2011年10月 石鎚山旧跡 第4鞘掛王子石標発見 | 旅する石鎚信仰者

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やはり石鎚山は素晴らしい。

 

 

 

石鎚山旧跡

三十六王子社石標調査

鞘掛王子石標発見
 

 

 

 
第4鞘掛王子社石標調査
以前、第4鞘掛王子社に訪れた時にこの王子社には石標がなかった。

その時はそんなに気にする事なく写真を撮って帰ったのだが、本にはこの王子

社に石標が写っている

この事に気が付いたのは最近だが更に本の写真を見ていて気になった事が

石標の写っている位置、実はこの位置にちょっとした記憶があり以前この王子

に訪れた時ちょうどこの辺に高さ20cmぐらいの小さいリアルなお地蔵さん

かれてあったのを思い出した。

この時の写真も残っていて、たしかに本の写っている石標の辺りなのだ。

本に写っている石標は第34夜明峠王子石標と同じ形の石標頭部がお地蔵さん

の形をしているタイプの石標

本に写っている第4鞘掛王子社の石標上部のお地蔵さんにはちゃんと「赤いよ

れかけ」もされている、もしかしたらあの時に見た地面に置かれていた小さ

お地蔵さんはこの石標頭部お地蔵さんではないかと言う事になったのだ。

今までの石標調査でも石標が半分で折れている石標は現在2ヶ所確認して

て頭部のお地蔵さんだけが残っているのかも知れないと考え行ってみた

 

後日第4鞘掛王子社再訪問(掘り出し) → こちら  

 
 
 
 
本に載っている第4鞘掛王子社の写真

写真右端に斜めって石標が立っているのが分かる

石標は頭部がお地蔵さんの頭の形をしたタイプである事も分かる

赤いクレパス君の日記

黒瀬峠で寄り道してみた

以前から気になっていたお堂
黒瀬峠第1福王子社入口手前山側にある

由緒を読んでびっくり
石鎚山と三十六王子社の両方に関係している。
赤いクレパス君の日記
 
大きな石標
縦書きで大きく「左石鉄山道」
右側は縦書きで「施主くろせ中」
左側は読めなかっ
赤いクレパス君の日記  
 
1番上の「左」という文字がおかしい
赤いクレパス君の日記  
 
完全に元々「右」だったのを左に彫り変えている
おそらく元々この石標は今の山側ではなく道を挟んで
反対のダム側にあったのだと思う。
明治26年とある
赤いクレパス君の日記
 
ここからが今日の本番
以前とは逆周りで三十六王子道へ
こちらからだと5分ぐらいで第4鞘掛王子社
千野々バス停斜め前ぐらい
赤いクレパス君の日記
 
少し登ると王子社入口を示すポール
赤いクレパス君の日記

第4鞘掛王子社
赤いクレパス君の日記
 
見上げると大岩の下
やはり右端にある何となくリアルなお地蔵さん
地面に置かれてあるように見える。
赤いクレパス君の日記

少し手で掘ってみると
何と石標の頭部四オ」の文字が出てきた
と言うことは石標は1mあるので70cm以上埋まっているのか
それとも途中で折れて上のほうだけ埋めてあるのか
悪戦苦闘しながら1時間やっと鞘の文字が見えた
赤いクレパス君の日記
 
50cmほど手掘りした所でスコップ登場
(車までわざわざ取りに行った)
石標は地中へ続いている、掘るほどに大石が出てくる
赤いクレパス君の日記

結局1時間30分間かけて80cmほど

しかし何年埋まっていたのだ???

石殿設置が昭和50年、それ以降と言う事は間違いない

設置以後35年で80cmほど周りの地面が上がった事になる。

しかしよく頭部だけ地上に出ていたもんだ

あと20cm埋まっていたら発見できなかった

石標は当時のまま折れずに残っている

既に石標はぐらぐらになるまで堀り、後は抜き上げるだけ

しかし石標が重くて自分ひとりでは持ち上げる事ができない

ここまで掘りながら上げる事ができないとは

赤いクレパス君の日記  

たまたまか偶然か今週の28日金曜日から石鎚神社で

毎年行われる三十六王子社の参拝が4日間の予定で始まる

この参拝は近年75名で周っている

初日の28日お昼前にここに参拝に来るはず。

この時にこの石標を見たらおそらく数人で引き上げて

いただけるものと思います。

「どうか宜しくお願いいたします」

 

超疲れたが2体の石仏調査

このお地蔵様は「鞘掛けの地蔵」といい

西之川庄屋 高須賀蔵人の伝承がある

赤いクレパス君の日記
 
お地蔵様の「赤いよだれかけ」をのけてみると
赤いクレパス君の日記
 
石鉄山の文字
赤いクレパス君の日記

右側側面には縦書きで
「明和五子七月吉日」何と1768年
左側側面はぜんぜん読めなかった
赤いクレパス君の日記

更に石殿奥に小型の石仏があるが

この石仏は触らなかった。

このお地蔵さんは「咳の地蔵」として

変わった伝説が伝えられている

ここに祈願すれば咳が止まると言われている

赤いクレパス君の日記
 
石標が無念だが今日はどうにもできない
赤いクレパス君の日記

続いて
第3大保木王子社
赤いクレパス君の日記
 
りっぱなお地蔵さん。
お地蔵さんの土台には「明治廿四卯4月日」1891年
左側側面には
十亀運一
世話人 ?藤?次良
赤いクレパス君の日記

石標の「赤いよだれかけ」をのけてみると
「三オ」の文字がはっきり
赤いクレパス君の日記

上部はどうみても怒っている様に見えるが
不動明王とは違う感じである
赤いクレパス君の日記


左側側面は昭和六年十一月建之の文字
その隣の文字は文字数が多くて読めない。

しかし下部のほうだけ読た
「天野小太郎」たぶん
赤いクレパス君の日記

右側側面は
石鎚神社旧跡の文字
石殿
赤いクレパス君の日記
 
ここは覗きの行場
赤いクレパス君の日記

覗きの行場はくずれないようにネットが掛けられている。
赤いクレパス君の日記
 
とろとろで下りてきた
赤いクレパス君の日記
 
上り口はこの猫が目印
赤いクレパス君の日記
石標が石鎚神社により昭和六年十一月に
設置されて今月でちょうど80年になる。
この年のこの月にこのような調査をしている
自分に何か石鎚山とのかかわり感じて
いる今日この頃であります。
 
「やはり石鎚信仰はすばらしい」
 
 
 
 
 
 
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