ミクロ経済学の無力「ゲーム理論」 | 秋山のブログ

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ミクロ経済学の力から。

 

この章には様々な興味深いことも書かれている。例えばこんなふうに、現実における競争的市場を否定している。『個人の自己利益追求が社会全体の利益を最大にすることは、競争的な市場では成り立つ ものの、より一般的な社会や経済の問題では成り立たないほうがむしろ普通である。』

ゲームの理論は現実に役に立つことも少なくなく、役に立つからこそ実証研究も進み理論がブラッシュアップもされている。従って一般均衡を前提とするような経済学のアラも見えてくるだろう。『社会・経済のほとんどすべての問題』が『戦略的状況にある』から成り立たないという指摘はその通りだと思われる。(それが分かっていながら、一般均衡から導かれる政策を正しいものとして筆者が紹介してきたことは少々理解に苦しむ)

 

であれば、ゲーム理論を導入したミクロ経済学なら正しいかといえば、そうではない。ナッシュ均衡に関して問題がある。

囚人のジレンマでも何でもいいが、実際に実験や、現実の観察をおこなってみれば、ナッシュ均衡に容易になるわけでないことにすぐ気付くだろう。証明されているのは一般均衡同様、解が存在するといった話だけであり、筆者も『試行錯誤の調整にたいへん長い時間がかかったり、あるいはいつ までたってもあっちへ行っ たりこっちへ行っ たりして永遠に人々の行動が収束しないこともあり得る』と書いている。

そうであるから、効用関数等で出てきた最大化問題を解くことに全く価値がなかったのと同じように、ナッシュ均衡をそこに至るものと仮定して最大化問題化することは愚の骨頂だろ。ゲーム理論以前の理論の欠けていた部分にゲーム理論を継ぎ接ぎするのも間違った方向性である。腐った土台に乗っけるべきではない。この継ぎ接ぎは、寡占市場の分析の例に見られる。数量競争をしているモデルと、価格競争のモデルを提示しているが、結局筆者もモデルが現実的であることを示せてはいない。

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