『日本国紀』読書ノート(186) | こはにわ歴史堂のブログ

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186】日本国憲法の制定に関する説明が一面的で誤りを含んでいる。

 

「同年十月、GHQは日本政府に対し、大日本帝国憲法を改正して新憲法を作るように指示した。これは実質的には帝国憲法破棄の命令に近かった。幣原喜重郎内閣は改正の草案を作ったが、発表前に毎日新聞社に内容をスクープされてしまう。草案の中に『天皇の統治権』を認める条文があるのを見たマッカーサーは不快感を示し、GHQ民政局に独自の憲法草案の作成を命じた。」(P411)

 

「改正の草案」というのは松本試案のことです。

194510月末、松本蒸治国務大臣を委員長とする憲法問題調査委員会が草案作成に入りますが、その議論と過程はまったく明らかにされず、草案は松本がほとんど一人で起草したものです。できたものは、明治憲法とほぼ同じ内容で、日本政府が自ら民主的憲法の草案を作ることを期待したマッカーサーは失望しました。

(『マッカーサーの二千日』袖井林二郎・中公文庫)

 

「ハリー・S・トルーマン政権の方針に基づいて民政局のメンバー二十五人が都内の図書館で、アメリカの独立宣言文やドイツのワイマール憲法、ソ連のスターリン憲法などから都合のいい文章を抜き書きして草案をまとめあげさせた。メンバーの中に憲法学を修めた者は一人もいなかった。」(P411)

 

と説明されていますが、誤りです。また、意図的かご存知無いのかわかりませんが、GHQ案作成に至る過程が大きく抜け落ちています。

このまま読めば、お手軽につぎはぎの、粗雑な作成の印象を与えかねません。ネット上の言説にもよく似た説明がみられますが、独立宣言文の精神は反映されているとは言えますが、同じような説明、そのままの引用は日本国憲法には見られません。ワイマール憲法に関しては後ほど説明しますが、GHQ案には反映されていません。

また、スターリン憲法のどの箇所から抜き書きされているというのでしょうか。

もし、「両性の平等」や「勤労の権利・義務」のことをおっしゃっているのだとしたらトンチンカンなご指摘だと思います。男女の平等や勤労の権利・義務は基本的人権の中の普遍的原理で、スターリン憲法に記されているからスターリン憲法の影響を受けている、というならば、民主主義国家すべての憲法がスターリン憲法の影響を受けていると言わねばなりません。

 

マッカーサーが憲法改正を示唆した段階で、政党や団体、あるいは個人がさまざまな憲法草案を作成しました。

① 保守党政党の自由党・改進党の案

② 憲法懇談会案(社会党・文化人グループ)

③ 共産党案

④ 憲法研究会の案(憲法学者のグループ)

このうち①は明治憲法とほぼ同じで松本試案とあまり変わっていません。②は天皇の統治権を制限して天皇制を存続させるものでした。③は天皇制廃止と共和政を定めたものでした。

そして④は天皇制存続と国民主権、そして天皇は「国家的儀礼」を執り行うというものでした。

GHQは④を高く評価し、GHQ案作成の下敷きにしています。

「都合のいい」抜き書きでもありませんし、④を下敷きにしているので、メンバーに「憲法学を修めた者」がいないこともあまり問題にはなりません。

 

「本来、憲法というものは、その国の持つ伝統、国家観、宗教観を含む多くの価値観が色濃く反映されたものであって然るべきだ。ところが日本国憲法には、第一条に『天皇』のことが書かれている以外、日本らしさを感じさせる条文はない。」(P411)

 

と説明されていますが、一般的な憲法の考え方とは異なる独特な説明です。

憲法は、そもそも司法・行政・立法を制限するものであって、「普遍的な原理」を説くものです。

実際、大日本帝国憲法は、ドイツやフランス、ベルギーの君主権の強い憲法を手本にしたもので、「日本らしさ」はありませんでした。

https://ameblo.jp/kohaniwa/entry-12438712957.html

https://ameblo.jp/kohaniwa/entry-12440382945.html

 

「GHQはこの憲法草案を強引に日本側に押しつけた。内閣は大いに動揺したが、草案を呑まなければ天皇の戦争責任追及に及ぶであろうことは誰もが容易に推測できた。」(P412)

 

と説明されていますが、GHQやマッカーサーの意図を曲解しています。

 

ソ連は、軍政下に置いてドイツのような「分割占領」を企図していましたが、アメリカと「取引」をし、極東におけるアメリカの優越権をみとめる代わりに、ソ連は東ヨーロッパ・バルカンにおける優越権をみとめさせました。

その前提に、アメリカは「ソ連を含む『連合国』が介入しなくても日本は自ら民主化できる。」という形式でアメリカ主導の間接統治をおこなっているのです。

ポツダム宣言の要求に合致し、連合国を納得させる憲法を日本政府が作らなければ、ソ連の介入を許すことにもなりかねません。

単に「天皇の戦争責任」に及ぶ問題ではなかったのです。

 

