伊勢神宮は、むっちゃ手前までしか入れてくれないよと書
ご寄付をすれば、伊勢神宮の御正宮の、
しかも1,000円から、OK。
ただ、正装じゃ無ければなりません。
男性は、スーツにネクタイ。
で、みつろうは、サンダルに短パンでTシャツという、
海の家と神の家を間違えちゃった海水浴客のような格好
白いのれん前の、警備員に止められました。
でも、よく見てみると、軽装のおばちゃんたちが、
みつろう
「ちょっと、あのおばちゃんたち、
警備員
「女性は、それなりの格好をしていれば。」
みつろう
「はぁ? 誰が、「それなり」の、「それ」を、決めるんじゃい!
どこからが正装で、どこからがキャバクラじゃい!
例えば、あのおばちゃんの靴。
DAIMARUで買えばOKで、
それともあれかい、伊勢だけに、イセタンで買えばOKってかい?
いったい、誰がその、境界線を引いとるんじゃい、!
ジャッジマン連れてこい、ジャッジマンを!」
すると、伊勢神宮外宮御正宮白いのれん前にモヤがかかり、
(ボワーン)
ジャッジマン神さま
「判定、とにかく、お前は無理!」
みつろう
「はーい。さようならー。」
・・・という、上記のコントを、当時のライブ中継でもお伝えしました。
でも、スーツが絶対なんて、おかしな話なんです。
ある人が、右手を事故で失った。
その人は、伊勢への長年の思いを胸に、
そんな人に対して、絶対に二拍手一礼をしなければいけないと、
神さまは言わないだろう
手が無い人に、拍手しろと言うのは、「神さま」だろうか?
ルールは、全て、人間が決めているのだ。
神さまは、ココロしか、見ていない。
神さまを想う気持ち、自分以外の存在を尊く敬う気持ち
その気持ちが大事なのだ。
ある人は、その気持ちを、服装で表したのかもしれない。
でも、片手が無い人に、「拍手しないといけません」
その人の、他者を敬う気持ちや表現は、
ネクタイを締める事で、
うたを歌う事で、
表現方法。それはただの、価値観だ。人それぞれに、それは違う。
みつろうは、伊勢神宮でネクタイを締めていた誰にも負けないくらい、
自分以外の存在を高くに置き敬う気持ち(それが「神さま」)
を胸に、参拝している。
その気持ちは、あの日、あの場所に居た誰よりも強かった。
そこに、引けない線を引いたのは、いつでも人間です。
「ネクタイが大事です」というのは、だれか、人間の価値観です。
それと同じくらい、それ以上に「神さまへのコトバは大事です」と
コトバで表そうが、ネクタイで表そうが、結局その表れのもと、
ココロが、鏡に映ります。
自分が、どうであったか、だけですから。
内宮の御正宮前には、急な階段が長く続いている。
その階段を、80歳くらいのおばあちゃんが、手すりを必死につか
登っていた。
「下から祈っても伝わりますから」と言って、
みつろうは、そのガイドさんを止めた。
このおばあちゃんは、上まで登るべきだと思った。
本当にヒザが悪いらしく、一段上るのに20秒はかかる。
でも、このおばあちゃんは、ココロの中に、
「下で祈るなんて、失礼にあたる」という観念があるのだ。
必死の思いで、頂上まで辿り着いたおばあちゃんは、ただ一言だけ、
「ありがとうございました。」と神さまに感謝していた。これが、真の祈りだ。
自分のココロには、ウソはつけません。
服装でその気持ちを表したい人は、そうしましょう。
言葉でその気持ちを表したい人は、そうしましょう。
登る事でその気持ちを表したい人は、そうしましょう。
その表現方法の、「元」だけが、伝わります。
さて、この話しを聞いて、
「よし、ココロが大事だな。じゃあ俺も次から、伊勢神宮へは、
とあなたが思ったなら、あなたは短パンでは行かない方がいい。
なぜなら、「短パンでもOkなんだな」とその口が言ったからには、
あなたの中の価値観に、「服装は大事である」という観念がまだあるん
だからこそ、「(価値観の中で服装は大事なの)だけど、ゆるめてもOKなんだな」と思った。
「服装が大事である」と思っているあなたが、服装をゆるめると、
そのココロが伝わります。
だから、あなたのような人は、むしろ、ネクタイに革靴にスーツで
叶いやすくなるでしょう。
自分の中の価値観に、ウソはつけないのだから。
「私は、私の全身全霊をもって、失礼が無いように、
スーツを着てこそ、あなたは、そう、言えるはずです。
ということで、伊勢神宮へ行く際、
スーツを着て、ネクタイを締めて、1,
女性は、イセタン帰りに、お越しください
(まぁ、服装より、祈りの時間帯の方が大事です⇒ココ)
(誰も知らない、内宮で、神さまにかけるコトバはココを参照)
(ていうか、なぜ、伊勢神宮が大事なのか⇒ココから順に読んで)
↓そういうことなんです。
世界でただ一人だけ、伊勢神宮へ短パンで行ってもOKな、
だって、「服装」に、自分の観念を微塵も保持してないのだから。
でも、あなたがネクタイに込めた思いに、負けない想いを、
伊勢ライブ中継の際には、神道を敬歩する人々や、
不快な思いをさせたかも知れませんが、そういうことなんです。
僕が、それを敬う気持ちは、あなたに負けずとも劣りません。
例え、短パンであったとしてもです。
どうも、みつろうです。
↓今日は下のSNSボタンを押す際、
「自分以外の存在を高くに置いて敬う気持ちが、「神さま」です」
初めてお越しの方はブログの目次へ(⇒ココ)