正義には、大きく分けて二つの正義が存在しています。ここでは、消極的正義と積極的正義と呼びましょう。
消極的正義感とは、道徳心や規範意識のことであり、その人に正しい行動を喚起します。消極的正義感による行動の例を挙げるならば、嘘をつき他人をおとしめないことや、ごみを道端で落とさないこと、夜中に(住宅街で)騒いだりしないことです。他にも、約束をやぶらないことや、親孝行もそうでしょう。TPOをわきまえるのも、ここに属するでしょう。自助を重んじることなども場合によっては含めていいかもしれません。
それに対して、積極的正義感は、妄想の中の理想を造ります。現実とのずれに対して、嫌悪感を覚え、現状を変化させようとします。例えば、人権思想や結果の平等はこれに当たります。
消極的正義感の多くは、人が人間として生きていく上で重要です。円滑な人間関係を形成する上で重要でしょう。そして、そのような正義感は、各人の生活を守り、その町をも繁栄させるでしょう。
しかし、積極的正義感はどうでしょうか?
まず、人権思想は非常に注意が必要です。人権の本質は、気に入らないことがあるか否かです。道徳的に問題あることを気に入らないがためで、ずたずたにされるのは、困ります。人は世間に埋め込まれているべきでしょう。和を以て尊しと言います。
改善したい点があるのに、現状を変化させるのは悪いことでしょうか?使命感を感じることは悪いことでしょうか?それも慎重であるべきでしょう。人間の理性は矮小であり、うまく現状を改善できるとは限らないのです。むしろ、とんでもない副作用をもたらすかもしれません。
また、結果の平等はどうでしょうか?これは全くもって見るに値しません。確かに、苦しんでいる人を助けるという意味合いにおいては、部分的に見るべき点もありますが、平等を叫ぶのは、嫉妬の心に狂った忌み嫌うべき感情です。結果の平等は一切重要ではありません。
ただし、公平無私であることや、人間として平等であること、法の下の平等は、重要です。法の下の平等は、消極的正義感とも親和性が高いですね。
消極的正義感に比べて、積極的正義感はさして重要ではないのです。たしかに、消極的正義感が形成される際に、使命感・思いやりや、聞き分けのよさ・理性に基づく人権思想が、場合によっては関係してたでしょう。しかし、様々な人間関係の中で失敗の中築きあげられてきた消極的正義感に対して、人権思想の入り込む余地は非常に小さいと思います。
最後に、消極的正義感の上にほんの少しだけ自分を乗せる。これが重要なのではないでしょうか?