中国の翡翠(ミヤンマー産)宝庫を、バブル以前に購入した翡翠宝石
翡翠(ひすい)は、深緑の半透明な宝石のひとつ。東洋ミヤンマー
(中国)、中南米(インカ文明)では、古くから人気が高い宝石であり、
中国でも、世界でも、金以上に珍重されていた。古くは玉(ぎょく)と
呼ばれていた、その鉱物学的には、「翡翠」と呼ばれる硬玉の鉱石は
化学組成の違いから硬玉・ヒスイ輝石と 軟玉(ネフライト)透閃石
一緑閃石系・角閃石)」の2つに分かれている。
地球上の世界市場で本物の翡翠とするのは硬玉・ヒスイ輝石であり、偽者の翡翠とするのは、軟玉(ネフライト)透閃石 一緑閃石系・角閃石で、両者は よく似ているが、まったく別の鉱物である。
しかし見た目では、区別がつきにくいことから、どちらも「翡翠」とよんでいるが、
しかし、本物の翡翠とする 硬玉・ヒスイ輝石は釘やナイフ金属の先で力を入れ、強く擦り付けても、傷がつかないし、
写真を撮れば解る様に綺麗に光ます。
又、電気(懐中電灯)を、照らせば、綺麗に光が透き通るし、硬玉石の翡翠どおしを、コツント当て、ブツケルとキ~ンと言う、綺麗な響き音がするので、頭の知識の念頭に入れて置くと、プロと同様に、翡翠の硬玉・ヒスイ輝石の本物と、偽者の軟玉(ネフライト)翡翠を視分ける能力が身につき、翡翠の価値観が解りますので、自身を持ち、翡翠宝石を購入する事が出来ます。
又、偽者と称する翡翠・、軟玉(ネフライト)透閃石 一緑閃石系・角閃石鉱石は、本物の翡翠と似てはいますが、釘やナイフ金属の先で力を入れて強く擦り付けると傷がつきますし、写真を撮れば解る様に、綺麗には光ませんし、電気(懐中電灯)を、照らせば、綺麗に光が透き通る事も有りません。
翡翠を注意し指摘しますと、硬玉と軟玉は、どちらも翡翠と呼ばれていますが、翡翠の宝石とみなされるのは、世界でも現在も硬玉だけであります。
軟玉は、中国以外でも宝石とされず半貴石に分類されますし、中国で安く売られている翡翠はほとんどが軟玉であります。
但し、軟玉でも、白く透明感のある最上質のものは、羊脂玉と呼ばれ、中国では硬玉よりも、価値が高い値段で取引をされていますので、
軟玉は偽者だと、トラウマの思い込みに成らない様に翡翠知識を入れてください。
玉は、中国では美しい石、宝石の総称で、古くから実用品や装飾等の材料として用いられていました。玉の玉彫工芸は、今でも中国の工芸品の重要な位置をしめています。
又、玉の中でも特に翡翠が珍重されたことから、玉は、翡翠の意味としても多く使われていました。
尚、草創期の玉器には石英や滑石も含むが、故宮博物院に収蔵されているような玉器のほとんどは軟玉であります。
古い時代の中国では、特に白色のものが好まれており数々の作品が残っているのですが、これらの軟玉の産地は、現在の中国新疆ウイグル自治区に属するホータンであり、
他の軟玉より 硬く籽玉(シギョク)または和田玉(古くはコーラン玉)と呼ばれていました。
18世紀(清の時代)以降、ミャンマーから硬玉が輸入される様になると、鮮やかな緑のものが好まれるようになったのです。
そのなかでも高品質のものは琅玕(ロウカン、カンは玉へんに干)と
呼ばれ・珍重されることになった。台北故宮博物院にある有名な白菜の彫刻は硬玉製であり、ブログに添付した写真の翡翠と同じです。琅
玕は、中国語で青々とした美しい竹を意味し、英語ではインペリアルジェイドと呼ばれます。
これは西太后が熱狂的な、収集家であったことに由来するとされて、翡翠の価値が上がりし、中国の富裕層以外届かぬ希少価値です。
概要
不老不死及び生命の再生をもたらす力を持つと信じられております。古代においては、遺体全体を玉で覆うことが行われていました。
秦の始皇帝の遺体も玉で覆われていたのです。中南米の王族の墓でも同様の処置が確認されております。
中国では、他の宝石よりも価値が高い、とされた翡翠は、古くから、!腕輪などの装飾品や器 、精細な彫刻をほどこした置物 など加工され、利用されてきました。
ニュージーランドやメソ・アメリカでは、おまじないの道具としても使われていました。(メソアメリカでは腹痛を和らげる石として使われていました)。
又非常に壊れにくいことから先史時代には石器 武器の材料でもあ
ったのです。
ヨーロッパでは翡翠で作られた石斧(おの)が出土するのです。
日本では古代に糸魚川で産出する硬玉の翡翠が勾玉の材料とされてきましたが、奈良時代以降、その存在は顧みられなくなっていました。
日本での翡翠の産出が再発見されたのは1938年(昭和13年)のことであります。
2008年(平成20年)北京オリンピックのメダルにも使われているのです。現在では、翡翠は乳鉢の材料としても馴染みが深く、
日本では5月の誕生石にエメラルドとともに、数えられているのです。翡翠は「長寿、健康、徳」。が、昔からの宝石言葉です。
元々、翡翠は、美しい石として、瑪瑙やその他の宝石と共に「玉」と
総称されていました。
「翡翠」は、中国では元々カワセミを指す言葉であったのですが、
時代が下ると、翡翠が宝石の玉も指すようになったのです。
その経緯は分かっていませんが、以下の定説があります。
翡翠のうち、白地に緑色と緋色が混じる石はとりわけ美しく、カワセミの羽の色に、例えられ翡翠玉と名づけられたという説です。
この「翡翠玉」が、いつしか「玉」全体をさす名前になったのではないかと考えられていました。
参考までに、私が調べたところ、古代の日本では、玉は「たま」、カワセミは「ショウビン」と呼ばれていて、同じ名前が付けられていた記録はないのです。
従って「翡翠」の語は、比較的戦後の時代に、中国から輸入されたと
推察できると、私は思料します。