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『白山‼️』ミッション‼️…達成 ‼️↑キラキラキラキラ
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無事‼️登拝‼️。。下山‼️。。


その麓。。。白峰。。crystal*












































「無量光山 林西寺」由緒









白山御本地佛
























『白山下山仏』










「林西寺」 『白山下山仏』


「無量光院林西寺」は真宗大谷派に属し、
泰澄大師の開基と伝えられる
白峰地区最古最大の寺院です。
古来より白山の山頂一帯には多くの尊像が安置されていましたが、明治7年(1874)の
神仏分離令により廃棄の危機に瀕しました。
これを憂慮した当時の住職可性と
山麓十八ヶ村の尽力により、
『白山下山仏』として半分が「林西寺」に収められることとなったのです。

現在『下山仏堂』には『白山本地仏』で
国指定重要文化財である
銅造十一面観世音菩薩立像など、
白山信仰の歴史を今に伝える8体の仏様と
泰澄大師坐像を安置しています。
いずれも白山の神仏習合の実態を知る遺品として貴重な資料です。



【住所】白山市白峰イ68

【開館時間】
10:00~15:00 (1月~3月)
8:30~16:00(4月~12月) 

【休館日】火曜日

【拝観料】
一般400円(10名以上の団体は350円)
小中学生200円


本足跡


































































百合(白)キラキラ































『白山下山仏』キラキラキラキラキラキラ

これは‼️…是非拝見したい‼️。。ラヴねこやん↑キラキラキラキラ












 白峰林西寺白山下山仏 附仏体等品目
(仏体8点文書1点)

永禄7年(1564)  
林西寺  白山市白峰イ68


『白峰林西寺白山下山仏』 

県指定文化財  昭和54年12月19日指定

寛文8年(1668)以降、越前馬場平泉寺の支配下におかれてきた白山山頂が、
明治5年(1872)に、
石川県能美郡(現白山市)に帰属させられたことにより、
翌々明治7年(1874)になって、
石川県令内田政風は、白山山頂の神仏分離を強行し、山頂一帯の堂舎に安置されていた
仏像・仏具を廃棄した。

さいわい、仏像の破壊をおそれた
信仰あつき白山麓18ヶ村の総代の出願により、山頂から下山させられた仏像は、
牛首(白峰)林西寺と尾添村に預けられることとなり、『白山下山仏』の名で安置され、
今日に至っている。
林西寺境内の『白山仏堂』に伝えられているものは、『山上三社』や『室堂』などに
奉納されていた8体即ち、
銅造十一面観音坐像
(大御前本地仏、文政7年《1824》在銘)
・銅造阿弥陀如来坐像(奥之院本地仏)
・銅造聖観音菩薩坐像(別山本地仏)
・銅造地蔵菩薩坐像(六道辻地蔵堂安置)
・木造泰澄坐像(室堂安置)
・木造薬師如来坐像(市之瀬薬師堂安置)
・木造如来形坐像
・銅造雨宝童子立像である。
神仏分離の歴史的事実を今に伝える、
これら下山仏は、貴重な資料であるといえよう。 

昭和60年『石川の文化財』より
本足跡


















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堪能~‼️。。ラヴねこやん↑キラキラキラキラキラキラ


(当然‼️…写真禁止の為‼️。写真はないです。
なので。。パンフレットのもので足跡笑おんぷ)







おぉっ‼️…これは⁉️キラキラキラキラ↑

石徹白。。。

石徹白の大杉。。



↑↑
  許可をもらって写真を撮らせて
いただきました~‼️。。ラヴねこやんおんぷ
↓↓




藤原秀衡。。


「白山中居神社」。。

虚空蔵菩薩。。。

イザナギ。。。






 
『白山本地堂の下山仏』

「林西寺」 明治初年の神仏分離で
白山から引き下ろされ、溶かされて鍋や洗面器にされていたかも知れない、
下山仏の命を救ったのは、
その当時の「林西寺」の住職、可性法師でした。

『白山本宮』(白山比咩神社)にあった仏像は
金沢や松任のお寺に移されたといいますが、
山頂や登山道にあった石仏はことごとくその場で破壊されたといいますから、
下山仏を救うのは簡単なことではなかったようです。

 「林西寺」は真宗大谷派のお寺ですが、非常に古いお寺で元は天台宗のお寺だったそうです。
このお寺の開基はパンフレットによると、
泰澄大師(たいちょうだいし)になっています。
なっています、というのは、郷土史関係の本などにはまるっきり別のことが書いてあって、「林西寺」は泰澄大師とは縁が無い、
となっているからです。
それらによると、
藤原仲麻呂(706-764)が落ちのびて開いたとなっています。
『恵美押勝』と書いてある本もありますが、
藤原仲麻呂の別名が『恵美押勝』でした。

 藤原仲麻呂という人は奈良時代に
光明皇后の寵愛を受けて権勢をふるった人で、光明皇后が亡くなると、
道鏡(~772)相手に天皇と上皇の争いも絡んだ権力闘争を展開し、結局、敗れて近江で殺されています。
ですから、実際、藤原仲麻呂が白峰まで落ちのびて来たという気遣いはなさそうです。
 藤原仲麻呂は聡明な人だったようですし、別に悪い政治をしたということもなさそうですから、開基が藤原仲麻呂でも良さそうに思うのですが、パンフレットに泰澄大師の開基としているのは、藤原仲麻呂の開基は歴史的事実に反すると考えたからかも知れませんが、
やはり、白山麓の寺社=泰澄大師の開基というイメージが一般的なためなんでしょう。
(これはあくまでも勝手な想像です。。)

 そんなことよりも、幕末明治初期の
林西寺の住職さんのお蔭で、現代の我々が珍しい仏像を拝することができ、往時を偲ぶことができるのは、有り難いことだということを強調しておきたいと思います。

本足跡








霊峰‼️…白山‼️crystal*crystal*富士山初日の出富士山初日の出富士山初日の出crystal*crystal*

の麓。。白峰村。。