節目を迎えて。 | handmade labo カシマBASE

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変わった刃物屋です。

どうぞよろしくお願い致します。

節目を迎えて。

この度、50歳となりました。

想像してた感じと何か違いますけど、奇跡的に大事故・大怪我・病気に直面することなく50年生きてきました。

とはいえ、色々ありました…。ハイ。
産まれてすぐに酸素ボンベが必要なレベルの生命力ギリギリで現世デビューしたらしく、両親にはかなり迷惑をかけた模様です…。
小学生の頃、少年野球をやってたんですよね。でも体格に恵まれずフェードアウト。とにかく体が小さ過ぎて使い物にならない感じでしたね。まぁ、今でも同じですけど(笑)。その一方で、ユネスコ展にて書道と絵画で優秀賞をダブル受賞しています。書道は2年連続でしたから、その当時としては快挙でしたね。
中学生の時は遊んでばかり。ホントに勉強しなかったなぁ…。絵ばかり描いてたので、やたら上手かったです。得意教科は当然美術!ダントツの評価でした。が、他はグダグダでしたね…(笑)。
高校生の時は、友達に恵まれたお陰で3年間すごく楽しかったですね。家からかなり遠かったので(片道約1時間)、通学時間が長く体力がかなり付きました。幾らかやる気スイッチが入った時期で、この頃から将来エンジニアになろうと漠然と思っていました。
大学生の時は、勉強も遊びもバイトもフルパワーでした。でも、とにかくお金が無かった…。それでも工夫して楽しんでました。当時もし、お金があったとしたら遊び呆けてたかも知れないので、あの頃の自分にはそれで良かったのでしょうね。
25歳で結婚。25年経った今でも何ら変わらず二人三脚で和気藹々過しております。

そして社会人になってからは怒涛のブラック労働に身を委ねる事に。でも、なりたかったエンジニアという職業に就けたので、最前線で戦いました。
そして30歳で脱サラ。政府の政策により仕事が激減し、その煽りを受けて、目指して手にした橋梁耐震設計エンジニアという職を引退する事に。

ここが人生のターニングポイント。

失ったものがそれなりに大きいだけに、本気で人生の見直しをした結果、「手に職」大作戦をスタートさせました。手先の器用さだけは学生時代から自信があったので、ここに着眼。
2007年、33歳の時にカスタムナイフの世界に飛び込みました。
そこからホントに沢山の事を学びました。金工、木工、レザーの3ジャンルに深く精通しないと辿り着かない面白さ。これこそが醍醐味ですね。

しかし、ここで次に立ちはだかったのは「場所」の問題でした。

お師さんの工房で年がら年中お邪魔する訳にはいかないので、自分の場所が必要という事になった訳です。
2009年、35歳の時に縁あって市内の潰れたカフェの空き家を間借り出来たので、そこでようやく自分の場所モドキを手に入れました。が、交換条件として、そこのオーナーが趣味でやっていたバードカービング製作を手伝うという口約束をしたのが裏目に出てしまいまして。要は私の腕を利用して、製作した作品を販売しようと企んでいた様で、私がナイフを作っていると邪魔ばかりする極めつけの曲者だったので、絶縁して改めて場所を探すことに。
そして2016年、42歳の時にようやくカシマBASEを立ち上げることが出来ました。
そこからは明けても暮れてもカシマに籠って、作りまくる日々が始まりました。
この時には既に、鍛造打刃物の修行も同時進行していましたので、そこで生み出した作品をどうやって多くの方々に知って頂けるのかという課題。そのきっかけを掴むべく
各種イベントに出まくって、どんな需要が世の中にあるのかをひたすら世に問う活動が幕を開けたのです。こうして様々な作品が生まれた訳ですね。現在でも、その姿勢は何ら変わっておりません。これからもきっと変わらないと思います。

そして今日は誕生日恒例の焼き肉でした。
私の活動を常に近くて支えてくれている嫁さんには頭が上がりません。今は体の調子を良くする事に注力してもらって、これからもまだまだ一緒に進んでいければと改めて思った1日でした。

50歳から新しいチャレンジをたくさんしていくので、人生をもっともっと楽しんでいこうと思います。

See you !