雨男雨女、晴れ男晴れ女、大解剖!!! | THE ZUTAZUTAZのブログ

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んちゃーーーーー!!!!!


THE ZUTAZUTAZのヴォーカリスト


メソポタミアナオキでーす!!!



我らが愛すべきベーシスト、

くにおさん!


襲名おめでとうございます!!


青空くにお

ぴったしな、いー名前だあ!


出かけたくなる名前!


しかしおいら雨男さ…。


でもさ、考えてみてくれよ、べいべー



雨男雨女の定義が仮に日本だけでも、
んー、どぉだろ、

雨男雨女のどちらにも分類されはい人が約半数をしめるとして
全体人口の3割を雨男雨女ってことにしよう!
そして更に全体の
3割が晴れ男晴れ女だとして、
残りの4割りが
一般人だと仮定する!


ここで頭のいい諸君なら気づき始めているだろう。


そう、雨男雨女、晴れ男晴れ女は同じ地球上に生きているとゆうことを…!


生粋の雨男がA街に繰り出すとする。
切れたブーツの紐を買うためだ。

そして生粋の晴れ女もA街に繰り出した。サラサーティーを買うためだ。

この時の天気を教えてくれお天道様。


雨男とか晴れ男とか…なんなんだよ

雨男雨女、晴れ男晴れ女の総称を
〝お天気人間″もしくは
〝天気人間″とし、
もっと細かく分析していこう!



仮定その1
・天候は、天気人間の総合的なパワーバランスによって左右される


と考えると、A街にいる各種天気人間の人数による割合で決まるか、
それぞれの持つ天気エネルギーの総勢力が関係してくるのであろう。

しかしこの場合、
A街とゆう場所を限定し、
〝くくる″とゆう行為そのものに説得力が無くなってくる。
とゆうのは、
A街1丁目のパワーバランスは
雨が有利で、
2丁目は晴れ有利で、
はたまた3丁目では雨が降っていて…などと交互に繰り返されるケースが生じる可能性があるゆえ。そんな天気はあり得ない。
A街だけでなくこれは都道府県単位でも言えることだ。

だからこの説では、天気人間の証明にはならない。



仮説その2

・天気人間は、気圧の変化に敏感で、
それぞれの天候によりそれぞれの働きを見せる。

すなわち、
雨男雨女の場合、
気圧の変化で、晴れから雨に変わる時、五感でそれを感じとり、
街へ、外へ出たがる。
晴れの日はなんとなく家にいる。
とゆうもの。
無論、晴れ男晴れ女のケースも同じ。


うーん、
こっちの方が説得力あるなぁ。
天気予報などなかった時代、
おそらく人間は今よりずっと天候に敏感だっただろうし、
天候により、命が揺さぶられる時代だってあったはず。
戦国時代だって解りやすくそうだし、
もっと言えば、
農業だってそうだったかも知れない。


天候と人間が密接している感覚

とゆうものに長けている人のことを
天気人間と呼ぶのかも知れない。


じゃあA街に双方の天気人間が集まるのはおかしい!
と、勘のいい諸君なら気づくやも知れないね。

晴れの匂いを感覚で察知し、A街へ出かけた天気人間。
雨の匂いを身体で察知し、A街へ出かけた天気人間。

双方の天気人間が混合することがおかしいと思いがちになる!


がしかし!

双方の天気人間がそれぞれ全員違う土地に住んでいたらどうだろうか?
自分の家で感覚は、
オイ、おまえの好きな天候の匂いだぜ!街へ繰り出せよ!

感覚は、さとしてくるはず。

よって、混合することもあり得る。




しかしそれは、
天気人間がプライベートな時間にこそ現れるものだと仮定した場合

仕事などの用事で外出する際は感覚など二の次なので、休日にこそ天気人間と呼ばれるものの、その他の日は、一般人と変わらない存在になると言っても過言ではない。


結論!!!!!

晴れる日は晴れる!
雨の日は雨!





ん?終わったよー!