「ヒストリーの語源はストーリーです」
というようにおっしゃっているのですが…
確か、ストーリーもヒストリーも、語源は同じヒストリアという言葉が由来だったと思うんです。
ヒストリアは、ラテン語で「史書」です。
誰かが、his storyからhistoryが生まれた、みたいなことを言っていたような気がしますが、これ、金八先生が、黒板に漢字を書いて、それらしい教訓を説明するのに似ているんですよ。
『古事談』『保元物語』『平治物語』『平家物語』『源平盛衰記』『義経記』などの物語を紹介するのはかまいませんが、実話である、と考えて話を進められてしまうと、「日本人の素晴らしさ」までフィクションと誤解されかねません。
「ヨーロッパや中国では、戦争となると必ず市民に多くの犠牲が出る。」
とし、
「この戦いが、武士のみで行われたものであるということだ。」
「一般市民はまったく巻き添えになっていない。」(P90)
と、断言されてしまっています。
平重衡による南都焼き打ちは、現在では失火であったと言われていますが、「(暗いので)火をつけよ」と命じたことが、兵たちが「民家に火を放て」というように誤解した、という話もあります。
逆に言えば、このことは、兵が民家に火を放つことが戦ではみられた、という証拠でもあります。
一ノ谷の戦いの前哨戦、三草山の戦いでは民家が焼き払われています。
じゅうぶん一般市民が巻き込まれています。
P90で「源平合戦で、市民の犠牲が出たという記述はない」と述べられていますが、
一方でP89では「義仲が平氏を攻め…」「京都を支配した義仲は洛中で乱暴狼藉を働き…」と説明されておられるんですが…
「七度の飢饉より一度の戦」という言葉が民衆の間に残っています。
「戦よりも餓死のほうがまし」というのが農民たちの思いでした。
一度の戦争は、七回の飢饉よりもひどい惨状をもたらしていたのです。
武士を主役とした、特定の人物にスポットを当てた「物語」では、そういう人々が遭遇した災禍・惨劇は伝わりません。
武士の美学の犠牲になった人々は無視されてしまいます。
合戦では「乱取り」が常識。
戦国大名でも、領土を拡大しないのに何度も戦いをしている武将は、飢えた兵を食べさせるためです。
冬の小競り合いや戦闘の目的はたいていこれでした。
戦の後には、「戦利品」の女や奴隷を売る「市」が立っていて、来日した宣教師もそのありさまを記録しています。
このあたりの研究はもう十分に進んでいるのですから、現代に問う「通史」には十分反映させて説明してほしいところです。
(参考)『雑兵足軽たちの戦い』東郷隆
『百姓から見た戦国大名』黒田基樹
『雑兵たちの戦場』(中世の傭兵と奴隷狩り)藤木久志
以下は蛇足ですが。
そういえば、P391で
「日本はアジアの人々と戦争していない。」と述べられて「日本が戦った相手は」アメリカ、フランス、インドネシア、イギリスだ、ということをコラムで力説されていました。
「この戦いが、武士のみで行われたものであるということだ。」
「一般市民はまったく巻き添えになっていない。」
という考え方の延長線上にあるんだなぁ、と、ふと思いました。