フリードマンの手口 | 秋山のブログ

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フリードマンに関しては塩沢教授の論文で多くの人が納得する十分な内容だと思われるが、新たに気付いたこともあったので書こうと思う。

フリードマンは大恐慌に関して多くのデータを集め、解析した。これは評価できる業績である。実証の重要性を説いたこともあり、この業績とあいまって、『経済に関する洞察、そこから構築された理論に基づいて、自由主義経済の優位性を説くことはあっても、先に規制のない自由主義経済を理想とし、それに合うような理論を構築したわけではない。』といった評価をする人もいた。
フリードマンにおいてしばしばイデオロギーが先であるという話は、スティグリッツ教授の著書にも記述があるし、「世界を破綻させた経済学者たち」にはフリードマンがその妻からそのように指摘(P226『経済学者の政治的立場を見れば、その人物の実証的な主張の中身をかなり予測できるということだ。実証的な結論が先にあって、それに導かれてそのような政治的傾向を持つようになったとは、とうてい思えない(中略)夫はこの結論を頑として受けつけない』)されている話が出ている。
先か後かは取り敢えずいいとして、フリードマンが実証によって理論を構築していく経済学者であるというのは、誤解である。彼の著書「資本主義と自由」を読む限り、理論の多くは実証の裏付けのないものだ。素晴らしい実証研究があり、また時々実証データを出してくる(例えば乗数の実際の値など)ので誤解しやすいように思われる。

フリードマンの大きな問題は、塩沢教授が指摘される通り、『フリードマンの方法論=科学観』である。フリードマンはポパーの反証主義の影響を受けていたということであるが、ポパーの主張は科学において全く価値がないだろう。理論を作るということは、ひたすら確認を繰り返すこと、修正していくこと、他の理論との整合性や実験でそれが正しいという確率を上げていくこと他ならない。科学者がおこなってきたこの方法論は、現実によって何百年も確認され強固なものであり、哲学的に、悪く言えば言葉の遊びで生み出されたような方法論に取って代わられるようなものではない。哲学が人類にとって有益なことはもちろん山ほどあるが、科学にしゃしゃりでてくることは、嘗て宗教がしゃしゃり出てきた弊害を思い起こさせる。経済学の近代以前の歴史を見れば、宗教や哲学などの分野から生まれてきたものであるため、仕方のない部分もあると思われるけれど、修正しなくてはいけない点だろう。
フリードマンの、仮定が正しいことを立証する必要はなく、現実を正しく予想できるかどうかで有益性を判断できればよいという主張は、自然科学のある程度以上の科学者には決して賛同されることはないであろう(むしろ馬鹿にされる話である)。理論は、例外を見つける度に、むしろ進歩していくものである。それを実現するためには、仮定や理論の組み立てをより正確に、精密にしていかなくてはいけない。そうしなければ、間違える度にゼロから開始しなくてはいけなくなって、科学はほとんど進歩することを止めてしまうだろう。(フリードマン程極端でなくても、彼の影響を受けて多くの経済学者が、仮定や構造の説明の厳密さに疎いようである)
フリードマンの理論の多くは、正しい予想ができていないので、彼の言うことをそのまま流用すれば、全く価値がないということになろう。

新たに気付いたこととは、フリードマンが何かを説明するために、計測不能な架空の概念(現実の正確な表象化である物理の質点とは全く違う)を持ち出して来ることである。
期待インフレ率という概念がある。現在重要な概念扱いされ、例えば実質金利は、実際のインフレ率ではなくて期待インフレ率で除している。これを操作することで、景気に影響を与えたり、インフレを調整できると信じている人間もいる。しかしながら、期待インフレ率は、いろいろ測定する方法を考案されてはいるが、むしろ測定できていないと思われる結果しかでていない。影響を与える方法も、成功しているという証拠はない。期待インフレによって何かがおこったということも証明されていない。これは人体に喩えるならば、癌の発生メカニズムに悪霊を登場させているようなものである。
期待インフレを誰が言い出したのか、少し調べた限りでは分からなかったが、フリードマンがフィリップス曲線の説明をする際にしきりに使っている。フリードマンの理屈では、期待インフレ率が上がると実質賃金(=名目賃金/予想物価水準)が下がり、この労働力価格の低下を受けて雇用量が増加するということになっているが、賃金の下落によって需要を増やすという現象は実証上誤りなのである。つまりありえないメカニズムを説明しているのだ。フリードマンは悪霊の存在を持ち出してきて、実際のメカニズムとは異なるメカニズムで説明してみせたということである。そしてこれはフリードマンの「仮定が正しいことを立証する必要はない」云々に直接関わってくる。何が起ったかといえば、正しいかどうか立証する必要がないということによって、フリードマンはその真偽に関する問題を無視し、フリードマンの信者もそれが正しいと信じた。
自然失業率も、同じく悪霊である(悪霊が不適切だと思うのであれば、フリードマンが喩えた葉っぱの意思でもいい)。実証の裏付けがあるという主張も見かけたことはあるが、実際どのような実証なのかは全く不明だ。長期において自然失業率に達するということは、要するに最適化が達成されているにも関わらず失業が存在することに対する弁明ということであろう。観察してみれば現実において最適化は、常に遠い遠い状況である。自然失業率が観察できるはずはない。観察したという話があるとしたら、GDPギャップのように、勝手に最適化していると決めて出したものだろう。