『日本国紀』読書ノート(200) | こはにわ歴史堂のブログ

こはにわ歴史堂のブログ

朝日放送コヤブ歴史堂のスピンオフ。こはにわの休日の、楽しい歴史のお話です。ゆっくりじっくり読んでください。

テーマ:

200】マッカーサーは失禁していない。

 

「GHQによって廃止されたものに『華族』がある。」(P439)

「余談だが、自身が男爵であった幣原喜重郎首相は、『存命中に限り、華族でいられる』という内容の条項を入れることにこだわったといわれるが、議会によって拒否された。」(P440)

 

と説明されていますが、これも不正確です。

GHQの草案に『存命中に限り、華族でいられる』(補足第97)という条項が入っていたのです。

昭和天皇も、堂上華族だけでも残したいと考えておられたようで、幣原喜重郎もその意を受けていたようです。

ですから、「…条項を入れるにこだわった」、ではなく「条項を残すことにこだわった」と説明すべきです。

これは、また、GHQの草案を、議会が改変した例の一つです。

https://ameblo.jp/kohaniwa/entry-12449874602.html

 

『白洲次郎の日本国憲法』(鶴見紘・光文社)

『華族-近代日本貴族の虚像と実像』(小田部雄次・中公新書)

 

さて、P440P441のコラムなのですが…

 

「もし昭和天皇を処刑すれば、日本の占領統治に大混乱をきたすと、GHQが判断したからである。」(P440)を、昭和天皇を戦争犯罪人として裁かなかった理由をマッカーサーが「その人間性に感服した」ことともに説明されています。

天皇が戦争犯罪人に指定されなかったのは、戦争中の昭和天皇ご自身の言動と戦争回避の努力をGHQが「評価」したことと、占領政策に「天皇」を利用しようとしたこと、共産化の可能性を抑えるという複合的な理由からです。武装解除し、50万人の兵力で進駐して占領しているGHQが日本の抵抗をおそれる理由はありません。

 

「アメリカ軍は、硫黄島や沖縄において日本兵の凄まじい戦いぶりを目の当たりにしていた(二つの戦いでは、アメリカ軍の死傷者は日本軍を上回っている)。」

 

と説明されています。しかし、この説明はどうでしょうか。

「死傷者」と「戦傷者」も含めておられますが、戦死者では日本の被害のほうが圧倒的に多いのです。アメリカは投入兵力が多いので、けが人は当然増えます。

「硫黄島の戦い」ではアメリカは約11万人の兵力を投入しました。これに対して日本は栗林中将指揮下の2万2700人の兵力で戦いました。

日本軍の戦死者は約1万8000人で、これに対してアメリカ軍の戦死者は約6800人です。

これだけの日本軍の消耗ですと、全軍「死傷者」と言っても過言ではありません。

「沖縄戦」では日本の兵力は約116000人、アメリカ軍は548000人が準備され、陸軍および海兵隊あわせて28万人が上陸しました。

日本の戦死者は沖縄県外の兵約6万6000人、沖縄県内の兵約2万8000、アメリカ軍は約2万人です。アメリカの戦傷者5万5000人を加算しても日本側の戦死者が上回っています。なにより、日本側は民間人で戦った人たちも含めると20万人を超えました。

 

「昭和二〇年(一九四五)八月三十日に厚木飛行場に降り立った連合国軍最高司令官のマッカーサーは、サングラスをかけコーンパイプをくわえ、日本人を睥睨するようにタラップを下りてきたが、この時、決死の覚悟を持った日本人による暗殺を恐れるあまりズボンの中に失禁していたといわれる。」(P441)

 

と説明されていますが誤りです。

これは「マッカーサー俗説」の中でも「マッカーサー神社」を上回る低劣な俗説で、これも恥ずかしいので削除されたほうがよいと思います。

マッカーサーの来日は、画質の悪い「写真」だけではなく、カラーの鮮明な「動画」も残っていますし、何しろアメリカ側にとっては「記念すべき」一瞬ですのでたくさんの写真が残っています。ご確認いただければすぐわかることです。

https://youtu.be/5_mhHXmNupw

 

AD