「GHQはこの憲法草案を強引に日本側に押しつけた。」と説明されていますが、これも適切な説明とは言えません。

①GHQ案には、「一院制」が記されていましたが、幣原喜重郎は「二院制」の意義を粘り強く説明し、GHQは「二院制」に変更しています。

②また、「土地の国有化」も記されていました。もちろん、これも拒否し、「土地国有化条項」は削除されました。

③「外国人の人権を保障する条項」がありましたが、日本政府はこの条項を削除させています。

④また、「地方自治」も、連邦制に近いような地方分権が記されていましたが、改正されています。

 

日本政府は何回もGHQと交渉してこれらの修正をおこなっています。

こうして「政府案」がつくられ、婦人参政権が認められた選挙で選ばれた議員からなる帝国議会に提出されました。

帝国議会での審議は100日に及び、議会でも多数修正されています。

 

①「国民主権」が明文化されたのは議会においてです。

②さらには第25条の生存権規定は、議会で挿入されたものでこれはGHQ案には存在しません。ですから、「ワイマール憲法」「などから都合のいい文章を抜き書きして草案をまとめあげさせた」という説明は誤りです。

これだけではありません。

③GHQ案には義務教育の年限が定められておらず、規定が曖昧でしたが、議会において「その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ」というように明記され、現在の第26条ができました。

『日本国紀』の憲法草案作成過程、日本国憲法の成立に関する説明はあまりに単純であるとしか言いようがありません。

194610月、極東委員会は憲法施行後、1年後2年以内に憲法の再検討の機会を与える決定までしています。しかし、吉田茂内閣は「再検討」せず、1949年4月、吉田首相は国会で憲法は修正しないと答弁しました。

 

「ここで、読者に絶対に知っておいていただきたいことがある。アメリカを含む世界四十四ヵ国が調印している『ハーグ陸戦条約』には、『戦勝国が敗戦国の法律を変えることは許されない』と書かれている。つまり、GHQが日本の憲法草案を作ったというこの行為自体が、明確に国際条約違反なのである。」(P413)

 

と説明されていますが、そんなことはありません。

まず「戦勝国が敗戦国の法律を変えることは許されない」などとは記されてはいません。第43条には「国の権力が事実上占領者の手に移った上は、占領者は絶対的な支障が無い限り、占領地の現行上の法律を尊重して、なるべく公共の秩序及び生活を回復確保するため、施せる一切の手段を尽くさなければならない。」とありますが、そもそもハーグ陸戦条約は、「陸戦の法規慣例に関する条約」であって戦時国際法なのです。第43条の適用は戦争中の占領者に対してです。交戦後の占領には適用されないのです。日本国憲法が制定されているのは、ポツダム宣言を受諾し、降伏文書に調印された後で、ハーグ陸戦条約は無関係です。

もし仮に、降伏後の「占領」にも適用されると解釈したとしても、降伏文書は特別法となります。「特別法は一般法を破る」という原則がありますからポツダム宣言・降伏文書がハーグ陸戦条約より優先されます。

日本国憲法の草案作成がハーグ陸戦条約に違反するなどという言説を唱える法学者はほとんどいません。

ハーグ陸戦条約の誤解、誤用がみられます。

https://ameblo.jp/kohaniwa/entry-12448562098.html

 

以下は蛇足ですが。

 

「この時、草案を受け入れた幣原内閣は、後に『憲法第九条は私がマッカーサーに進言した』と語っているが、それはあり得ない。」(P412)

 

おそらく古関影一の『日本国憲法の誕生』(岩波書店)増補改訂版による内容をふまえたものでしょう。

1951年5月、マッカーサーが議会の証言で「第9条は幣原の提案だった」と証言、64年出版の『マッカーサー回想録』でも1946年1月に「幣原が、日本は軍事機構を一切持たないことを決めたい、と提案した」と記されています。

これが「幣原説」なのですが、私も、これは少し不自然に感じていました。憲法制定からあまりに後から出てきた話で、マッカーサーの議会証言は、大統領との確執、共和党と民主党の対立が背景にあって、ちょっと作為的なものが多いからです。

『日本国憲法の誕生』では、当時の史料や幣原以外の閣僚の反応などから「マッカーサー説」を採用していて、私もこれに同意したいと思っています。

ただ、単にマッカーサーが指示した、ということにとどまらず、終戦直前、「国体護持」のためには「戦争を放棄する平和国家」を唱えなくてはならないという動きがみられたこと、戦後も旧軍部が憲法制定に一定の影響を及ぼしていたことが史料的に説明されていてたいへん興味深く読めました。

マッカーサー説、幣原説、という二項対立的な説明から現在の研究では抜け出しつつあります。