『日本国紀』読書ノート(201) | こはにわ歴史堂のブログ

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201】「奇跡的な復興」を支えたのは、アメリカをはじめとする諸外国の援助である。

 

「『大東亜戦争』が終わった時点で、日本は世界最貧国の一つだったが、昭和二〇年代半ばから驚異的な復興を遂げた。あらゆる産業が蘇り、みるみるうちに国力においてヨーロッパ諸国に追っていく。」(P444)

「奇跡的な復興を支えたのは、ひとえに国民の勤勉さであった。」(同上)

 

と説明されています。もちろん、多くの人々の努力があったことは確かですが、日本の美徳の一つは「感謝」です。

日本の通史の視点で、とくに戦後の復興については「感謝」を忘れてはいけないと私は授業でもよく言います。日本人の力「だけ」で努々日本か復興できた、と思ってはいけないよ、と伝えています。

第二次世界大戦後、ほぼ世界で唯一と言ってもよいくらい、援助供与能力を持っていました。

占領地域に関しては二つの基金を用意しており、一つは「占領地域救済政府基金」(ガリオア基金)、もう一つは「占領地域経済復興基金」(エロア基金)です。

日本は1946年にガリオア基金から、1949年からエロア基金からの援助を受けています。その金額はなんと18億ドル(うち13億ドル)といいますから約12兆円の供与を受けたのです。

これは、通貨安定はもちろん、国鉄、通信、電力、海運、石炭産業などのインフラ及び基幹産業の育成の原資となりました。

さらに日本は国際連合の国際復興開発銀行(世界銀行)からの借り入れも受けています。1953年から1966年まで、計34件8億6000万ドル以上の借款を受けています。

黒部第四水力発電、愛知用水、東名・名神高速道路、そして「戦勝国すらどこも成し遂げなかった『時速二〇〇キロ以上で走る高速鉄道』(新幹線)を東京から大阪まで開通させた。」(P444)と百田氏も説明されている東海道新幹線はこれらによって建設されたのです。

 

「私はこの事実に感動する。私たちの祖父や父は何と偉大であったのか。」(P444)

 

と説明されていますが、もちろん私もそう思いますが、敵国として戦ったアメリカや世界の国々が日本の復興のために手をさしのべてくれていた「この事実に感動」します。

「世界最貧国の一つ」であった日本がまっさきに苦しんだのは食糧難でした。学校給食も「ガリオア基金」で始まり、さらに1949年から1964年の15年間にわたり、ユニセフ(国連児童基金)から当時の金額で65億円にものぼる援助を受け、未来の日本を支える子どもたちに粉ミルク、衣服の綿、衣料品などを支援してもらっていたのです。

 

これらを抜きに、日本の復興はありませんでした。戦後復興の栄光を、胸を張って語るのではなく、「教科書に書かれていない歴史」を語るならば、このあたりを説明すべきだったと思います。

 

「だが、敗れた日本が取り戻せなかったものがある。それは『愛国心』と『誇り』だ。これらは戦後、GHQに木端微塵にされ、占領軍が去った後は、彼らの洗脳を受けた傀儡となったマスメディアや学者たちによって踏みつぶされ続けた。」(P444)

 

と説明されていますが、「愛国心」と「誇り」は果たしてGHQの政策で「木端微塵」にされたといえるでしょうか。

「洗脳」などそんなめんどくさいことをする必要なく、日本の経済をすべて戦後賠償支払いのための機構にし、すべて「紐付きの」援助にしてしまえばよかったのです。そしてその選択肢も実際あったのです。

そもそも「国民の勤勉」、「死に物狂いで働く」、「日本人はやり遂げた」ことに百田氏は「感動」しておられるではありませんか。日本をGNPで西ドイツを抜き、世界第二の経済大国となった、ということを「誇り」に多くの日本人は思っています。そのプロセスで「愛国心」というのも育まれたともいえます。東京オリンピックで日の丸が掲げられ、多くのアスリートたちの活躍で湧き立ち、「新生日本」が誕生しました。

木端微塵にされたのは軍国主義を支える「愛国心」と、プロパガンダによって作り上げられた、アジアに君臨する帝国主義的「誇り」です。

1946年から1966年まで、日本は世界の国々の人々の援助に支えられながら、多くの人々の努力と勤勉で成長を遂げました。「感謝」と「誇り」の現代史と言うべきでしょう。

 

「国旗と国歌を堂々と否定する文化人が持て囃される国は、世界広しといえども日本だけであろう。」(P444)

 

と説明されていますが、日本は民主主義国家です。多様な価値観の同時存在こそ民主主義の精髄。そういう人も存在できる、弾圧されることもない、決定するのは「選択」という多数決のみ、ということが実現できている国です。

実際、どの新聞の世論調査をみても「日の丸が国旗にふさわしい」「君が代が国歌にふさわしい」という意見は軽く過半数をこえています。

「戦後の日本人の精神」は「ふみつぶされ続けてきた」というより「培われてきた」と言うべきではないでしょうか。

 

「この屈辱は、昭和の輝かしい復興の陰で、決して忘れてはならないことである」(P444)

 

と説明されていますが、むしろ「昭和の輝かしい復興の裏で、多くの世界の国々の援助があったという、感謝は、決して忘れてはならないことである。」と言い換えたいと思います。