2011年10月 石鎚山旧跡 三十六王子石標調査 (初回調査) | 旅する石鎚信仰者

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やはり石鎚山は素晴らしい。

赤いクレパス君の日記 (>_<)

@71

 

 

 
石鎚山旧跡 

三十六王子社石標調査

初回調査

 


 

 

 

石鎚山旧跡三十六王子社石標
昨日の第36天狗嶽王子社石標を発見してから、更に今まで参拝してきた王子
の写真を解読していた。
とうとう元々祀られてある石標の詳細が気になりだし、とりあえず今日は第1福
王子社と第2桧王子社へ調査に行ってみた。
そもそもこの石標とは石鎚神社により昭和6年11月に各王子社に設置され
石柱の事で、正面上部にお地蔵さん?・下部に王子社の番号と王子社名
彫られてあり、現在の石殿が昭和50年に建てられるまでこの石標が各王子
の記しであった。
三十六王子社の本に写ってあるわずかな写真と文章の端々の言葉を照らし合
自分で撮った写真から総合的に石標のパターンをまとめてみた。
そうすると面白い事が分かってくる反面どうなっているのか分からない事のほう
が多いように思える。
何よりも全体的に基本形はあるものの形が変わった石標は統一性がなく、石標
にも刻んである文字に違いがある事が分かってきた。
間違いなく文字を刻んだ人は2人以上である。
線の刻み方や・文字の大きさ・配置・旧書体の使い方など一人ではありえない
文字の彫り方である。
昭和6年11月設置の石標で風化が激しく、はっきり文字が読み取れる石標は
ないが今分かっているだけでも違いをまとめてみた


 
オリジナルの石標が無い、又は一部が無い王子社
 
第4鞘掛王子社
代わりに古い石仏あり元々は第34夜明峠王子と同じ形の石標があったのだが
(本に写っている)現在は石標ごと無くなっている。
2011.10.25に赤いクレパス君が石標発見ビックリマーク
第20稚子宮鈴之巫子王子社
オリジナルの石標は無い、代わりに復刻された石標あり。
2012.4.18 赤いクレパス君が石標の写真を発見ビックリマークこれで元はあった事になった
第25御塔石王子社
オリジナルの石標は無し、ここの場合元々からない可能性があるがここだけ
石標が無いのもおかしく、もしかしたら御塔石の左右斜面か下に落ち込んで
埋まっている可能性は大である。
2014.7.12 石標発見ビックリマーク
第29前社森王子社
石標下半分がなし。昭和47年11月8日に上下2つに割れた石標を見つけている
が現在は山頂には下部がない。
第33早鷹王子社
オリジナルの石標は無し、復刻された石標がある。(なぜか石殿から少し離れた
所に設置されている) 本にも昭和47年11月8日に石標を探したが見つからなか
ったと書かれてある。
第35裏行場王子社
石標下半分なし。周辺を探したが弥山山頂には見当たらない。
第36天狗嶽王子社
ここには昭和50年設置の石殿しかなく本には裏行場の崖下にあったとあり探す
余地も無かったが2011.10.16日に弥山にて赤いクレパス君が発見ビックリマーク
 
 
基本形と違った形の石標
 
第2桧王子社       
石標のお地蔵さんが左向き
第4鞘掛王子社      
石標上部がお地蔵さんの頭
第11小豆禅定王子社  
石標上部がお地蔵さんの頭
第22恵比須滝王子社  
石標のお地蔵さんが右向き
第23刀立王子社     
石標のお地蔵さんが右向き
第32古森王子社     
石標の角にお地蔵さんが正面向き
第34夜明峠王子社   
石標上部がお地蔵さんの頭
第35裏行場王子社   
石標上部がとんがっている(石標下半分なし)
 
