石鎚山旧跡
三十六王子社石標調査
その時はそんなに気にする事なく写真を撮って帰ったのだが、本にはこの王子
社に石標が写っている
この事に気が付いたのは最近だが更に本の写真を見ていて気になった事が
石標の写っている位置、実はこの位置にちょっとした記憶があり以前この王子
社に訪れた時ちょうどこの辺に高さ20cmぐらいの小さいリアルなお地蔵さんが
置かれてあったのを思い出した。
この時の写真も残っていて、たしかに本の写っている石標の辺りなのだ。
本に写っている石標は第34夜明峠王子石標と同じ形の石標頭部がお地蔵さん
の形をしているタイプの石標
本に写っている第4鞘掛王子社の石標上部のお地蔵さんにはちゃんと「赤いよ
だれかけ」もされている、もしかしたらあの時に見た地面に置かれていた小さな
お地蔵さんはこの石標頭部のお地蔵さんではないかと言う事になったのだ。
今までの石標調査でも石標が半分で折れている石標は現在2ヶ所確認してい
て頭部のお地蔵さんだけが残っているのかも知れないと考え行ってみた
後日第4鞘掛王子社再訪問(掘り出し) → こちら
写真右端に斜めって石標が立っているのが分かる
石標は頭部がお地蔵さんの頭の形をしたタイプである事も分かる
黒瀬峠で寄り道してみた
以前から気になっていたお堂
黒瀬峠第1福王子社入口手前山側にある
こちらからだと5分ぐらいで第4鞘掛王子社
第4鞘掛王子社
少し手で掘ってみると
しかし何年埋まっていたのだ???
石殿設置が昭和50年、それ以降と言う事は間違いない
設置以後35年で80cmほど周りの地面が上がった事になる。
しかしよく頭部だけ地上に出ていたもんだ
あと20cm埋まっていたら発見できなかった
石標は当時のまま折れずに残っている
既に石標はぐらぐらになるまで堀り、後は抜き上げるだけ
しかし石標が重くて自分ひとりでは持ち上げる事ができない
ここまで掘りながら上げる事ができないとは
たまたまか偶然か今週の28日金曜日から石鎚神社で
毎年行われる三十六王子社の参拝が4日間の予定で始まる
この参拝は近年75名で周っている
初日の28日お昼前にここに参拝に来るはず。
この時にこの石標を見たらおそらく数人で引き上げて
いただけるものと思います。
「どうか宜しくお願いいたします」
超疲れたが2体の石仏調査
このお地蔵様は「鞘掛けの地蔵」といい
西之川庄屋 高須賀蔵人の伝承がある
右側側面には縦書きで
左側側面はぜんぜん読めなかった
この石仏は触らなかった。
このお地蔵さんは「咳の地蔵」として
変わった伝説が伝えられている
ここに祈願すれば咳が止まると言われている
続いて
十亀運一
上部はどうみても怒っている様に見えるが
左側側面は昭和六年十一月建之の文字
その隣の文字は文字数が多くて読めない。