十月に入り夏の喧騒を終えてライブが少し落ち着き始めたころ。
事件は起こる。
昼の仕事が急になくなった。
そんでもって夏遊びすぎて笑っちまうくらい金ねえ。
知人数人に謎のはーっはっはメールを連続で送りつけ気持ちを落ち着かせるも現実は何も変わりやしない。
悲惨な境遇の人間からなんの説明もなく文字のゲリラ豪雨を受けた被害者数人の中の一人、昔働いてた職場の社長が気にかけてくれて結局仕事は見つかる。
が急にぽっかり予定に穴ができる。
そんな中、東京への切符を差し伸べてくれた友人。感謝。謝謝。
おら東京さいくべ。
和のお暇 -東京小噺-
はじまりーはじまりー
大都会東京に降り立ち一通りの予定を楽しんだ次の日の朝、東京観光でもしてから帰るか、とセンター街のサンマルクでモーニングのチーズハムクロワッサンを食べながら考えていた。
行きの電車で細野晴臣デビュー50周年記念展とバスキア展が森ビルでやっていることを知りどっちか行きてえなと考えていたことを実行することにする。
段取りを並べ上げ店を出ると朝の渋谷は台風の影響で大雨が降りそそいでいた。
昨日結婚式をあげたという友人に会いに代官山まで散歩、そのまま中目黒に下り電車で六本木に到着。
森ビルでけぇ。とビビりながらも昔の記憶を頼りに美術館に向かう。
沢山の人、人、人。その波を掻き分け辿り着いたその先には絶望の文字。
どちらも60分待ち。そりゃそうだ日曜の昼だもん。
一度並んでみたがカップルと外国人だらけの森ビルで一人待ち続けるのは難しい。
ベンチに座って作戦会議。
調べてみると塩田千春展が同じ森美術館で行われている。
知らないひとだったけど作品の写真に妙に惹かれた。
相席をお願いされた老夫婦に会釈をして別れ、覚悟を決めて塩田千春展へと足を進める。
だが
塩田千春展70分待ち。。
ふざけんじゃねぇ。
先ほどのベンチに戻ると老夫婦に明け渡した椅子がまだ空いていたので今度はこちらがお邪魔する。
座るがまま、つい二人に愚痴をごぼした。
展示会に行きたいのにどれもこれも待ち時間がひどい!
大きいけど気品があるチャーミングな唇と半端なく大っきいダイヤが3個付いている素敵な指輪をはめた奥様が答えてくれる。
塩田千春さんてどんな方なのかしら?
静かな笑みを浮かべたまま話し出した二人を見つめる旦那さんに視線で答えてから返事をする。
気になりますよね。今日知ったんですがドイツで活動する芸術家さんだそうです。
細野晴臣さんが見たくて。バスキアとも迷っているんですが。
細野さん最高よね。
私シャンソンをするの。
今日森ビルでステージがあるのよ。
僕も音楽をしています。
パンクバンドのドラムです。
あなたが?見えないわね。
ブラックミュージックも大好きです。
しっくりきたわ。
そんな話をしながら身の上話を楽しむ。
今日はシルバーとブルーのドレスを着て歌うの。
そろそろメイクアップの時間だわ。
またいつかシルバーとブルーのドレスを着て歌っている姿が見たいこと、展示会は明日観にくることに決めたことを告げて六本木を後にした。
その翌日。塩田千春展と細野晴臣の細野観光を観て帰ってきた。
塩田千春さんは生粋のアーティストだった。
糸を使った空間インスタレーションが最高にイカしてたし、過去の作品も衝撃的なものばかり。
面白かったのは過去作のエピソードで、ワークショップに参加して4日間断食。
そのワークショップは1時間自分の名前を書き続ける、他人と3時間対面に座り見つめ合う、鏡を持って後ろ向きに帰るなど様々な内容だったそうなんだけど
それを終えた後、最初に浮かんだ言葉は「JAPAN」で自身が泥の坂道を全裸で転がり続けるという作品を発表した。
頭の中どうなってんだよ。
細野観光は細野晴臣本人もインタビューで答えていたけど、企画をした美術チームが細野さんへの愛情をしっかりと持って作られた展示会だとハッキリ分かる。
歴代の作品が埋め込まれた巨大年表を読み進めながら細野さんが実際に使用してきた楽器、機材、スーツケースや自作漫画、所有の書籍、はっぴいえんど時代のコード譜のメモまで見ることができる。最高。
展望台のチケットと塩田千春展・細野観光は同じチケットで見ることが出来る。是非お勧めしたい。
バスキア展は名古屋にも来てくれることを切に願う。
3日ぶりに帰って来た我が家は、とても静かで居心地がいい。
ついつい筆が進んでこんな小噺を綴ったところで現実は何も変わりやしない。
家賃が払えん。
はーはっはっはっは!!
爆。