以前に、ビジネスジャーナルさんから、『日本国紀』の書評の執筆をたのまれました。そのときに「通史」の読み取りのポイント5つを紹介させてもらいました。
その一つは、
歴史「を」書くのか、歴史「で」何かを書くのか。
です。
『日本国紀』は、あきらかに後者で、歴史「で」筆者の言いたいこと「を」伝える、というものだと思います。
これは別に何も否定すべき手法ではありません。
歴史をアナロジーにして、いろいろなことを説明する、あるいはそれを聞く、というのは楽しいものです。
地下鉄に乗っていても、つり広告などに書籍や雑誌の紹介がよくされているのですが、
織田信長に学ぶ経営戦略!
豊臣秀吉の人心掌握術!
徳川家康の人事はすごい!
みたいなものはよく見かけます。
筆者の言いたいこと「を」信長や秀吉や家康「で」伝える…
楽しんで読むのは何も問題無いのですが、これをもとにほんとに経営戦略立てたり人事考課されたりしたらたまったもんじゃありませんよ。
武士って人口の7%しかいないんです。
そんな人たちの歴史から何かを学んだとしても、真実や実態の7%ですよ、きっと…
サムライジャパン!って、カッコはいいけれど、日本人の大部分はサムライなどではなくノーミンでした。
いつから日本人はみんなサムライになって、そんな気分を自分の行動原理にするようになったのか…
企業経営なんかも信長や秀吉や家康から学ぶより、惣村制や町衆の経営から学んだほうがはるかに現実的なはず。
ある種の「幻想」に基づいて「雰囲気」に酔って、腑に落ちる…
さて、最初の話です。
歴史「で」何か「を」伝える
のだとすると、手段とする歴史に「誤り」があれば、伝えようとする何かも誤りになる、あるいは伝わらなくなります。
誤った「歴史」の理解から生まれる「歴史観」は誤りです。
『徒然草』二百三十六段にこんな話があります。
丹波に出雲という場所がありました。島根県の出雲大社から神様を分け遷したんでしょう、立派な神社がありました。
その土地の有力者が、高名な聖海上人や、その他多くの人たちを都から地元にお招きしました。
「さぁ、おいでください、出雲へ。ぼたもちなども召し上がっていただきますよ。」
まぁ、食事付き、観光案内。ある種の町興しみたいなものだったのかもしれません。
招かれた人たちはお参りをし、おおいに信仰心も高まったようです。
さて、その神社の社殿前に、獅子と狛犬があったのですが、なんと! 不思議なことにその狛犬と獅子は、互いに背を向けて後ろ向きに立っているではありませんか。
それをみた聖海上人は、とても驚き、
「ああ、これは素晴らしい! この獅子と狛犬の置かれ方はとても珍しい!きっと深いわけがあるのでしょう!」
と涙ぐんで感動しました。
みると、他の人たちはさして関心も無さそうにしているので、
「ちょっとみなさん! この狛犬と獅子の、由緒ありげな置き方みられて何も思わないのですか? こういうところを見ないでどうするんです?」
なにせ高名な聖海上人が言うものですから、人々も、なるほど不思議なことだと集まってきました。
「たしかに他とは違いますな。」
「これは都へのよい土産話ができた。」
と、口々に話し合うようになりました。
聖海上人は、さらに由緒来歴などを知りたいと考えて、あたりを見回します。
すると、なにやら物知りそうな、年配の神主さんがいたので、ちょっとちょっと、呼び招き、
「この神社の、獅子と狛犬の置かれ方! さぞかし由緒があることでございましょう。ちょっとお聞かせいただけませんか。さぁ、みなさんも、よく聞きましょうぞ。」
するとその神主、
「あ、やられた~。近所の悪ガキがいたずらして、ひっくり返しよったんですわ。ほんまにけしからん。」
と、獅子と狛犬を元通りにして去って行きました…
上人の流した涙は、なんだったのでしょうか。チャンチャン。
「上人の感涙、いたづらになりにけり」
あ、それ、違うんです、て、言わなくてはなりません。
都への土産話で、とんでもない話が広がってはたいへんですからね。