以上、表記されていない王子社は基本的な形で
上部お地蔵さんはすべて正面向きである
各王子社石標調査
 
第36天狗嶽王子石標発見ビックリマークこちら
第22恵比須滝王子石標調査 → こちら
石標調査 (表参道) 成就社~夜明峠 → こちら

第4鞘掛王子社石標発見ビックリマークこちら

第5細野王子社・第6子安場王子社 → こちら

第27祈滝王子社・第26穴の薬師王子社 → こちら

石標最終現地調査 (今宮道) →こちら

石標の作られた場所 → こちら

第20稚子宮鈴之巫子王子石標の写真発見ビックリマークこちら

天狗嶽王子石標・裏行場王子石標(両石標の関係) → こちら

第35裏行場王子石標の顔 → こちら

第20稚子宮鈴之巫子王子石標探し → こちら

第25御塔石王子社石標発見ビックリマークこちら
 

 
 
第35裏行場王子社
左は昭和50年設置された石殿・右が昭和6年11月に設置された石標
ここは他の石標と比べてかけはなれた形の旧石標
石鎚山は宗教的には弥山が山頂であった為おそらくこの
石標も山頂を表していると思う、石標の下半分が無いのが残念
赤いクレパス君の日記
 
基本的な石標となる第1福王子社の石標
この石標の全高は地面から90cm上部先端は横幅20cm 奥行10cm
後で分かった事だが埋まっている部分を含めると全長約120cm
でこのサイズはほとんどの石標にあてはまる。
下部の王子社名が彫られてある部分は横幅15cm奥行10cm
ようは頭でっかちでお地蔵さん部分は自然な石の形をしている。
その下に第の略字の横書きで左から「オ一」と漢数字がある
この漢数字は石標により右書、左書がある(赤いよだれかけの中)

石標の漢数字の部分は第○○○ (右書・左書があり)

第の字が略字の石標もある

この第の略字は表示されないパソコンが多いので

この日記ではカタカナの「オ」を代用している。

 

又、石標によっては「オ」ではなく「第」もある
石標によって書体が全然違う
明らかに違う職人技である事は間違いなし。
漢数字の下には縦書きで福王子とある
右側には石鎚神社○○
(旧跡の文字がない石標もある)
左側面には文字が二列あり一列目は昭和六年十一月建之
(建之の文字がない石標もある)
二列目は各石標確実に違う文字・文字数が刻まれていて
石標によっては氏名とも思える文字
石標奉賛者の氏名が刻まれていると判断。
石標両側面に刻まれた文字は
上記と左右反対のパターンの石標もある。
 
これが石標の基本的な形状である
赤いクレパス君の日記
 
これは第2桧王子社(刻まれた文字は檜王子)
赤いよだれかけをのけてみた、全体的な形は同じだが
石標でここだけはお地蔵さんが左向き、右向きは2ヶ所ある
この石標の漢数字は左から「オ二」とある。
全高は地面から100cm 先端は横幅15cm 奥行10cm
赤いクレパス君の日記
 

この第2桧王子社調査中にすぐ上に住んでいたという
方と雑談となり、ずっと昔からこの王子社の世話をしている
昔この辺りの民家は100件を越え、
盆踊りの時はこの王子社前で深夜2時まで踊ったと言う。
現在はわずか14件で当然盆踊りなどない。
話の中でこの王子社の石標、昔は「オ三」だったと言う
かなり以前に石鎚神社から人が来て
上一本の線をけずり「オ二」にしたと言う
拡大するとバランス的にも確かにそのようにも見える赤いクレパス君の日記

もう一度すべての王子社参拝が必要かも

この石標の調査は今後もしばらく続きそうだ ! !

 

結局全王子をもう一度周った

調査報告一覧表→こちら  
 

石鎚神社により石標が昭和6年11月に建立されて月で
言うと今月でちょうど80年になります。
石鎚山三十六王子社の本の著者 十亀和作が先達でこの
忘れられていた三十六王子社を再開拓したのが
昭和46年11月 (石標設置から満40年) の時
更にそれから40年後のこの年にこのような調査をしている
自分に何か石鎚山との深いかかわりを感じている
今日この頃であります(^_^)。
 
 
 
 

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