り性能を実現するため、この時代としては珍しい逆位相の4輪操舵が採用されていた。


1953年、後にM274となる小型運搬車の試作車が完成した。しかし試作は発注したものの軍内部にもこうした前例の無い車両の在り方に疑問を投げかける声も少なくなかったと見えて、制式採用までは4年という長い時間を要することとなった。M274の制式番号が与えられて量産化が開始されたのは1957年のことである。


以来、M274は陸軍の歩兵部隊において前線での小規模輸送や補給などに活用されることとなった。特にベトナム戦争においてはコンパクトな車型と粘り強いエンジンを武器にジャングルでの補給活動に重宝されたと言われている。一部にはアンブッシュ(待ち伏せ)での運用を前提に106mm無反動砲やM2重機関銃を装備した車両もあったが、実際に前線で戦闘車両として使用されたことはほとんど無かったと思われる。


M274は改良型であるA1を経て1965年に最初の大規模な改修型であるA2となった。ここでの最大の変更点はエンジンを42CI(約690cc)のコンチネンタル・ハーキュレス製の空冷水平対向2気筒へと小型化したことである。これは後方でのメインテナンスをより簡易に実施するための措置であり、最高出力は2psほど低下することとなったが軽量化できたこともあり性能的にはほとんど変化は無かった。なお最終型のA5では4輪操舵が廃止されフロントステアのみにグレードダウンされたが、これは製造とメインテナンスの両面においてさらなるコストダウンを図ることが目的だった。


冒頭に記した通り、M274には「Mechanical Mule」というニックネームが与えられていた。Mule/ミュールとは「ラバ」を意味しており、輸送用トラックなどを「ワーキング・ホース」と称していたことに対応する呼称だったと言って良いだろう。M274はウイリス・オーバーランドの設計だったものの、実際に製造を担当したのは初期がボゥエン・マクラウフィン社とブランズウィック社(ボウリング用機器で有名だった)。後期がベイフィールド・インダストリー社だった。M274が生産されていたのは1970年代の末までである。


その全生涯を通じて縁の下の力持ちに徹し一般社会で注目されることなどまったく無かったM274ではあったものの、1980年代以降になって大量に退役し民間に払い下げられるようになると、予想外の出来事として民間での人気が高まることとなった。どういうことかというと、その軽快なキャラクターゆえ、ハンティングやフィッシングといったアウトドアスポーツを趣味としていたコアなマニアが、山の中での移動手段として注目することとなったのである。


その結果、オーナーズクラブが各地に誕生するなどマニア間の横のつながりもできることとなり、中古車市場も高値安定の様相を呈することとなった。現在、M274の市場相場は要レストアの払い下げ状態でも5000ドル前後、レストア済みの良コンディションの場合は1万ドルを下らない。この機種だけを扱うスペシャルショップさえ存在しているのであるから。


ちなみにM274が実戦配備された後、この手の軽便な輸送車両に注目したのは他でもないわが陸上自衛隊であり、昭和31年/1956年から「試製56式特殊運搬車」として愛知機械で試作が開始された。当初はM274に良く似た装輪式のRZ-1と装軌式のSZ-1の二本立てで試作されたものの最終的には装輪式の方が優秀とされ61式特殊運搬車として仮制式採用となったのは昭和36年のことである。エンジンは空冷水平対向2気筒。4WD&4WSというメカを見るまでもなく、M274の影響を強く受けていたのは明らかだった。


しかしハッキリ言ってこの車両は計画倒れの感が否めず、当初は日本固有の山間部の隘路をパックハウザー(アメリカから供与された軽便な75mm野砲」を牽引して敵の後方へ迂回するといった戦術が想定されていたものの、実際は最高速度がわずか15km/hに過ぎなかったこともあって、運用実験を担当した実戦部隊からその機動性について重大な問題が提起されることとなったのである。


要するにジープやトラックが通行できないオフロードはともかく、一般道においては速度不足で他車との協調運用が不可能でありトラックに積載して移動する必要があったこと。そして日本国内の林道でジープでは通行不可能というシチュエーションがほとんど存在しなかったということである。


こうして日本版M274というべき61式特殊運搬車は、わずか5両の生産のみで調達中止となり歴史の中に消えて行くこととなった。この車両はその存在が忘れ去られているという意味では歴代自衛隊車両の中でも最右翼である。